第25話 少年は思案する 2

 


 彼女の性格が改善されてからというもの、ヴィコット伯爵は彼女を隠すことなく表に引きずり出してきた。

 以前はろくに屋敷からも出さず、社交界に顔を出すことすらなかったのに。


 貴族の人間にとって、他者との繋がりは必須。

 それが一人娘、家の跡取りだというのならなおさらだ。

 にもかかわらず、伯爵はそうはしなかった。


 子煩悩ではあれど、娘の性格をしっかりと把握していた伯爵は、表に立たせるべきではないということをきちんと理解していたのだ。

 何せ自分よりもはるかに身分の高い公爵令嬢である妹を、人前であろうと平気でずさんに扱うことができる女だ。

 外に出しても家名を汚すことしかできない。

 自らの首を絞めかねない存在だということを、伯爵はきちんとわかっていたのだろう。


 だというのに、彼女が今の状態になってからというもの、伯爵は彼女の存在を前面に押し出してきた。

 今までは一切作らずにいた他者との関わりを、積極的に作りだした。


「あの店がいい例だろう。あの店自体はヴィコット家が経営しているものだということは誰もが知るところだが……」

「店で取り扱ってる商品は、ご令嬢の手によって作られたものだってことも周知の事実だしね」

「子供の考えるものに興味を示す大人はそう多くない……。にもかかわらず、伯爵は行動を起こした」

「それに関しては土台があったからだろうね。桜茶とかバラで作ったジャムとか……、お店が出来上がる前に顧客が既にできてたって言うし」

「それでも、普通はしないだろう……」


 成人もしていない十二歳の幼い少女の存在を、隠すことなくさらし出している。

 おかげで彼女は今、貴族たちの注目を集めつつある。

 それが自分には、あえてしているように感じるのだ。

 汚名の払拭……と言われればそれまでだが。


(本当に、それだけだろうか……)


 仮にも国王陛下の側近、自分たち騎士のトップに立つ人物。

 国の宰相として腕を振るう我が父が、無二の友人として背中を無条件に預けられる相手。

 それがロイス・ヴィコット伯爵だ。


「確かに気になる……。よしやっぱり会いに行こう! 二人で会いに行けば大丈夫さっ☆」

「何が大丈夫さ、だ! こ、と、わ、る!!」

「うぅ……ころっけぇ……」

「お前それが目的だろ」

「確かにこれも目的のひとつだけど……」


 ナメクジのようにでろりと溶けたかと思えば、その声音が急に柔らかくなる。


「確信があるんだ。その子は絶対、俺と同じだって」

「……」

「だからどうしても会いたい。話がしてみたい。その子は絶対、俺を理解してくれるはずだから……」


 緩やかに語る彼の声を遮断するように、僕はそっと目を逸らした。


 この男と知り合い、友人として過ごすようになって数年経つが、未だ理解しきれないところは多い。

 ごくまれに、レグはこんな顔をすることがある。

 ここではない何処かを見るような、遠い遠い何処かに想いを馳せるような……。

 そんな顔で、姿の見えない『何か』をまるで宝物のように想う。


 理解できないのは、それに彼女アヴィリアが加わっているということだ。


(すっかり胃袋を掌握されやがって……)


 彼女とレグにさしたる関わりはない。

 すべてはコロッケが生み出されてからだ。

 始めてそれを食べた時から、こいつはコロッケにいたくご執心だ。

 まるで、長年食べることを許されていなかった好物を与えられた子供のように。

 ほぼ毎日の割合で料理人に催促しているという話も聞いた。


 それほどに好きなメニューを考えた人物。

 そりゃ、興味も持つだろうが……。


(それだけで、こんな顔ができるものなのか……?)


 それだけのことで、そんなふうに彼女を語れるのか。

 そんな声で、彼女を求められのか。

 そんな、何よりも愛おしいというような眼差しで、想いを飛ばすことができるのか。

 それが僕には理解できない。


 ――――――……いや。そうじゃない。


「…………」

「……ジオ? どうかした?」


 水筒を地面に置いて唐突に身体を解し始めた僕に、レグが訝しげに問いかける。


「あいつらばかりを走らせて、僕がじっとしていては示しがつかないだろう」

「うへぇ……、真面目ちゃんだなぁ……」


 先を走る兵士たちを追って僕は駆け出した。

「この暑いのによくやるなー」と苦笑するレグの声が背後から聞こえる。


 その声にはもう、先ほどのような熱はこもっていない。

 あんな、愛おしいものを語るようなものは。


 確かに彼女は変わった。

 傲慢な性格は穏やかな雰囲気に変わり、あれほど険悪だった周囲の人間との仲も良好になった。

 猫をかぶってるだけじゃないか、何か企んでいるんじゃないか、セシルは騙されているんじゃないか。

 最初こそ、そんなふうに疑ったが、この状態が二年も続けばさすがに信じざるを得ない。

 だからといって、セシルのことを散々悪し様に扱かったことを忘れたわけではないし、それを許そうとは思わないが。

 それでも――――――……。




 “――――セシルを馬鹿にするなっ!!”




 あの日。恥も外聞も無く、思い切り張り上げられた声は、間違いなく彼女の心からの叫びだと思うことはできるから。


 彼女は変わった。

 これからどんどん彼女の輪は広がっていくのだろう。それに比例して、彼女の周りには人も増えていく。


 喜ばしいことのはずだ。

 そうなったところで、僕になんの関係もないはずだ。




 “――――その子は絶対、俺を理解してくれるはずだから……”




 なのに何故、こんなにも気持ちが重くなるのだろう。

 腹の底から湧き上がってくる、怒りにも似たこの気持ちは何なのか…………。


「……ちっ」


 むしゃくしゃする。

 やめろ、考えるな。その『答え』を出してはいけない。理解なんて、したくもない。


 こんなにも身体が熱を帯びるのも、ギラギラと照りつけてくる夏の太陽のせいだ、きっと。




 胸に巣食うもやもやと渦巻く感情を打ち消すように、僕は思い切り強く大地を蹴った。


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