第2話 すべては湖から始まった



「それで、医師せんせい……。どうなんでしょう?」

「……外傷はありませんし、意識もしっかりしてらっしゃいます。受け答えもきちんとできてますし、どこにも異常は見られません……」

「異常がないだって!? そんな馬鹿な!」


 申し訳なさそうに答える医者に、しかし父は信じられないという風に言った。


「アヴィリアが! あのアヴィリアが素直に“大丈夫”と言って笑ってきたんだぞ!? 罵る事もなく、こちらの様子を伺うような素振りさえ見せたというのに! 異常がないとはどういうことだ!?」

「ああ……、相手を蔑むこともなく申し訳なさそうにするこの子が見られるなんて、夢じゃないかしら……」


 だとしたら一生覚めないで……と呟くお母様はとうとう顔を覆って泣き出してしまい、それを傍らのメイドが必死に支えていた。


(…………いや、酷くね?)


 それがやっとこさ目を覚ました実の娘に言うこと……?


「はあ……」


 まあ、そんな周りの現場は今はひとまず置いとくとして。

 遅ればせながらなぜこんな状況になっているのか、一旦整理するとしようか。



 私の名前は、アヴィリア・ヴィコット――――。

 アースガルド王国の国王側近を務め、王国南部に領地を持つロイス・ヴィコット伯爵と、その妻ローダリア・ヴィコットの一人娘。それが『私』だ。


 そのご令嬢様がなにゆえこんなことに? とお思いかもしれないが、それについては話は数時間前までさかのぼる。


 私たち親子は本日、王都の近隣にある森の湖までピクニックへと出かけたのだか、そこでひとつ事件が起きた。

 久しぶりの親子揃っての外出にはしゃぎ回った私が、足を滑らせて湖に落ちてしまったのだ。

 すぐに父の手によって助けられるも、私に意識はなく、大急ぎで屋敷に連れ帰られ医師の診察にかけられた。

 幸い異常はなく、ショックで気を失っただけだろうと診断された私は、その後すぐに目を覚ました。



 そう……。

 という余分なオプション付きで――――。



 広沢咲良ひろさわさくら。それが私の前世の名前。

 とくに目立つこともなく、ごくありふれた平凡な人生を歩いてきたどこにでもいるただの一般人。

 間違っても主人公やヒロイン的なキャラじゃないし、漫画や小説的に言えばその他大勢のモブキャラ、よくて友人Aがぴったりな人生でした。


 ……仕事帰りにまさかのトラックとこんにちはするという、予期せぬ交通事故にあうまではね。


(しかもそれを溺れたショックで思い出すとか……、ラノベかよっ!?)


 平凡人生が来世でまさかの非凡にジョブチェンジ。そりゃぶっ倒れもするし脳がキャパオーバー 起こしもするさ。こんな展開望んでない。


(つまりこれは漫画や小説でよくある生まれ変わりとか転生とかいうアレなやつ!? どっちにしたってありえなさすぎるでしょう……っ)


 しかも異世界。非凡に加えてファンタジー要素のオマケ付き。再度言うがこんな展開望んでない。

 ああ神よ、私が一体何をしたと言うのでしょう。平々凡々普通に生きてきたというのに。あんまりです、せめて一発殴らせろ。


「信じられない……、こんなことが起こり得るのか……!?」

「どうしましょう……、こんな、こんな……っ」


 ですが安心めされよ神とやら。今はあなたなどよりも現在進行形で騒いでいる目の前の大人たちのほうが問題なので、正直あなたをしばいている場合じゃありません。


 ぶっちゃけ、湖で溺れたうえ前世の記憶を思い出して「ラノベか!?」状態だった当事者わたしよりも、周りの大人たちのほうが阿鼻叫喚だった。

 無理もないとは思うよ? 可愛い一人娘が湖で溺れて、やっとこさ目を覚ましたかと思えば性格がガラリと変わってるんだから。

 周りはこの出来事に対し、それはもう大層に嘆き悲しんだ――――……




 のではなく。




「奇跡だわ……。アヴィリアがこんな優しい言葉をかけてくるなんて……っ」

「ああ、まだ夢を見ているみたいだ……。あのアヴィリアが、こんなに礼儀正しくたおやかになって……。きっとあの湖がこの子の邪な心を洗い清めてくださったに違いない!」

「あの湖には精霊が住んでいるのでは!?」

「ああ、精霊様……。我らは心よりそのご慈悲に感謝いたします!」

「精霊様ばんざーーーーいっ」


(いや、おかしいだろ)


 なんで揃いも揃って子供の豹変を心の底から喜んでいらっしゃるのでしょうね。


 慌てた医師が急いで診察をしてみれば、異常は見られずいたって健康体。

 なのに本人の雰囲気だけが一変。まるで別人のように豹変しているという現状。

 医者はこれを精神障害のひとつと判断した。

 ショックや恐怖のあまり、人格形成に異変が生じたのではないか……というのが医者の見解である。当たらずとも遠からずだ。なんて優秀な医者。


「なんという奇跡でしょう! こんなに素晴らしいことがあるなんて!」

「天使よ、天使がお嬢様に乗り移ったに違いないわ!」

「違うわ、精霊よ!」


 しかし周りはこの事実を喜んだ。実の両親から使用人の隅々に至るまで、それはもう心の底から喜んだ。拍手喝采狂喜乱舞。屋敷中が歓声に包まれた。


 …………いや、酷くね?(三度目)

 十歳の子供に対するあまりの現実にちょっと目頭が熱くなってきたんだけど?


(それほどアヴィリアの有様はひどかったってことなのか……)




 アヴィリア・ヴィコットを表す言葉があるとするならば、間違いなく『性悪令嬢』だ。

 彼女にとって使用人とは、主の望みを叶えるための奴隷であり、彼女にとって平民とは、存在する価値もない生きた雑草でしかない。

 そもそも今回の発端である湖事件も、もとを正せば悪いのはアヴィリアだ。お父様ははしゃぎ回って足を滑らせたなんて言ってたけど、ちょっと待ってほしい。


 アレそんな可愛らしいもんじゃないよね……?


 正しくはこうだ。


『明日は休みが取れそうなんだ。たまには家族で出掛けようか?』

『えぇ~!? 嫌ですわ! こんな暑い季節に外にでるなんて、私の白い肌が日に焼けちゃったらどういたしますの!?』


 から始まって。


『あぁ、あつ~い。ちょっと! なにボーッとしてるのよ! 私が暑いと言ってるんだから、扇ぐくらいしなさいよ! あぁっ、やだ、虫が!』


 なんてことになって。


『お嬢様、お飲み物を……』

『……なにこれ、ぬるいじゃない! こんな飲み物で私の喉を潤せっていうの!?』

『も、申し訳ありませんっ』


 そして癇癪を起こしたアヴィリアは暴れだし、その勢いで足を滑らせドボンだ。どっからどう見ても自業自得である。


 加えてアヴィリアは勘違いも酷かった。

 彼女にとっての金銀宝石は、己をさらに輝かせるための付属品であり、この世の美しいドレスはみな自分が着てこそ価値がある。私が望めば周りがそれを叶えるのは当然だし、私の願いを叶えるという役目を持てたことに喜びを感じるべきだ。

 一国の王女や女王でさえも、私という素晴らしい存在の前では霞も同然。


『私はこの世の選ばれた存在』

『私はこの世界で一番愛されるお姫様』

『この世の全ては、私という美しく尊く素晴らしい存在の為にだけあるのよ!!』



 …………ねぇ、信じられる? これが齢十歳の子供の思考回路なのよ?

 なんて古典的な悪役キャラなのかしら。なるほどこれが今流行りの悪役令嬢って奴ね。


(そりゃ周りが喜ぶのも無理ない……て、ちょっと待てよ)


 それはつまり、記憶が戻らないままだったらアヴィリアわたしの行く末はその悪役令嬢にありがちな追放とか処刑とかいう、お約束な結末になっていたというコトでは…………?


(…………あっぶねええぇぇーーーーっっ!!)


 よかった今思い出して!

 断罪直後の鬼畜ルートで前世がプレイバックなんてしてたらたまったもんじゃなかった。そんな状況で生き残れるほど私は強くありません。なんたってモブAですからねっ。


「……アヴィリア、どうしたの? 顔色が悪いわ」

「何!? やはりどこか具合でも……!!」

「ちちち、違います!」


 思わずあったかもしれない未来を想像して一人ベッドの上で震えていたら、それに気付いた両親が不安げに声をかけてきたので慌てて否定する。


「……み、みんなに心配をかけたみたいで……、悪いことしたなって、ちょっと反省してたんです……」


 これ以上下手に騒がれても困るし、幸い周りは喜んで受け入れてくれてることだもの。それを利用して今のうちに周りを気遣える“いい子”をちょっとでもアピールしておこう。バッドエンドまっぴらごめん。



 正直に言おう。

 ………………やるんじゃなかった。



「――――〜〜あなた! あなた聞きまして!? アヴィリアが! この子の口から反省なんて言葉が出ましてよ!?」

「ああ、聞いたとも! この子の頭には存在すらしないと思っていた言葉が! くぅ……、まさか聞ける日が来ようとは……っ」

「旦那様、奥様! 今日はなんとめでたい日なのでしょう!!」

「酒だ! 酒もってこい!」

「とっておきのやつ開けるぞーー!」

「「おおーーーー!」」


 …………いや、酷くね?(四度目)

 なに子供の豹変祝おうとしてんのよ。自分からやったくせにちょっぴり後悔した。



 その後もヒートアップした大人たちはなかなか止まらず、「もう疲れたので眠りたいです」と半ば無理やり部屋からご退場願うまで続いた。

 このままだとここでどんちゃん騒ぎ始めそうな勢いだった。

 あれ? 悪役転生って、こんなんだっけ……?

 なんだろう、この果てしなく溢れるコレジャナイ感は。私の知ってるのと違う。


(寝て起きたら全部夢でしたとか、ないかな……)


 わかってる、現実逃避だって。

 でもそう思ってしまうのも無理ないじゃない。扉の向こうからかすかに聞こえてくる沢山の人間がわいわいと騒ぐ賑やかな声を聞いてれば、誰だってそう思うわよ。


 あいつらガチで宴会始めやがったんですけど!?




 賑やかな声をBGMにベッドで横になる私の目は完全に虚ろだった。

 次に目を覚ましたら、いつもの景色が目の前に広がっていることを本気で神に祈った。


 心の底から夢オチ希望!


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