男の娘と男装の麗人が出会うだけの話

赤城其

前編 はじめてのお出かけとナンパ

 僕、犬飼京助は背が低い。


 小学生の時には似たような背格好だった同級生達が、中学校に進学して順調に大人への階段を登っていく中、僕の身体だけは微々たる変化しかみせてくれず、あっという間に列の先頭という大変不名誉な位置を頂くことになってしまった。

 それから数年、地元の高校へ進んでも相も変わらず見上げなければ同級生の顔を拝むのが難しい日々を送っている。しかし色々と不便なことは多々あるものの、そこは長年付き合ってきた自分の体。なんとなく折り合いもつくというもので。


 そんなある日、アニメが三度の飯より好きだと豪語する級友に、同人即売会なるイベントに付き合ってくれないかと熱弁を繰り広げながら誘われ、これも社会勉強とその誘いに乗ることにした。

 しかし、当日会場へ足を運んでも黒山の集団に揉まれるばかりでちっとも楽しくなかった僕は、熱狂している友人と別れて会場の裏手にある開けた場所で暇を持て余していた。


 そこへ現れたのは、おとぎ話に出てきそうな剣士姿の僕より頭一つ分くらい背が高いきれいな女の子。

 せめてここへ来た意味を作ろうと考えた僕は写真を撮らせてもらうべくおもむろに立ち上がって声をかけた。


 「いいですよ」と微笑みながら快く撮影を許可してくれた彼女。

 しかし整った小さな口から出た声は明らかに同性のそれで、驚愕に口をあんぐりと開けてしまう。


 現実にはありえない派手な緑に彩色された、艷やかでふんわりとした髪。その下に覗く髪色と同じ双眸は優しい輝きを湛え、小さいながらもはっきりと主張する鼻筋が背丈に見合わない幼さを醸し出す彼。

 僕の失礼な反応に怒ることはなく、むしろ気まずそうに「みんな驚くんですよねぇ」と手で頭を掻きながら笑っていた。


 そんな美少女然とした彼を前にして言葉が出なかった。

 ーー人ってこんなに変わることができるのかと。


 その後我に返って非礼を謝った僕は、これも何かの縁と話を聞かせてもらえることになった。


 彼の扮する人物が登場するアニメの事。

 女の子の格好をするようになった経緯。

 周りの反応などなど……。


 出会って間もないということもあって深くは聞けなかったけれど、隣に腰を下ろして時折楽しげに声を弾ませながら話す彼の充足感に満ちるその表情は、心の片隅にあった偏見を見事に打ち壊してしまうほど魅力溢れるものだった。

 そして別れ際、連絡先を交換する時に「君なら似合うんじゃないかな?」と彼から言われたことが決定打となって、コンプレックスがステータスへと生まれ変わる可能性を秘めた沼へずぶずぶと身を沈めていくことになる。



ーーーーーーーー



 それから季節が巡って高校二年目の春休み。

 身を切るように強かった寒風もすっかり身を潜め、どこか寂し気な姿を晒していた桜も鮮やかな桃色の花を纏っていた。

 

 僕はそんな心地の良い陽気の下を、白百合をあしらった純白のカチューシャが映える腰丈ほどの黒いウィッグを陽射しに煌めかせながらウキウキ気分で歩いている。

 何を隠そう今日は、女の子の格好をするようになってから初めて堂々と外出ができる日なのだ。今まで親の目を盗んでコソコソと部屋の中で満足せざるを得ない状況だったから、両親が不在という千載一遇のチャンスを逃すはずもなく、そそくさと着替えてから知り合いに遭遇しないよう用心に用心を重ねて隣町の商店街へ向かっていた。


 新緑を思わせるスカーフを首元に巻き、フリルが可愛さを引き立てる太もも中ほどまである白いワンピースをふわりと纏った少女……の格好をした僕は、傍から見れば背伸びをした小学生に見えなくもない。

 しかも男らしい部分が皆無で化粧をする必要のない柔肌と、自前のボーイソプラノが相まって幼さを助長しているような気もするけれど、以前なら自分の嫌なところ筆頭だったそれも事情が変われば長所に転ずるもので。

 女装経験が浅く、女の子らしい演技がまだまだの僕としては、急に話しかけられたりしてボロを出し男バレしてしまうのを一番恐れていたのだ。なのでいささか幼すぎるこの容姿は非常に都合が良かった。


 ……まあ、お巡りさんに声をかけられる可能性はあるんだけど、そんなことを考えたってキリがないし。


 母親の姿見を部屋に持ち込んで、慣れない服に袖を通して新品のウィッグを被った自分を見たときは、まるでTSしてしまったかのような変貌ぶりに、自分で言うのもあれなんだけど素直に可愛いと思ってしまった。

 インターネットで男が女装すると母親そっくりになってしまうという書き込みを目にしたことがあるんだけど、まさに自分もリビングに飾られている写真立ての中で慎ましく父さんの傍らにいる若かりし頃の母さんにそっくりで、この時ばかりは母さんを相手に選んでくれた父さんに手を合わせて感謝したっけ。



ーーーーーーーー



 異性の格好をして出歩くという新鮮でどこか気恥ずかしい体験と、ワンピースからちらちらと顔を出す白い太ももの間を抜けるそよ風のくすぐったさを楽しみながら歩いていると、目的地である商店街のアーチが見えてきた。

 せっかくだから買い物でもしていこうかな?

 この格好でどこまで通用するか試してみたいし。でもバレちゃ嫌だから仕草とか気を付けないとな。

 

「うわっ……」


 心を弾ませながら商店街へ足を踏み入れようとしていた僕は思わず足を止める。

 錆が目立つ大きなアーチの足元、その脇に備え付けられた自動販売機の前でコーヒー片手にいかにも所在無さそうな不良が三人たむろっていたのだ。


 ……よりにもよってこの格好で一番会いたくない連中に出会ってしまった。

 こういう輩に絡まれて万が一にも正体がバレてしまえば絶対弱みとして握られるに決まってる。バラされたくなければ親の口座から金出してこいってやつ。

 普段から絡まれやすい背格好なのは自覚してるから、見かけたらお近づきにならないように引き返したりしてたんだけど……。


 『俺はワルだぜッ!』と全身で主張しているだらしない格好の連中はすでに僕の存在に気付いているようで、格好の獲物を見つけたかのようにニキビ跡が目立ついかつい顔をニヤつかせていた。

 僕のことをまるで値踏みするように上から下まで舐める視線は全身に纏わりつくようで、得も言われぬ気持ち悪さにここで踵を返そうものならたちまち襲ってくるんじゃないかと心が警鐘を鳴らす。


 ドラマとかでよくこういうシーンをよく目にするけれど、こんなに怖いものだったなんて知らなかった。いや、身をもって体験してまで知りたくなかったけどさ。

 女の子って男の向ける視線に敏感だって聞いたことあるけど、なるほどこれは分かりやすいな。だってあいつとか絶対太もも見てるじゃんか、ご丁寧に鼻の下まで伸ばして……あーあ。

 僕が男だって知ったら一体どんな反応するんだろうか……いや、考えるのはやめとこう。

 とにかくこの場から逃げ出さないと……って今ヒール履いてたんだった。これじゃまとも走れないじゃないか。


「ねぇねぇそこの君」


 気にしてない風を装って通り過ぎれば案外絡んでこないかもという希望的観測も虚しく、太ももを見ていた不良が待ってましたといわんばかりに行く道を塞ぐようにして近づいてきた。


「な、なんでしょう?」


 無視すれば面倒なことになるのは必至だから震える声でなんとか返す。

 ちらと退路を確認しようと後ろを伺ったら残りの不良二人が軽薄な笑みを浮べて立っていた。


 用意周到なことで。


「いやぁ、あんまり可愛かったもんでつい声かけちゃった。君どこ中? 今一人なの?」


 まさかの中学生。

 どいつもこいつも僕よりも背が高いからてっきり年上だと……というかこの格好だと中学生に見られるんだな。


 危機的な状況にも関わらず頭の片隅でどうでもいいことを考えていた僕は、ズイと近寄ってきた不良の圧倒的な身長差とガタイの良さが加わった圧迫感に心臓がキュッと縮こまる。


「あの……急いでるんで」

「俺たちとカラオケ行こうよ」

「本当にそんな時間ないんです」

「そんなこと言わないでさー」


 おぉい! 人を勝手に撮影するな!


「ちょっと……!」

「じゃあちょっとだけ、ほんのちょっとだけでも良いから遊ぼうよ」


 助けを求めようにもさっきから通行人は僕たちを見ると避けるようにさっさと行っちゃうし。

 あっ! 待って、行かないで!


 ……あーあ、こんな時ドラマだったら見知らぬイケメンが颯爽と現れて救い出してくれるんだよな……と、馬鹿なことを考えてないでここは素直に警察を呼ぼう。

 面倒なことになりそうだけど、こんな奴らとは早くお別れしたい。


「すまない、遅くなってしまった」

「あ?誰だよお前」


「誰……か。それはもちろんーー」


 不意に後ろから外に晒していた肩へ腕を回されて、意を決してスマホを取り出そうとしていた僕はビクッと一瞬体を震わせてそのまま硬直する。


「ーーこの子の彼氏だが?」

「「か、彼氏ぃ!?」」「だとぉ!?」


 僕を抱いた男の、あまりにも埒外な発言に図らずも不良と声が被ってしまった。


「何か問題でもあるかな?」

「……ひうっ!」


 急に耳元で囁かれるようにして不良へ向かって放たれた、僕を優しく引き寄せている彼の言葉。男にしては少し高く、それでいて凛とした甘めの声は耳から直接脳髄を刺激するようで、全身を軽い電流が駆け巡っていく感覚に変な声が口を突いて漏れだした。


 僕たちと不良たちの間に流れる非常に気まずい沈黙。


「……ちっ、なんだよ彼氏持ちか」

「彼氏がいるんじゃしゃーねーな! ……おい、おめーら行くぞ!」

「末長く爆発しやがれお二人さん!」


「なっーー」


 その言いようのない雰囲気に、もはや暴力沙汰は避けられないと身構えていたけれど、不良たちはあっさりと……寧ろ青春を感じているような爽やかな顔をして「あばよっ」と商店街の奥へ消えてしまった。

 君たちも青春真っ盛りなはずじゃ……なんだその酸っぱそうな顔は。


 まあ、当座の危機は回避できたことだし、ここは素直に喜ぼう……って僕を助けてくれた人全然開放してくれないな。そろそろ恥ずかしいから離して欲しいんだけど。


「あっあの……すみません。良ければ離してもらえませんか?」


 「ああ済まない」とようやく解放された僕は、彼に正体を感づかれないように仕草に気を遣いながら一歩距離を取った。


 そして恐る恐る振り返った僕の目に映ったのは、黒いスラックスと日を受けて照り輝く革靴、ネクタイを締めたシワ一つ見当たらないワイシャツにベストという非常にシンプルでフォーマルな格好をした男性だった。

 ーーちなみに熱くなった顔を見られたくなかったから彼の胸元までしか確認できない。


「大丈夫か? ケガは?」

「はい……大丈夫です」


 助けられたからにはお礼をしなければならない。まずは相手の目を見て、満面の笑みを浮べて…………。

 恩には最大の謝辞をと巡らせていた思考は、彼の顔を見据えた瞬間に止まってしまった。


 な、なんだこのイケメンは!


 枝毛一本見当たらない墨のような黒髪を頭の後ろで纏めている彼の輪郭はまるで人形のように顎先まで綺麗なラインを描いており、長いまつげが頬に影を落としどこか憂いを感じさせながらも優しげ雰囲気を纏っている切れ長の目に湛える瞳は、見上げている僕が映り込みそうなほどに透き通ったコバルトブルーで、春の温かな陽射しを受けて宝石のように輝いている。

 それとは対照的にあまり男性らしくはない、筋は通っているけれどどことなく丸みを帯びていて決して高くない鼻と血色の良い形の整った唇が、彼が人工物ではないことを雄弁に物語っていた。


 ーー瞳の色から察するに外国人とのハーフなんだろうか。


 飲み込まれそうなほどの圧倒的な造形美で、これには神様に不平等を訴えざるを得ない……彼に二物も三物も与えるくらいなら僕に身長の一センチでもくれても良かったと思っても罰は当たらないと思う。

 ともかく、自分が知りうる限りのイケメンを思い浮かべても比較にならないほどで彼の顔から目を離すことが出来なかった。


「ーーおい、本当に大丈夫なのか?」

「はっ! ……ひゃ、ひゃい!!」


 ハッ……僕としたことが同性相手に惚けていたとでもいうのか。


 気づけば眉を潜めて怪訝そうな表情を浮かべる彼の顔が鼻先が触れそうなほどに近づいていて、ほのかに漂ってくるシトラスの清涼感溢れる香りに鼻がくすぐられて否応なく心臓を揺さぶられてしまった。


「本当か? 私を気遣って無理してるんじゃないんだろうな?」

「いえ!ほ、本当に大丈夫ですんで」


 なんだよこれ。

 本当にどうしちゃったんだ僕……。

 あああ……そんなに見つめないでくれぇ。


 彼の少々固い口調で気遣う度に揺れる瞳と、近くで感じる小さく吐息を漏らす口から一向に目が離せなくて思わず体が熱くなる。


 ーーもう無理っ!


「ごめんなさいっ!!」

「お、おい!」


 いつの間に壁際に寄りかかっていた僕は、これ以上目の前で醜態を晒すことに耐えきれなくなりウィッグがズレそうになるほどの勢いで深く一礼。そして引き留めようとする彼の手から逃れるように体勢を崩しながら脱兎の如く駆け出した。



ーーーーーーーー



「はっーーはっーーーー」


 人目も気にせずに逃げたせいでバテバテになった運動不足気味の体を休ませるために、車止めに腰を下ろして振り返ると、商店街のアーチが遥か遠くに見えるくらいまで小さくなっていた。


 ……物凄く失礼なことをしてしまった。でも仕方ないじゃないか。あんなイケメンに助けられて平常心を保てという方が無理な話だ。

 男の僕ですらドキッとさせられたんだから、これが女の子だったら一目惚れしてただろうな。

 それに今度から自分の匂いにも気をつけないと。あそこまで人に近づかれることなんてもう無いだろうけど、こんなナリして男臭いとか違和感しか無いもんな。……決して彼に匂いを嗅がれたことがショックだったわけじゃないぞ。


 精神的に疲れ果てた僕はもう遊ぶなんて気持ちにはなれず、しかも走ったせいで噴き出した汗てベトベトになったワンピースは所々に肌色が浮いているのが気になったので徐に立ち上がる。


 さっさと帰って着替えよう……昼と夜のご飯も準備しなきゃだし、親が帰ってくる前に洗濯も済ませなきゃ。

 あーあ、ウィッグもこんなに絡まっちゃって……これ解くの面倒なんだよな。


「あれ?」


 前髪を手鏡に映しながら玉を手に取ってため息をついた僕はとある違和感に首を傾げた。手鏡には乱れの目立つ黒いウィッグが映るだけで、そこにあるはずの対比が美しい白百合のカチューシャが見当たらなかったのだ。


 ーーここに来た時は確かに乗っかっていたはず。その後は……正直それどころじゃなくて全然気にする暇もなかったし……まさか逃げ出した時にでも落としてしまったのだろうか。

 まじか……凄く気に入ってたしすぐにでも探しに戻りたいけれど、失礼を働いた直後に彼とばったり再会なんてなったら気まずいどころじゃないしな……はぁ。


 正直散々な一日になってしまった。だからといってこの趣味を辞める気はないけれど、しばらくは大人しくしておいたほうが良さそうだ。

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