1-3

 アクスの言葉は、ソワにとって目から鱗が落ちる話だった。

 自分の赤い糸が見えないのは、誰とも繋がっていないのではなく、見えないだけかもしれない。

 今まで、糸が見えていることが当たり前だったものだから、運命の相手を探すということは、イコール糸を辿ることという考えしかなかった。しかし、よく考えればソワの両親は、糸など見えずとも運命の相手と出会っている。糸が見えることは、良縁を探すことに必須ではないのだ。

「あの……」

「はい。何でしょう」

腕組みして、いかにして自分の相手を探したものかと考えていたソワに、アクスが恐る恐る訊ねた。

「ソワさんは、学生なんですよね」

「見ての通りです。と言っても、あと一ヶ月足らずで卒業しますが」

田舎の学校にしては可愛いと評判の、チェック柄のプリーツスカートとも、もうすぐお別れである。少し名残惜しい気持ちになりながら、ソワは布の端を摘まんでみせた。膝丈のスカートから健康的な腿が少しだけ覗き、アクスはおろおろと目を泳がせた。それから、佇まいを直して真剣な顔で訊ねる。

「立ち入ったことを聞きますが、その後の進路は、もう決まっているんですか?」

「家が農家なので、その手伝いをしようかと。家督は兄が継ぎますが、人手はいくらあっても良いですし」

そんな答えを聞いたアクスは、意を決した顔で口を開いた。

「それじゃ――」

「見つけたぞ! ソワ・スレッド!」

アクスの声を遮って、男の怒鳴り声が公園に響いた。

「お前だろう、リリーをそそのかして俺と別れるよう仕向けたのは!」

息を切らしてソワを睨みつけてきた若い男は、ずかずかと大股で歩み寄ってくる。

「リリー……。ああ、リリーメル先輩ですか? そそのかしたわけではありません。相談されたので答えただけです。選んだのはリリーメル先輩自身です」

去年まで同じ学校に通っていた先輩の愛称を思い出し、ソワは首を振った。彼女は離れた町の大学に進学したのだが、高等学校時代から付き合っていた彼と最近馬が合わない、というような悩みを、先日帰省した際に相談された。確かに二人の糸は別の方向に向かっていたので、じゃあ別の人と付き合ってみればいいと答えたのだ。それだけだ。

 表情一つ変えず毅然と言い返す少女に、男は更に語気を強める。

「それを、そそのかしたって言うんだ! お前が何も言わなきゃ、俺たちはずっと幸せだったのに!」

男の言葉に、ソワの顔が曇った。それを見て、アクスが口を挟もうとした時だった。

「そうかもしれませんね。未来のことなんて、誰にもわかりませんから」

ソワの助言でカップルが成立するというのは、結果論の話だ。もしかすると、別の相手と結ばれても上手く行く場合もあるのかもしれない。それは、ずっと彼女に付き纏っている不安だった。だからソワは、基本的に相談された時と、良い結果が見える時しか答えない。

 しかし、自嘲気味に言った言葉を、男は皮肉に受け取ったようだった。「アンタと彼女が付き合い続けたところで、ずっと幸せかどうかなんてわからないじゃないか」というような。

「この女!」

激昂した男は、ソワの胸倉を掴んで殴りかかり、アクスが慌てて止めに入ろうとした時だった。

スペクルム

ソワが小さく呟いた。同時にソワと男の間に光る壁が出現し、男が数メートル吹っ飛んだ。

「すみません、思ったよりも吹き飛ばしてしまいました。……大きな怪我はしていないみたいですね、良かった」

静かに歩み寄り、見下ろす赤い髪の少女の顔を見て、

「ひっ……! 魔女! 魔女だ!」

男は腰を抜かし、ズルズルと尻で後ずさりして、四つん這いのような体勢で逃げていった。

「……今の、正当防衛ですよね。目撃者もいますし」

男の後ろ姿を見送りながら、ソワはぽつりと呟いた。


 再び静寂が戻った公園で、ソワは乱れた髪をかき上げてアクスのほうを向いた。

「すみません。それで、何でしたっけ」

その瞳は、普段の赤銅色ではなく、赤く妖しげな光を灯していた。

「今のは……魔法ですか?」

先ほどから驚きっぱなしのアクスは、おずおずと訊ねた。


 魔法は、遠い昔、太古から生きる竜によって人間に伝えられたという。とは言え、魔法を扱うには持って生まれた魔力量や才能によるところが大きく、誰でも使えるわけではない。しかも、真面目に学んで使えるようになったところで、他人に害を与える魔法の使用は、法律で禁止されている。

 電気や機械技術が発達した現在では、魔法は『使えるとちょっと便利な教養の一つ』という、外国語程度の認識だった。

 余談だが、スペクルムは敵の攻撃を反射するという魔法のため、相手に害意がなければ発動しない。故に、護身術として日常使用が認められている。

「はい。時々ああいう人に絡まれるので、魔法学の授業は真面目に受けました」

頷く頃には、ソワの目は元通り赤銅色に戻っていた。

「時々って……。大丈夫なんですか?」

「今のところは」

誰だって、想い人が他の誰かと幸せそうにしていたら妬ましくなる。ぶつけようのない悔しさの矛先が、たまにソワに向くのだ。

「まあ、その話はもういいです。何か言おうとしていましたよね」

気が早い冬の太陽が傾いてきたため、ソワは空を見上げて急かす。

「そ、そうでした。その……」

闖入者のせいで、一度は意を決したはずのアクスの心が揺らいでしまった。しかし、いつまでも彼女を寒空に立たせておくわけにも行かず、今度こそ決意を固め直して、口を開いた。

「もし、もしですよ。ソワさんさえ良かったら、一度首都に来てみませんか!?」

まるで、一世一代のプロポーズのようだ。他人の告白の現場を何度も見てきたソワはまず思い、それから言葉の意味を咀嚼した。

「首都、ですか」

同じアマラントという国の中にあるとは言え、首都アマリアは、大陸を横断する魔導機関車でも一晩は掛かる。言ってしまえば、アクスはその列車に乗って、一日がかりではるばるソワに相談をしに来たということになるわけだ。大した物好きである。

「あ、えっと、住むとか大袈裟なことではなくて……。僕の知り合いに、その筋では有名な魔術師の方がいるんです。もしかしたら、ソワさんの目のことが何かわかるかもって、思って」

先程の鏡の威力を見て、アクスはひとつ思い当たることがあった。

「確かに、専門家に診てもらうのは、興味があります」

もしかすると、ソワの特殊な目には魔法が関係しているかもしれない。ソワ自身も薄々思っていたことではあった。

「でも、首都に行くにはお金が掛かりますよね。家の手伝いで多少のお小遣いはありますが、さすがに首都を観光するほどの余裕はありません」

ソワだって、年頃の乙女だ。遠い都会に憧れることだってある。しかし、糸と共に必要以上に現実を見てしまう癖がついていた。そのうち行けることもあるだろう、と首を振ったが、

「旅費なら、僕が出しますよ!」

「えっ、でも……」

「今日のお礼もあります! 何せ、僕の人生を左右する相談に乗ってもらったんですから、それくらい出させてください! もし気に入ったなら、しばらく滞在するのもいいと思います!」

それくらい、という額ではないと思うのだが、とソワは思ったが、断ろうと見上げた瞳は、ソワの好きな蜂蜜の色をしていた。

「……綺麗な色の目ですね」

ソワは何の脈絡もなく、思ったことを正直に述べた。

「えっ? あ、ああ、ありがとうございます……。母譲りなんです」

いつの間にか目の前の少女の手を握っていたことに気付いたアクスが、顔を真っ赤にして慌てて離れ、目を泳がせながらマフラーで口元を隠した。

「そこまで言ってもらえるなら。……一度くらい、遠くに行ってみるのも悪くないかもしれません」

生涯の伴侶との出会い以外にも、運命というものはある。もしかすると、自分は首都に行くべきだというお告げのようなものかもしれない、とソワは思い直し、頷いた。

 快い返事にアクスの顔がぱあっと明るくなり、

「人の多いところに行けば、私の運命の相手にも出会えるかもしれませんし」

続いた言葉で、肩を落とした。


* * *


 暗くなってきたので、アクスはソワを彼女の家の傍まで送った。玄関先まで送るつもりだったが、何のやましいことをしていなくても、男と一緒に帰ってきたというだけで兄が何をしでかすかわからない、と深刻そうな表情でソワが言うので、彼女の家よりも少し手前の曲がり角で別れた。


 制服の少女の後ろ姿が見えなくなるまで見送った後、アクスはコートのポケットから、薄い長方形の端末を取り出した。まだ、あまり一般には流通していない、最新の携帯型電話機だった。

「俺だ。……やっぱり、この前の縁談は断ってくれ。悪いな。あと、携帯電話を一台、至急手配を頼む。それと……ひと月後の、魔導機関車の一等客車のチケットを二人分」

その声は、ソワと話している時よりも少し早口で、どこか事務的だった。

「え? ……ああ、もうすぐ春だからかな」

電話に答えながら、少女が消えた道を、アクスは愛おしそうに見つめた。

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