1-2

 十八になり、高等学校の卒業を控えた頃には、ソワは自分の指に赤い糸が現れることを諦めていた。

 反比例するように、周囲ではソワのアドバイスによりどんどんカップルが成立していた。噂は噂を呼び、大人や他の街の人間までもがソワを頼ってくるようになった。

 きっと他人を結び続けることこそが、神に定められし自分の運命なのだ。ソワは半ば自棄気味に、そう思い始めていた。


 そんな、冬の終わりのことだった。


 通学路の途中には、小さな公園があった。もう少し暖かくなると、今は枯れ木のような古木たちが、一斉に淡いピンク色の花を咲かせるようになる。ソワはふと立ち止まり、膨らみかけた蕾を愛でるように見上げた。すると、

「あの、すみません」

後ろから、声を掛けられた。男性の声だった。

「はい」

今や町一番の有名人と言っても過言ではなく、帰り道に突然話しかけられることにも慣れていたソワは、特に驚きもせず振り向いた。


 立っていたのは、背の高い若い男性だった。少し癖のある黒髪が眉下まで覆い、野暮ったい黒縁メガネを掛け、仕立ての良いコートを着ている。温かそうなマフラーに顎まで埋めた彼は、振り向いたソワを、眼鏡の下の金色の瞳で、呆けたように見ていた。

「……何でしょうか」

「えっ! ああ、あの、貴女が、運命の相手を教えてくれるという占い師のお嬢さんですか?」

はっと我に返り、寒いのか頬を染め、マフラーで口元を隠しながらもぞもぞと訊ねる青年。

「はい、多分……。あなたも、恋愛相談ですか?」

ソワは自分を占い師と称したことはなかったが、どうやら噂がねじ曲がり、そういう話になっているらしいと悟る。

「そ、そうです。この町の高等学校に通っている、真っ赤な髪をした女学生を訪ねろと、人から聞きまして……」

若い男性の相談者は珍しかった。彼らは大概、恥ずかしがったり意地を張ったりするので面倒くさいことこの上ない。ところが、この青年は違うようだった。ソワは、何やら挙動不審な男性の姿を、失礼にならない程度に観察する。

 学校帰りの女学生にいきなり声を掛けてくる男など、ややもすれば警察への通報案件であったが、ソワにはなんとなく、この男性が悪い人間ではないように思えた。

「とりあえず、そこの公園のベンチにでも座りましょうか。お代は温かい飲み物でいいです」

「えっ?! あ、はい」

さっさと公園の中に入っていくソワの後を、男性は慌てて追いかけた。


* * *


 公園の広場に来ていた移動販売車で、温かいミルクティーとコーヒーを買った青年が、ソワの腰かけたベンチに戻ってくる。

「ありがとうございます」

「こちらこそ、お時間をいただいてすみません」

ソワがミルクティーを受け取り礼を言うと、青年はぎこちなくソワの隣に座った。

 青年は、ホットコーヒーのカップで手を温めながら、どう切り出そうか悩んでいる様子だった。見かねて、ソワのほうから口を開いた。

「相談内容を、当てましょうか。……気の乗らない縁談を持ちかけられて、その縁談に乗るべきか悩んでいる。そんなところじゃないですか?」

湯気を立てるミルクティーをふうふうと吹き、一口飲んだソワは、足元に寄ってきた鳩に視線を向けながら、事もなげに言った。青年はソワの顔を見て、眼鏡の下の目を丸くした。

「どうしてわかったんですか? それが貴女の占いですか?」

「いえ、ただの推測です」

首を振るソワに、青年は不思議そうな顔をして首を傾げた。ソワは答える。

「家柄も地位もある若い男性が、首都からわざわざ私を訪ねてくるなんて、滅多にありませんから」

「僕、まだ何も話していないと思うんですが……」

どうして首都から来たとわかったのかと問う青年に、ソワは相変わらず表情を変えずに、淡々と続ける。

「仕立ての良い服を着ていらっしゃいますが、それが一張羅という感じではありません。ということは、裕福な生活をしている方だろうと。それに、言葉に訛りがなくて綺麗です。そういう人がたくさん住んでいる場所――つまり、首都から来たんだろうって、考えました」

 首都は、遠い昔には王族と貴族の住む街だった。故に、代々続く古く高貴な家柄の人間は、辺境伯などを除いてそのほとんどが首都に住んでいる。

「もう一つ言うと、この辺りの男性は、まだ学生の身分の年下の女に敬語など使いませんし、酔っ払いでもなければ『お嬢さん』なんて呼び方はしません。それが板に着いているところからも、きっと育ちの良い方なのだろうなと思いました」

「はあ……」

男性は、口を丸く開けて感心している。回りくどい珍客を捌くために、ソワが自然に身に着けた観察眼だった。

「身分の高い男性が、わざわざこんな田舎まで怪しい占いをする女の噂を頼ってくるなんて、よほど切羽詰まっていると考えられます。何か、今後の身の振り方について大きな決断を迫られている。それで、はじめに『運命の相手』と仰いましたから、縁談話を持ちかけられて結論を出し渋っているとか、そんなところだろうと推測しました」

ソワがすらすらと答えると、男性は後頭部を掻いて、嘆息した。

「その通りです。すごいですね。……親戚筋から家柄の良い娘さんを紹介されたのですが、どうも気が乗らなくて。そうしたら、各地を旅している知り合いから、お嬢さんのことを聞いて、藁にもすがる思いといいますか……」

「その、お嬢さんっていうのやめてもらえませんか。ただの農家の娘にはくすぐったいです。私のことは、ソワと呼んでください」

「ソワさんですか……。あ、僕はアクスといいます。名乗るのが遅れてすみません」

アクスは、目を細めてかみしめるように、ソワの名前を呟いた。その反応を気にも留めず、ソワは淡々と言う。

「結論から言うと……。その縁談、やめておいたほうがいいと思います。あなたの運命の相手じゃありません」

「えっ?」

「というか……。あなたの運命の相手は、もう死んでいるか、まだ生まれていません」

立て続けに重ねられた言葉に困惑したアクスは、自分のコーヒーを一口飲んでから、訊ねた。

「どうして、そう断言できるんですか?」

「……」

目を伏せ、ミルクティーの湖面を見つめて黙るソワ。アクスは、その横顔をじっと見つめていた。

「こんな話、信じる必要はないのですが……」

ソワは、アクスに赤い糸のことを話した。自分がどうやって他人同士の相性を見ているかということ、そしてアクスの指には、赤い糸がないことも。

「なるほど……。それなら、先方には申し訳ありませんが、縁談は断ったほうがよさそうですね」

アクスは、自分の左手を見つめながら、静かにそう言った。

「信じるんですか? 小娘の戯言ですよ?」

あまりにもあっさりと決断したアクスに、ソワは初めて表情を動かした。驚いて見開いたソワの赤い目と、アクスの金色の目が交差し、アクスは再び挙動不審になって目を逸らした。

「元々、縁談を断る理由を探していたんです。それに、ソワさんが嘘をついているようにも見えません」

カップをベンチの座面に置き、左手の小指を右手でさすりながら、アクスはそう答えた。

「そうですか……」

ソワは横目でそれを見ながら頷く。

「じゃあ、お話は終わりですね。ミルクティー、ご馳走様でした」

「えっ、あ、あの! もう一つだけ訊いてもいいですか?」

立ち上がって、飲み終わったカップをゴミ箱に捨てに行こうとしたソワを、アクスが呼び止めた。振り返ったソワに、少し逡巡してから訊ねる。

「初対面で不躾な質問だとは思うのですが……。ソワさんご自身の糸は、どなたと繋がっていらっしゃるのでしょうか。 あ、えっと……もし答えていただけるならで、構いません……」

またしても、口元を隠してもぞもぞと言うアクスに、ソワは、ふ、と微笑んで答えた。

「残念なことに、私の小指にも糸がないんですよ。お揃いですね」

「え!?」

「年頃になっても現れないので、もう諦めています」

他人事のように達観したことを言う少女に、アクスは身を乗り出して食い下がるように言った。

「それって! 自分の糸は見えないだけ、という可能性はありませんか!?」

言ってしまってから、急な大声に目を見開いて驚いているソワに気付いて、顔を赤くして俯いた。

「す、すみません。何も知らないのに変なことを言って」

「……その考えはありませんでした。言われてみれば、眼鏡も、掛けている時にはフレームがよく見えませんもんね」

「へっ?」

微妙にずれている気がする妙な例えで勝手に納得し、頷くソワ。今度はアクスが驚く番だった。

「もし、そうだとしたら……。私はどうやって自分の運命の相手を探せばいいんでしょう」

顎に指を当て、真剣に考えているソワに、アクスは恐る恐る発言した。

「……糸が見えていない普通の人みたいに、たくさんの人と出会って、気の合う人を探せばいいんじゃないですか……?」

「なるほど!」

ソワはパチンと指を鳴らして、その手があったと明るい表情でアクスを見上げた。冷静で物静かな少女の不意の笑顔を見て、アクスは固まった。

「どうしたんですか?」

「いえ! なんでもありません!」

ぶんぶんと首と手を振るアクス。ソワはその様子を見て、悪い人ではなさそうだがおかしな人だ、と認識を改めるのだった。

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