大農業都市四日市
鮎川秀一
第1話 プロローグ
壁に掲げられたシート状のテレビから心地の良い音楽とともにニュースが流れ始めた「おはようございます。本日最初のニュースは、戦争難民の栄養失調問題についてです・・・」
私は手を真横にスライドさせた。先ほどまでの色とりどりな壁は無機質な白い壁になり、心地の良い音楽は一瞬にして無音となった。最近は毎日、似たような話題からニュースが始まり飽き飽きしていた。これぐらいしか社会問題が起きなくなったのは、平和すぎるせいだろうか。この国の外では戦火が広がっているというのに・・・
時は2109年、先の大戦から続いた不安定な世界平和も終わりを迎え、三度目の世界大戦が始まった。今に思えば、これといった理由は無く、国同士の喧嘩が世界を巻き込んだに過ぎなかった。そのせいか、この大戦は始まって四十年も経っているのに未だ続いている。国々の折り合いの付け所が互いにわからなくなっているからだ。日本はといえば、先の大戦による敗戦からか、中立国としての立場を保ってきている。他の敗戦国である、ドイツとイタリアも同じく中立国となり、この三国にスイスを加えた四国が中立四国家として、大戦下の世界を支えている。中立四国家はそれぞれ役割があり、ドイツは世界のエネルギー系統、イタリアは難民の受け入れ引き渡しなどの管理、スイスは世界経済、そして我が国日本は世界食糧を担っている。
戦争勃発直後、日本の経済学者たちは輸入の制限または中止による食糧事情を問題視していた。また、戦争評論家たちは戦争の長期化を予見し、数年ではこの食糧問題は解決しないという結論を出した。当時の日本は食料の約80%を輸入で補っていたため、政府らはこの問題の早期解決を目的とした、ある計画を発表した。その計画はたった6年間で日本の食料自給率を上げることであった。単純明快でそして短期的なこの計画は、最も自給率が低い農産物の人工的で安定な栽培方法を確立し、普及することであった。この計画は後に「空腹の6年間」と呼ばれた。
「空腹の6年間」の主な内訳は、1・2年目は人工農産物の実用化研究の完遂、3・4年目はそれらを作るための施設・農場の建設、5・6年目に実稼働という計画である。1・2年目の研究は、国は他の一切の研究の援助を打ち切り、多くの植物研究者や研究機関に多大なる援助するものであった。他研究の人々は職を失うという問題が起きたが、彼らは国主導による植物学の講座を受け、多くが植物研究者として生まれ変わり研究機関へ人員投与された。1・2年目の計画が予定よりも早く完遂し、3・4年目の計画の施設・農場の候補地の選定が行われた。
戦争によって輸入が制限・中止されただけでなく、輸出も最低限に制限された。これにより、日本の輸出の多くを担っていた工業製品は大打撃を受け、倒産まで追い込まれた企業は少なくなかった。特に被害を受けたのは、テレビやカメラなどの娯楽系製品を作っていた企業で、こうした企業は主に三重県四日市市近辺に密集していた。最終的に、撤退や倒産が続き四日市は風化し、企業が残した工場が無人化した。こうした背景から3・4年目計画の候補地の一つとして自ずと四日市があがり、無人化からたった1ヶ月で施設建設や設備工事の人材であふれかえった。
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