U. N. Lost World: Re-resisting 作:皐月メイ

「マリアお嬢様、紅茶のご用意ができました。熱いのでお気を付けください」


「ありがとう、いただくわ」




 青く輝く空に幾筋の白雲の漂う晴天の下、執事服に似た燕尾のついたスーツを身に纏った麗人の給仕を受け、質素ながらも美しいドレスを身に纏った少女が紅茶を口にする。一陣の風が少女の美しい銀髪をたなびかせる。全てが完成された1枚の絵画のようである。周囲に異形の怪物たちの骸が積み重なっていることを除けば。






 27世紀の終わりごろ、突如として地球外からの侵略者が現れ世界各地で大規模な防衛戦線が敷かれた。防戦一方の人類は劣勢に立たされていたが、28世紀半ばにForeignersと名付けられた敵の鹵獲に成功し戦況は一転した。結成された人類連合はForeignersを解剖した結果として12種類の未確認の核酸を発見。彼らの弱点を突き止めることに成功した。


 29世紀初頭、拮抗していたパワーバランスが遂に人類サイドに傾いた。人類は神へと挑む禁忌を犯した。発見、解析された12種の核酸をUNA(Unknown Nucleic Acid)と命名し、遺伝子組み換え技術によって人体へと書き込んだのだ。ある者は翼を生やし大空を翔け、またある者は水中での活動時間を増加させるなど、人類は自らの力で疑似的な進化を重ねていった。


 29世紀末、鹵獲した宇宙船から敵母艦が土星のアステロイドベルト上にいることが判明、残り1億人を切った連合の上層部は最終決戦に全てを賭けることを決定した。人類に残された僅かな希望、亜人と呼ばれるようになった人体改造者から土星への突撃隊を募り、敵母艦を撃破するという特攻に近い作戦が掲げられた。西暦2947年の7月、旧ロシアのシベリアと呼ばれていた大地に建設された大規模飛行場から亜人317人を乗せた戦艦6艦が出港した。


 およそ250年にわたって続けられた戦争は、人類の勝利に終わった。しかし、戦後の荒れ地と化した地球にはあまり長い未来が残されていなかった。天然資源の枯渇、人類そのものの衰退、旧人類と亜人の間の不和、そして何より、Foreignersが戦争終盤で地球へとばらまいた未知の生命体によって人類の生存圏は地球上の10%にも満たないほどに縮小していたのだった。


 Monsterと呼ばれる一連の地球外生命体は言語こそ操ることはないものの、地球上の野生生物に比すれば驚くほどに高等な知性を有しており、また環境への強い適応能力もあり、放たれた土地の生命体を模した姿をとって進化するというとても厄介なものであった。


 現在、人類の安全がかろうじて確保されているのは旧イギリスと北部フランスに当たる一帯であるエウロパ、アフリカ大陸中部、サハラ砂漠の南に横長に広がるコンガリカ、旧アメリカ合衆国中部の砂漠地帯一帯を占めるセンタメリア、そして旧ロシアの南部、モンゴル高原付近の一帯にあるセブル・モロサの4地点のみだ。しかし、先の戦争にて人工衛星の大半が宇宙のデブリと化したためこの4地点を繋ぐのは国家規模での秘密回線のみである。




 このような事態に直面し、地球への見切りをつけた多くの亜人と一部の金持ちはその環境の悪さから開拓途上で打ち捨てられた火星へと移り住んだ。各国首脳をはじめとする多くの要人も地球を発ち、人類連合は空中分解を余儀なくされた。


 取り残された人々は一部有志のもとに結束し、エリアごとに纏まりを見せた。しかし、その結束も所詮は一般人の努力の結果に過ぎなかった。大半の者は自分を第一に行動し、“新政府”に付き従うものはあまり多くはなかった。力のある者の多くは弱者を虐げることで生計を立てていた。人類はもはや、弱肉強食の理の中にいた。


 西暦2996年、4エリアのトップとなった者たちが旧国家の回線によって連絡を取り合うことで、人類の生存圏を再び広げる計画が成立した。戦闘ギルドという組織をエリアごとで独自に発足させ、モンスターの討伐に応じて賞金を与えるという仕組みが整えられた。


 こうして人類再起を図っていたが、現実は非情であった。亜人の多くが火星へと逃げ出してしまった今、残された一般人たちでは少ない資源を振り絞って生存圏を維持することがやっとという状況が続いたまま———西暦は3000年の節目を迎えた。






~第一章 西暦3003年8月12日 翡翠の森 青空と赤牛~




 西暦3003年8月12日、旧ドイツ西部の平原地帯。天気は快晴。強風に乗って香る濃い血の香りと獣臭さに僅かに顔を顰めた女性の名はローザ・エーベルハイド・マリアベル。少女然とした姿とは裏腹に、最強格の亜人として数えられる一人である。質素ながら上品さを備えたドレスに身を包んだ彼女は服と同じ灰色の長髪と、戦場に立つにはあまりに幼く見えるその容姿が特徴的であった。




 グルアァァァァァ!




 突如、背後の森の中から体長5ⅿを超える牛に似た猛獣がその巨体に似合わぬ猛スピードで木々を薙ぎ倒しつつローザへと迫ってくる。しかし彼女は一切動じない。その姿を一瞥すると何事もなかったかのように紅茶の入ったカップを口へと運ぶ。


 巨大牛はローザの数メートル手前にて忽然と姿を消す。その場には固く握りこんだ右拳を突き出した状態の女性がいつの間にやら立っていた。すっと何事もなかったかのように女性が居住まいを正した直後、遠くの大地に5mを超える巨大な肉塊が激突して地面が揺れた。




「ありがとう、ユウカ。助かったわ」


「恐縮です」




 ユウカと呼ばれた女性の名はユウカ・サカガミ・ディラン。彼女もまた、世界最強の一角であると評される亜人だ。スーツとも執事服ともとれる不思議なデザインの黒服を身に纏ったスレンダーな女性だが、顔つきは端正であり醸し出す雰囲気も相俟って遠目には中性的にも見える。




「それにしても、ここらは牛が多くて嫌になるわね」




 ローザのそんな愚痴にユウカは申し訳ございませんと頭を下げた。




「もう、ユウカ」




 ローザは少し大げさに怒って見せる。




「いつも言ってるでしょ?私とあなたは同格なのよ。昔とは違うのだから畏まる必要はないのよ」




 そんなローザの言葉に目じりを下げたユウカは「いえ、しかし」と言って口ごもる。そんな反応を見てローザは説得を諦める。このやり取りは何回目かさえも分からない程に繰り返してきた。2人で過ごした半世紀と少し、本当に幾度となく繰り返してきた。




「それにしても、本当に牛が多いわね。誰か牧場でも開いたのかしら」




 くすくすと笑いながらもう一口、紅茶を味わう。同じく笑っていたユウカはしかし、突然真顔に戻ると軽い前傾姿勢をとった。そんなユウカの進路を右手で制したローザはティーカップを机に置くと、大きく伸びをしながら立ち上がった。




「あなたに任せっぱなしなのも悪いわ」




 ロングスカートの端を腰の金具に固定しながらはにかんで笑うローザにユウカはついつい見惚れてしまう。それに、とローザは続ける。




「最近、あなたに頼りっきりで太っちゃいそうなのよね」




 悪戯っぽく笑うローザを見て、これは折れないと感じたユウカは、かわりにティーセットを片付ける。そもそも、不死の亜人たるローザには食事など必要ない。体内でのエネルギー効率も限界まで上げてあるため太ることなんてまずありえない。


ローザが生まれてから75年弱一度たりとも彼女の傍を離れたことはないユウカだが、ローザが何を考えているのかはいつまでたっても謎のままだ。何も考えていないと言われても納得してしまう。それほどにローザという女性は真の感情を表に出さない。一見表情豊かな少女であるが、あの時から———彼女の両親がForeignerに殺されたあの日から彼女の表情は色を失った。幸か不幸か、社交界での最低限のマナーを叩き込まれていたローザにとって有象無象にばれないような笑顔を作るくらいのことは造作もなかった。しかし、だからこそというべきか、ユウカの目に彼女の無色透明な笑顔はひどく歪に映る。




突如、地面の一部が大きく抉れる。続いて強い衝撃が周囲のすべてを薙ぎ倒すが如く発生する。その衝撃に耐えきれず撤収途中だったテーブルが天板と脚に分離して数m後方へと吹き飛んでいった。あまりの衝撃にユウカは少しよろけてしまう。




「もう、周りを確認してくださいとあれ程進言しておりますのに」




 一連のプチ災害の犯人であるローザを思い浮かべながらユウカはひっそりと溜息を吐く。200mほど離れたところにある森が形を変えていく。ユウカは恐らくローザがいるであろう場所を見る。失われた聖書という本で読んだ、モーセという海を分断した現人神を思い出した。森が割れるように、荒れた一本道が形成されてゆく。




 真っ直ぐに進めば5秒とかからずにローザは獲物に接敵するだろう。正直、不死のローザを守る意味はない。それに、拳を交えたことこそないがユウカではローザに傷一つつけられるか怪しいと考えている。


 そんな彼女が死ぬ瞬間なんて想像もつかない。それでも、ユウカは常にローザの隣にいようと決めている。ローザ自身が認めてくれないが、ユウカはローザの従者なのだ。ローザが生まれた瞬間から今まで、彼女を———ローザだけを見続けてきた。先祖代々マリアベル家に仕えてきたとか、敬愛する曽祖父からローザのことを頼まれたとか、そんなことはついでに過ぎない。彼女を———ローザ・エーベルハイド・マリアベルを愛している。ただ、それだけだ。それがユウカの決めた悠久の寿命の使い方なのだ。




 薙ぎ払われた木々の先で一際大きな土煙が巻き起こる。ローザのパワーが相殺された。その異常事態に気が付くや否や、ユウカは飛ぶように現場へと駆け出した。




 30秒ほどして到着したユウカの目に飛び込んだのは、右腕の肘から先がなくなったローザであった。美しかった灰色のドレスはどす黒い色をした鮮血と目の前の異形の怪物から噴き出している青い体液に彩られ、見るも無残な姿となり果てている。これは洗濯しても落ちそうにない。赤い目を光らせて不気味に嗤うローザの姿を見て、ユウカはひっそりと肩を落とす。こうなった彼女は止められない。ユウカの経験則だった。




 気を取り直して目の前の異形をまじまじと観察する。他の牛型に比べればふた回りほど大きなその体躯は異様なほどに美しい紅であった。昔、映画という記録媒体で見たことがあるロデオというものに似ている。しかし、このロデオにかかっているのは男のプライドなんて安いものではない。2人と1匹の命だ。




「あら、ユウカ。来たのね」




 まるで何事もなかったかのように、ローザは右肩を回す。回復したばかりの右手の感覚を確認するように、グー、パーと手を動かしてみる。




 グルアァァァァァ!




 準備運動でもするかのようなローザの行動が癇に障ったのか、赤牛は鼻息荒くローザへと突進していく。初速から既にユウカの目には追えない速度であった。しかしユウカが次に捉えたとき、赤牛はローザの目前でピタリと静止していた。ローザの左手が赤牛の頭を押さえつけている。華奢で白磁のように透き通った色をしていた腕には赤黒い血管が巻き付くように浮かんでおり、グロテスクな見た目は一種の背徳的な美を感じさせた。




「ユウカ、核をお願い」




「……っは、はい。お嬢様」




 戦闘中に———それも未知の敵との交戦中に別のことに気を取られていた。油断していたつもりはなかったが、これまたずいぶんと平和ボケしてしまったものだ。そんな考えがユウカの脳裏をよぎった。


 しかし、そんなことは一切悟られてはならない。全細胞を硬質化させることで肌が赤くなるのを防止する。そのまま、牛型Monsterの核がある腹部に突き刺すような拳を叩き込む。


 パリンッ、というガラスや水晶なんかが割れるような、形容のし難い感触を突き出した拳に感じた。




それも2つ。




「お嬢様、お気を付けを。マザータイプのようです」




 常に冷静沈着なユウカらしからぬ焦燥感の籠った声。状況を理解したローザは舌打ちとともに顔を少しだけ歪ませる。




「何十年ぶりかしら……厄介ね」




 マザータイプ。名前の通りMonsterを生み出す特殊個体。その仕組みは未だ明らかとなっていないが、体内に無数の核を有しているのが特徴である。その数は確認されている範囲で7~40弱と個体によってまちまちである。


 しかし、核が多い程度のことは彼女たち2人にとってはさして問題とならない。ただ少しだけ倒すのに時間がかかるくらいの細事だ。ローザが顔を歪ませた理由はマザータイプのもうひとつの特性に由来する。




「ユウカ、今何個くらい破壊できたのかしら?」




 赤牛の腹部に打撃を打ち続けていたユウカにローザが呼びかける。




「———っつ、……現在11個の破壊を確認。ほぼ一発ごとに1個破壊しています」




「……念のために聞いておくわ。あなた、核の場所が見えていたかしら?」




「……いえ、適当に殴りつけております」




 苦々しい表情のままさらにもう一発、打撃をお見舞いする。感触的に2つの核を破壊できたことをローザに伝える。




「……うぐっ———ユウカ、30秒……いえ、10秒でいいわ。代わりにこいつを足止めしてもらえる?」




 余裕なさげなローザの声を聴いてそちらに顔を向ける。彼女の目は漆黒の夜空に紅の月を浮かべたような、およそ人類から———それどころか、もはや地球上の生物からかけ離れた見た目になっていた。水晶体の急激な壊死。瞳の血管の膨張。彼女の脳のストッパーが外された。ローザが本気を出している。その事実がこの赤牛の強さを物語っている。彼女が全力を尽くしたのは今までたった2度。決して彼女が怠惰なわけではない。彼女が最強の名を冠する理由の一端である。




「了解しました……マリアお嬢様、どうかご無事で」




 ほぼノータイムでローザの後ろに回り込んだユウカは両手を赤牛の額に当てて構える。目を閉じた瞬間、彼女の肌が太陽の光を受けて輝きだす。それは白い肌を褒めそやすための比喩などでは決してない。彼女の肌が薄く、鈍い鉛色を帯びた。これこそがユウカの力である。全ての細胞膜に高濃度の金属元素が含まれている。その硬度を自由に変化させることで攻撃と防御を両立させている。その硬度の限界は未知数だ。少なくとも大気圏の突破には成功したため耐熱性能は抜群のようだ。




 あなたこそ、無茶だと思ったら引きなさいよ、という忠告とも心配ともとれる言葉をかけたのち、ユウカの懐を離れたローザは軽い調子で10m以上はある崖の上へと飛び上がる。彼女のいた場所には縦に深い窪みが出来上がっていた。力をうまくコントロールすることで近くにいたユウカへの衝撃を最小限に抑えたのだろう。加減ができるのならば常に気を配ってほしいものだ。そう感じるものの口には出さない。否、口が開かない。正真正銘全力を出しているユウカには口周りの細胞だけ軟化させるなんて器用なまねはできない。そもそも、舌がないと言葉は発せないと聞いたことがある。声を出すのに必要な器官なんてユウカにはわからないし、今後フルパワーで硬化しながら話す機会なんてないだろう。




 ヒュン———グシャッ———ダァン




 そんな不自然な音と地震に近い揺れとともにユウカの眼前の赤牛の背中から幾筋かの青い噴水が噴き出る。細かな何かが天空から降り注いでいることだけはかろうじて確認できた。その数は瞬く間に20を超え、30に届きそうというところで一際大きな何かが赤牛に激突する。


 赤牛が顔だけを残してひしゃげた肉塊となり果てたのを見て、ユウカは慌てて高質化を緩め、千切れ飛んで行った赤牛の頭を踵で完全に潰してしまう。4個の核が割れた感覚が右足を通して伝わってくる。これできっと赤牛の核は割り切った。そんな戦闘後特有の直感を頼りに警戒を解くと、ユウカは赤牛の死体のほうへと歩いていく。




 青い体液が大きな水溜まりを広げている肉塊の中心だけ、明らかに異質な赤色の液体が流れ出ている。そこには、上半身だけのローザが虚ろな目で横たわっていた。右腕も中ほどからなくなっており、左腕は関節の限界を超えて曲がっていた。




「あら、ユウカ無事だったようね。よかったわ」




 見るに堪えない程に痛々しい姿になり果てたローザが、まるで何事もなかったかのようにユウカへと話しかける。




「……お嬢様……私はご無事で、と言ったはずです。そのお姿は何度見てもご無事には見えないのですが……」




 溜息を吐きつつ、ユウカも日常会話とさして変わらないノリでローザへと語り掛ける。




「あら、私は無事よ。ほら、ユウカのことも覚えているわ」




 そう言ってユウカに笑いかけたローザは既に上半身の修復の大半を終えていた。不気味な紅と黒の瞳も元の深い緑色に戻っている。初夏の新緑を彷彿とさせる澄んだ翡翠色の瞳に吸い込まれそうになったことを隠すように、ユウカは空を見上げた。本来は木々の隙間から漏れ出る程度にしか見えていなかった空は先程の戦闘で遮るものを失っており、雲ひとつない快晴の空を見上げ続けていると、果たして今自分は空を見上げているのか、はたまた見下ろしているのか、次第にわからなくなってくる。




「快晴ってきっと、こういう空を言うのね」




 穏やかな調子でローザが呟く。放心状態に近かったユウカは消え入るような小ささで、はいとだけ答えた。




 一筋の風が頬を撫でる。木々がざわざわと賑やかす。何処からか川のせせらぎが聞こえる。鉄と獣の臭いの隙間を縫うように香る自然の素朴なフレグランス。再生を終えたローザは暫し日光浴に興じるのだった。








                            To be continued…

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