第127話
しんとした体育館に、ボールが定期的にバウンドする音だけが響き渡っている。
だむ。
だむ。
これだけで、ちょっと運動出来た気になるので良い気分だよ。苦しゅうない。
「シュートはこのラインの外からね」
この線より外から打つのが、俗に言うスリーポイントシュートなんだと義弥に教えてもらう。
「三本ずつシュートを打って、より多く入った方の勝ち、でどう」
「それでいいよ。あと、ハンデは無しで」
でないと、やる意味がない。
本気でぶつかってやる。
「そんなこと言っていいの? 僕、結構上手い自信あるけど」
「……」
ちょっと!
気が変わりそうなこと言うな!
「い、いい。いい! 俺だって、人並みには出来るから!」
「……咲也が言うならいいけどね」
実際、義弥ほどではないが、運動神経は良いつもりだ。
腐っても悪役令息。舐めるなよ。
普段は義弥が目立ちすぎて霞んでるけど、実力は拮抗してる……はず。
「ギャラリーが増える前に始めようか」
壁に備え付けられた時計を見る。
げ。もう昼休みが半分くらい過ぎてるじゃん。
そろそろ、ご飯を食べ終えた男子たちが遊びにやってくる頃合いだ。
こんなところ見られたら、きっと瞬く間に話が広がって、学年の女子たちが大挙してやってきてしまうかも。
おまけに、義弥は衆目で恥を晒してしまう……かどうかはさておき。
遅かれ早かれギャラリーは集まってくる。
早く始めるに越したことはないね。
「じゃあ、俺からいくけど」
義弥から受け取ったボールが手元にあるし。
彼も異議は唱えなかったので、俺はボールをだむだむと床と手の間で往復させながら、ラインの前まで足を進める。
「咲也」
呼び止められた。
「何さ」
「……いや、何でもないよ」
気になる言い方しないでよ。
もしかして、揺さぶりをかけてる?
まさかね。
義弥はいつもフラットな人間だ。
誰に対しても。嫌味なくらいに。
「ふー……」
集中。
おそらく——いや違う。確信を持って言える。義弥は三本全て成功させるだろう。
つまり俺は初めから一回も外せないという恐ろしい難易度での挑戦ってことになるんだよね。
勝負を吹っかけておいてなんだけど、過酷だなあ。
でも、
「……ほっ」
俺の打ったシュートは、弧を描いてゴールのフレームにぶつかりながらも何とかゴールネットを潜ってくれた。
「へえ、やるね」
「もっと褒めてもいいよ」
「咲也にしてはやるね」
「褒めろよ」
「次は僕の番だね」
「……」
……。
義弥はゴールの方をじっと見つめたかと思うと、綺麗なフォームでボールを放った。
音もなく。
気づいたらバスケットボールはゴール下で跳ねていたのだった。
「これで同点だね」
「けっ」
……。
そして。
お互いに二回目のシュートもゴールした俺たちは、同点のまま三打目を迎えた。
しかし、
「きゃあ! 義弥様!」
「義弥様が咲也様とバスケで勝負なさってるんですって!」
「あら! 見て! いまこちらをご覧になりましたわ!」
ギャラリーが増えてきていた。
予想通り、主にいるのは女子生徒たち。
きっと、体育館で遊びにきた男子生徒が面白そうだと触れ回ったに違いない。
あとでソイツの鼻には、俺の熟成された上履きを括りつけてあげよう。
というわけで、館内は騒がしくなってきていた。
「咲也さん、義弥なんてボコボコにしてあげなさいな!」
なぜか亜梨沙もいるし。
思い返せば、ここに義弥がいるという情報源は彼女だったわけだから、当たり前の話なんだけどね。
ツインテールをぴょこぴょこ跳ばしながら、彼女は熱の入った応援を送ってくれるが、はたして兄の扱いはそれでいいの?
ねえ?
そして、
「……」
隣には希空と真冬も立っていた。
不意にラスボスと目が合う。
「頑張って」と、口だけ動かして伝えてくる。
顔が熱くなって目を逸らした。
「随分と賑やかになってきたね」
「そうだな」
「緊張してきたかい?」
していないわけがない。
だって、俺だよ。
いま何かまとまった言葉を喋れと言われたら、初手から噛み噛みになるのが目に見えているくらいだからね。
それでも、俺はゲーム上の悪役だった存在。
主人公陣営から見て嫌な展開に持っていく、それだけのための存在だったわけで。
単に負けるだけで終わる明前咲也ではないはずなのだ。
不思議と身体の緊張は解けていた。
ここで俺が三球目を外さなければ、義弥にとってこれ以上のプレッシャーはない。
絶対に外せない。
委員長のためにも。
義弥のためにも。
さらに、こちらのことをじっと見つめる彼女のためにも。
この一球は、絶対無二の一球なのだ。
「……」
集中していると、段々と周囲のざわめきが小さくなって。
小さくなって。
小さくなって。
小さく——タイミングを計って俺はシュートを打った。
「……よし!」
やった! 入った!
瞬間、歓声が上がった。……男子の声のが圧倒的に大きいけど。
何でよ。
というか、急に館内に喧騒が戻ってきたような感覚だ。
ここ、こんなにうるさかったっけ?
人が本気で集中すると、こうなるんだね。
と。
今はそれは置いておこう。
目だけ動かして、真冬の方を見る。
ぱちりと、視線がぶつかった。
彼女は目尻を下げて一言、「やりましたね」と言った。
「やるね。咲也がこんな衆目の中、シュートを決められるなんて思ってなかったよ」
どういう意味だよ。
「俺だってやる時はやるんだよ」
「……そうだね」
「義弥?」
「君はいつだってそうだったと、そんなことを思っただけさ」
一瞬、その表情に影が差したように思えたが、義弥は「よし、次は僕の番だね」と誤魔化すように言うと、ボールを拾いに行ってしまった。
まるで、何事もなかったかのように。
しかし、その途中、
「そうだ、咲也」
彼は立ち止まる。
「何さ?」
「これで僕が決めたらどうしようか?」
サドンデス有りにするかい? と彼は続ける。
「当たり前だろ。ここまで来たら」
白黒はっきりつけよう。
じゃないとお互い納得出来ないでしょ。
「そうだね」
それがいいね、と。
彼は意味深に呟いた。
ラインの前で位置取ると、珍しく義弥は目を閉じて集中しているようだった。
普段は何でもそつなくこなすからこそ、こういう彼の姿はとても新鮮に映る。
周りも同じようで、歓声(主に女子の)が響き渡った。何でアイツの時だけ……。
はあ、と悔し紛れにその声の方向へ目線を向けると、視界の端に委員長らしき姿が見えたような気がした。
しかし、それを確認しようとした矢先、
「あら! 義弥様がシュートを打たれますわ!」
誰かの声が響く。
思わず彼女のいたであろう方向から目を離して振り返ると、確かに義弥はシュートを放つ体勢に移行しようとしていた。
ここから——
「…………」
時間の流れがゆっくりになったようだった。
まるでスローモーション再生のような。
これは、ゴールに入るな。
直感だった。
このままサドンデスになったら、勝てる見込みはまずないだろう。
つまり俺の負けなのだ。
……悔しい。
おもむろに、義弥が膝を曲げる。
シュートが、放たれる。
その瞬間を見たくなくて、目を閉じようとした。
その時だった。
近くで誰かの声がした。
「あら見て! 咲也さんの上履き、とても汚れていますわ!」
言葉は波紋のように周りに広がり、一気に現実に引き戻された。
義弥は、俺の足元を一瞥して——
「あ」
——思わず顔を緩めた。
結果、手元からボールがすっぽ抜けた。
「あ……」
当然ながらそれがゴールを潜ることはなく、緩く宙を飛んだそれは、ポンポンと手前に落ちてバウンドし、壁に当たるとやがて止まった。
「……」
「…………」
「……」
「……えっと」
居た堪れない!
「……よ、義弥?」
これは、悪役補正ってやつなのかしら?
だとしても、上履きの汚い悪役ってのは嫌だなあ……。
嘘のように静まり返る体育館の中、茫然としている義弥の顔を見ながら、そんなことを思ったのだった。
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