第105話
五月を迎えて間もないその日は、春なのに凍えるように寒かった。
午後からは季節外れの雪も降り始めて、窓から外を眺める者に驚きと期待を抱かせていた。
しかし、結局落ちてきたのは、ぱらつく程度の淡雪で、「もしかして積もってくれるかな」という一抹の期待も、地面に落ちた雪のようにすぐ溶けてなくなってしまったようだ。
俺はというと、いつもの特別教室でお茶を飲みながら、綾小路君がくるのを待っていた。
週に一度の座談会の日である。
体育祭も控えているし、あまり時間が取れないのが心苦しいのだが、「こうした場を設けてくれるだけでも嬉しい」と言ってくれたので、ならばとその厚意に甘えて現在はクラス優先で予定を立てている。
ずずず、とコップから飲み物を啜りながら、窓の外を眺めていると、なんとも不思議な気分になった。
昔——前世でも、こうして病室の窓から雪が降るのを眺めたことが何度かある。
決まって、そういう日は見舞客も少なく、院内がしんと静まり返る。まるで、この世ではないどこかに一人だけ取り残されたような気がして、嫌だった。
今は、一人でこうしているのに寂しさをあまり感じない。
不思議だよね。
しかし、寒い。
こういう時、義弥がいてくれればなあ……。別にストーブのこと義弥とは思っていないけどね。うん。
俺の能力って、たしかに珍しいのかもしれないけど、攻撃力ゼロだから戦力としてはカウント出来ないんだよね。ヒーラーというポジションも、RPGよろしく冒険に出るパーティとかならまだしも、普通の学生という立場では使いどころがあまりない。
学園で能力を活かせる場所というと、保健委員くらいだろう。それも、副委員長になってしまった今となっては厳しい。
流石に掛け持ちはキツいよねえ〜。
「……」
話は変わるけど、能力といえばずっと気になっていたことがあるんだよね。
この力、一体何をエネルギーにしているんだろう。連続で使い続けていると消耗はするんだけども、力の枯渇とかはするのかな。
ゲームでいうMP的な概念はあるのかしら。あっても現段階で数値化出来は何かもないわけだから、深く考えたところであまり意味はないんだけどさ。
でも、奥深い。
同級生を見ていると、ゲームには出てこないけど、実に色んな種類の能力があることがわかる。
一体、他にはどんな能力があるんだろう。
カー○ィみたく他人の能力をコピーしたり、孫悟○みたく瞬間移動が出来たりもするんだろうか。
考えれば考えるほど、謎だ。
でも、この世界では当たり前のように受け入れられている。
そういうものなんだろうと割り切れると気が楽なんだけど、悪役として生まれた以上、自分の生存率を少しでも上げるためには、せめて能力の原理みたいなものは押さえておきたい。
俺の能力だって「治癒」だけど、実は性質の似ている別のものである可能性は捨てきれない。
それどころか、ゲームの世界という前提で考えると、とある条件下で全く別のものに変化したり、能力が進化する可能性だってあるかもしれないのだ。
考えがドツボにハマっていく感じがする。能力について分かってることって、少ないよなあ。
ふーむ。俺は思わず唸ってしまう。
すると、
「こんにちは、咲也先輩」
「お疲れ様〜」
良いタイミングで綾小路君が教室に入ってきた。
まとまらない考えを一旦隅に追いやり、入口にいる彼を手招く。
「紅茶で良かったかな?」
「はい。ありがとうございます」
カップにティーパックを入れてから、電気ポットのお湯を注ぐ。サロンにあるティーセットを持ってきてお茶を淹れてもいいのだけど、俺はこの手軽に飲めるインスタントが結構好きだ。
「ふう、何だかこの味にも慣れてきました」
一口啜った綾小路君が呟く。
初めは飲むのを躊躇っていたのに、人は慣れる生き物です。
「君にもこの大人の味が分かるようになったか……あ、そうだ」
俺は鞄から「あるもの」を取り出し、彼に向かって差し出した。
「これ、今週の分。忘れないうちに」
「……いつもありがたいです」
綾小路君は「それ」——週刊少年雑誌を素早い動きで受け取る。
中等部に入ってから、我が家の厳格なルールは少しだけ緩和され、ついに漫画の購入が許可されるようになった。
さっそく、俺は毎週月曜日に発売されるそれを購入し始めた。が、当然学校の教室でなんて読めないし、かといって家まで読むのを待つのはもどかしい。
だから、放課後に特別教室で読むことにしたのだが、ある時、その場面を綾小路君に見つかってしまったのだ。
彼は興味深そうに「どういうものか読んでみたい」と聞いてきた。
流石に俺も悩んだよ。
良いとこのお坊ちゃんだし。相手の家に内緒で読ませて良いのかってね。
でも、別に(俺から見て)不健全な漫画は連載されていないし、彼はフィクションであることの分別がきちんとつけられる聡明さもある——ということで、この相談の時間に限って貸してあげることにしたのだ。
当然、綾小路君も俺も、連載途中から読み始めた作品ばかりだけど、それなりに楽しんで読めている。
あらすじって、こういう時に優秀だ。
「今週はどの作品も面白かったよ」
「ネタバレはしないでくださいよ」
はいはい、分かってますって。
彼は、俺から雑誌を受け取ると、すぐさま一番後ろのページを開き、じっとそれを見た後、パラパラと雑誌をめくって真ん中辺りから読み始めた。
いるよね〜。自分の好きな作品がどこにあるか見て、そこから読む人。
俺? 俺は前から順に読むタイプです。
綾小路君は、能力ものの漫画が好きみたいだ。能力を持つ人がたくさんいるこの世界でも、やはり能力ものの作品というのは人気なのね。
ちなみに真ん中より後ろには、(俺から見て)少しだけエッチなラブコメディも連載されております。
もちろん、俺は人生の教科書として家でこっそり読んでいますが、彼はそちらに興味はないようです。
そんなことないと思うんだけどなあ。
さすがに先輩の前でそういった作品を読むのは恥ずかしいと、興味なさげにしているだけだと俺は勝手に思っている。
だから、「別に気にせず読んでいいんだよ」と、言外に込めた眼差しで微笑ましく見守っているのだ。いつか、彼に通じることを信じてね。
……。
やがて、数作品をつまみ食いのように読み終えた綾小路君は、顔を上げて、
「今週も中々面白いですね」
と、にっこり笑った。
「熱い展開だったね。特に、あの脇役が能力を覚醒させたところとか」
「あそこは手に汗握りました。まさか彼が一番すごい能力の持ち主だったなんて……」
やっぱり友情、努力、勝利だよね。
能力のある世界であっても、男子は能力をもって悪に立ち向かう作品が好きなのだ。
俺も、例に漏れずバトルものの漫画が好きだ。それは、自分の能力が戦闘向きではないことを一番に分かってるからこそ、そういう作品に憧れを抱いているんだろうと分析している。
きっと、綾小路君も似た感じではないだろうか。意外と俺たちって似た者同士かもしれない。
「ふう、話してると喉が乾くね。綾小路君、おかわりはいる?」
「あ、それじゃあいただきます」
一通り感想を言い合ったところで喉が渇いてきたので、俺はお茶のおかわりを淹れるために立ち上がる。
お湯を入れて、ティーパックを沈める。少しずつ、少しずつ色付いていく二つのカップを眺めながら、
「漫画みたいに、他人の能力が使えたらなあ……」
思わず呟く。
「……そうですね。でも、所詮は、漫画ですから」
苦笑いされてしまった。
俺よりも、綾小路君の方がそう思う気持ちは強いだろうに。気を遣わせてしまったかもしれない。
一言謝って、漫画から話題を変える。
それから時間までは、いつも話しているような学校生活でのことを中心に、雑談に興じたのだった。
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