第53話

 姉様の卒業式を終えて二週間も経つと、あっという間に新学期を迎えた。あれだけ号泣したのに大した余韻もなく、時の流れって早いよね。

 五年生になると、再びクラス替えがある。来年はクラス替えがないので、今回同じクラスになった子達と、そのまま卒業まで一緒というわけだ。

 俺にとっては、運命の瞬間である。

 昇降口には、すでにクラス表が張り出されているので、そっと遠回りして、人目につかない柱の影からチェックする。三年のクラス替えで、クラス表を見にきた俺の進行方向に人の波が割れた時のことを思い出す。

 またモーゼのようになるのはこりごりだったので、今回はそうならないようこっそりと見ることにしたというわけだ。

 そっと。

 そーっと——


「咲也先輩?」

「ひょっ!」


 後ろから突然声をかけられ、飛び上がる。

 振り返ると、キョトンと不思議そうに首を傾げる真冬がいた。


「ひょ?」

「な、なんでもない。おはよう、真冬さん」

「はい。咲也先輩、ごきげんよう」

「えっと、なぜここに?」


 昇降口の端で、人目につかない場所にわざわざ生徒なんて普通いないからこそ、ここを選んだというのに。

 よく俺がいることに気づいたね。


「それはこちらの台詞ですよ。どうしてこんな隅にいらっしゃるのですか?」

「いやあ……」


 簡単に事情を説明すると、


「咲也先輩は本当に謙虚ですね。皆さんの意思で道を開けてるわけですし、お気になさる必要はないと思います」


 真冬はいくらか呆れた様子でそう言った。


「でも、咲也先輩のそういうところ、嫌いじゃないですよ」

「えっ、マジで?」


 御曹司っぽくない行動であるのは事実だし、父様みたく情けないと言ってくるものかと思ってた。

 好意的に考えてくれているなら、それはそれで嬉しいけどさ。

 俺が何を考えているかを察したのか、くすくすと真冬は笑った。


「はい。私はそこが咲也先輩の優しさだと思います」

「優しさか。あまり言われたことはなかったかも」

「そうですか? 多分皆さん口に出さないだけで、同じことを思っている人は多いと思いますよ」

「へえ、そうかな」


 不思議な気分だ。それに、わずかに気恥ずかしさが混じる。

 ちょっと話題を変えたい。

 何かないか、そう思っていたら、ふと思い出した。


「そうだ。クラス表」

「あら、まだ確認してなかったんですか? ずっと見てらしたので、てっきりもう確認したのかと思ってました」

「ここ遠くて見づらいからさ」

「本当になぜこんな隅を選んだんですか……」


 いいじゃない。隅っこ好きなんだよ。

 真冬に断りを入れて、柱の影からにゅっと首を伸ばすと、クラス表の方をじっと確認する。

 うーん。

 どこだろう、俺の名前。

 め、め、め……。


「あ!」


 あった。次にそのまま視線を上下させ、同じクラスのメンバーが誰なのか確認する。


「お名前、ありましたか?」

「ああ、しかも今年は義弥と一緒だ!」


 やった! これでぼっちにはならない。


「良かったですね、咲也先輩」

「うん、ありがとう真冬さん! これで一人にならなくて済む!」

「……それはあまり聞きたくなかったです」


 複雑そうな表情の真冬はともかく。

 無事にクラスの確認を終えたので、下駄箱で靴を履き替えて、真冬と一緒に教室へ向かう。

 今年は俺は五年になったので、彼女と教室のあるフロアが変わってしまった。そのため、一緒に歩けるのは下駄箱から中央階段までの僅かな間だったが、会話は途切れなかったし、それなりに楽しく話せたと思う。

 真冬と出会ってから、もう五年ほどか。彼女が闇堕ちすることがないよう、初等部入学時からかなり頻繁に交流を持ってきた。

 おかげさまで、現時点で彼女のコンプレックスは、そこまで大きく膨らんでいないように見えるんだよね。

 あくまで俺から見た主観だが、姉の希空との関係についてもそこまで悪化していないようで、姉妹でどこどこに出かけたというような話をサロンでよく耳にするのも大きい。

 この調子で、良好な関係を維持し続けることが出来れば、彼女が闇堕ちする可能性は低くなる。つまり、俺が死ぬルートのうち、最も可能性の高いものが一つ潰れるかもしれないということだ。

 これは僥倖……。


「ふ、ふふふ……」

「さ、咲也先輩?」

「おっと失礼」


 いけない。つい笑みを漏らしてしまった。

 気をつけないと。ただでさえ、隙がありすぎてあられもない噂が流れるのだから。

 それはさておき。

 隣を歩く真冬をちらりと伺う。綺麗な黒髪は姉譲りだが、わずかにパーマがかっていて、そこだけストレートの希空とは対照的だ。姉同様、良い匂いがする。

 昇降口からとはいえ、男子からの人気が高い真冬と朝から一緒に通えるなんて、周りからすればとても羨ましい状況だろう。

 下世話な話をすれば、俺としても小動物的な可愛らしい真冬に慕われて、嬉しくないわけがない。

 ぐふふ。


「ぐふふ」

「咲也先輩……」

「おっと失礼」


 またやっちゃった。

 本当に気をつけないと。つい、付き合いが長い人相手だと気が緩んでしまう。

 駄目だ。俺はしゃんと背筋を伸ばす。

 すると、真冬は何を察したのか、ジトっとこちらを睨んできた。


「あの、さっきから、何か邪なこと考えていませんか?」

「まさか。そんなことないよ〜」

「……本当かなあ」


 疑いの目線が厳しいが、幸いもう目の前に中央階段が迫っている。

 残念ながらお別れの時間だ。


「まあ、いいです。それでは咲也先輩、またサロンで」

「ああ、またね」


 こうして俺は、まだ何か言いたげな真冬と別れ、階段を登って新しい自分の教室へ向かうのだった。

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