第52話
玲明学園の卒業式は、特に他の学校と比べても、特に変わったことはない。
一人ずつ壇上で卒業証書を受け取り、学園長の式辞、在校生代表の送辞、卒業生代表の答辞の後、校歌を斉唱して閉式だ。
まずは、証書の授与が行われた。司会に名前を呼ばれ、舞台上を歩いて演台まで向かう姉様の姿は、背筋をピンと伸ばし、まるでモデルのような足取りで、会場内の注目を一手に集めていた。
後ろで、真冬が「はあ……っ」と見惚れて吐息を漏らしている。
色っぽいな。
俺も思わず「ほう……」と息を吐いた。
全員が受け取り終えると、演台に残っている学園長から、そのまま式辞が贈られる。
ダラダラせずに要点を押さえ、かつ淡白になりすぎない、絶妙な長さの挨拶文だった。学園長本人が作っているのか、事務方が作っているのかは分からないけど、こういうところは、玲明という学園のレベルの高さを感じるね。
続いて、在校生から卒業生への送辞が贈られる。司会に呼ばれて、手前の席に座っている桐生先輩が返事と共に立ち上がった。
え、この人、在校生代表だったのか。
そういえば、そんなことを以前サロンで聞いたような気が……。多分、姉様の卒業のことで一杯だったから、覚えていなかったのだろう。すみません。
桐生先輩は、爽やかな雰囲気を纏って、緊張などどこ吹く風と言わんばかりに微笑みながら、軽い足取りで演台へ進む。
筋肉マニアなのに、こういう所作はスマートなのずるいと思う。
先輩は、さっさと送辞を読み終えると、行く時と同様の足取りで戻ってきた。
自分の席に座る間際、俺と一瞬目が合う。すると、「次はいよいよ君の姉さんだな」と言わんばかりに、ニヤリと口の端を吊り上げて笑った。
たしかにその通りだ。
いよいよ、司会の先生が卒業生代表として姉様の名前を呼んだ。
「はい」
凛と式場内に響く返事があった。それから数拍置いて、姉様は舞台上に姿を現した。堂々とした立ち振る舞いで、演台の方へと歩いていく。
俺だけでなく、その場にいる皆が姉様の姿に釘付けとなっていたと思う。
そのくらい、彼女は凛然として美しかった。
姉様は、舞台の真ん中で歩みを止め、真っ直ぐに前を向いた後、用意していたはずのカンペは出さず、そのまま喋り始めた。
「本日は、私達のため、卒業式を開いていただき、ありがとうございます」
抑揚のある聞き取りやすい喋り方だった。
その姿を、弟として誇らしいと思うのと同時に、もう初等部を卒業してしまうのだなという思いが溢れてきて、自然とうるっときてしまった。
結局、姉様は最後まで原稿を見ることも、ペースを崩すこともなく最後まで答辞を読み終えた。そして、一歩下がり、静かにお辞儀をしてから、舞台を後にした。
静かな拍手が起こり、それが波状のように広がって会場を包み込むまでになった。
こうして、姉様の卒業式は幕を下ろした。
俺はふと考える。自分の卒業式の時に、俺は姉様のように堂々としていられるだろうか、と。
無理そう。
というか、噛みそう。
その後、卒業生は一度教室へ戻るため、苦笑する義弥達と別れて父様達と合流し、花束と贈り物を用意してから、姉様達が出てくるのを待つ。
「あらあら」
「咲也……さすがに鼻水は拭きなさい」
合流した時、俺の顔を見るや二人は苦笑いを浮かべていた。皆、俺の泣き顔見て苦笑いしかしないな。
式中、自然とうるっときた後は、もう涙も鼻水もがスルーパス状態で、止めどなく出てきてしまったのだ。
拭う余裕なんてないよ。
花束と贈り物で両手も塞がってるし。
二人が見てない隙を見て、そっと袖で鼻水を拭った。
それからしばらくすると、初等部最後のホームルームを終えた卒業生達が、続々と中庭へと出てきた。そんな彼らを在校生や保護者達が取り囲む。
姉様もやってきた。が、一際多くの人を集めているため全く近づけない。
よく見ると、人混みの隙間から少し涙ぐんでいる莉々先輩の姿も見えた。どんなに怖いホラー映画を見ても飄々としている彼女が、あんな涙ぐんでいる姿は初めて見た。
初等部も中等部も同じ敷地にあるけれど、卒業という区切りがつくことに寂しさを覚える人もいるということだ。
あ、つられてまた泣きそう。
その後も、変わる変わる挨拶にくる人の相手をしている姉様を待ち、ようやく人の流れが収まってきた頃合いを見て、姉様のところへ家族三人で向かう。
「輝夜、卒業おめでとう」
「あら、父様に母様も。それに、さ、咲也……」
姉様が、一瞬嬉しそうな顔をしたのに、俺の顔を見た途端、呆れたような表情に変わった。
「ねえざま……ごぞづぎょうおべでどうございばず……」
「まったく。はいはい、ありがとうね」
もう嗚咽でうまく喋れなくなってしまった俺から、恐る恐る花束と贈り物を受け取った姉様は、やれやれという表情で俺の顔をハンカチで拭ってくれた。
ついでに鼻もかんでおこう。
「……寂しくなるわね」
「ゔぁい……」
「ほら、校舎は変わるけれど、サロンで会えるのだからもう泣かないの」
苦笑しながら、鼻水を拭ったハンカチをそのまま俺の手に握らせると、隣の父様や母様の方へ移動していった。
うわ、手がべちゃべちゃ……。
もういいやと、もらって姉様のハンカチで顔から出てくる色んな液体を拭っていると、
「……」
「……」
ふと、こちらを見ている義弥と目があった。
何か嫌な予感がしたので、目を逸らす。
その後、先生方も中庭へ出てきたので、そちらへの挨拶回りについていくことになった。それが終わる頃には、幸いなことに俺の涙も鼻水もすっかり引いていた。
周りにいた人達へ、軽く挨拶をしてから駐車場へ向かう。
そのまま車に乗り込み、玲明を後にすると、都内の高級料亭へ向かう。元々、式の後は姉様の卒業祝いとして、家族四人で外食する予定だったのだ。
泣き疲れて空腹だったので、俺は心ゆくまで食事を堪能した。まだまだ肌寒さが残る日だったから、松茸の土瓶蒸しは体に染みた。
それと、水が異常に美味しく感じたな。
すげえ泣いたからね。身体が水分を求めていたのだろう。
何はともあれ、こうして姉様の卒業式は無事に終了したのである。
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