34◇袁蓮の腕前

 すいむらは、奏琶国最北のむらで、時折北からの乾いた風が吹くものの、この秋にはまだ凍えるほどではない。


 絶対ということはないが、今のところ武真国との関係は良好である。国境を侵されることもなく数十年が過ぎ、彗のむらもそれほどの警戒心を持って暮らしてはいなかっただろう。


 しかし、そこへ来ての援軍要請だ。武真国で他国と小競り合いの戦が続いていても、こちらに飛び火してくることもなかったが、援軍を出すとなると違う。武真国と争っている青巒国せいらんこくにとって、奏琶国ははっきりとした敵と示すことになる。


 もし、武真国が戦に負け、青巒国に呑まれてしまえば、彗のむらは真っ先に攻め込まれる。そうなっては土地も財も人も掠め取られるのだから、今度の援軍要請に最も乗り気でないはずだ。


 展可が浅はかながらにそう考えていたのを察したのか、黎基は床几に座りながら劉補佐と話す。


「この辺り……よう群にとって、今度の戦は明暗を分ける大事なものであることを、太守もわかってくれているはずだ。武真国との関係が悪化してしまえば、真っ先に攻め入られるのは彗のむらだからな」


 援軍を出さない方が彗のむらにとっては危ないことなのだ。そういう見方もあるのだと、展可は一人で納得した。

 しかし、劉補佐と郭将軍はその傍らで険しい面持ちだった。


 この時、郭将軍は展可を気にしてチラリと目をくれた。あまり聞いていい話ではないのかもしれない。

 それでも、劉補佐が堂々と喋るのが意外だった。展可なら他言しないと信じてくれるようになったのだろうか。


「そう。だからまず、殿下は私と雷絃殿を連れて太守にお会いください」


 にやり、と劉補佐は嫌な笑いを浮かべた。

 多分、大事な話なのだ。そこに展可は加えてもらえない。


「おい、展可。お前はあの娘を連れてきて、琵琶の練習させておけ。夕暮れには披露できるようにな」

「え? えっと、曲目は?」

「剣舞のための楽曲だ。余程おかしなものでなければいい」


 剣舞の臨場感を出すために演奏しろということらしい。

 ――なるほど、むらで余興として剣舞を披露するらしい。郭将軍のような偉丈夫ならば見栄えもすることだろう。


「わかりました」

「琵琶は用意してある。後で渡そう」

「はい」


 この時、展可はまだ疑っていなかった。袁蓮の腕前を。



 いよいよ彗のむらの外郭の手前までやってきた軍は、いったん進行を止め、少人数でむらの中へと向かった。黎基たちは太守と交渉に行ったのだ。展可は彼らを信じ、与えられた役目を全うするだけである。


「袁蓮、そういうことだからよろしく」


 策瑛たちのところから袁蓮を引っ張ってきて、預かっている琵琶を渡した。螺鈿細工が美しい四弦の琵琶だ。きっと、いい音色を奏でることだろう。


 袁蓮はその琵琶をじっと見つめると、さらに付け爪を手渡そうとした展可からプイ、と顔を背けた。


「嫌よ。そんな気分じゃないわ」

「き、気分って……」


 展可は唖然としてしまった。

 自分は黎基のためになるのなら、一も二もなく動く。けれど、皆がそうではないのだ。袁蓮は、喜んで引き受けてはくれないらしい。


「頼むよ。琵琶の伴奏に合わせて剣舞を舞うとのことなんだ」

「そんなの、伴奏がつまずいたら一緒にずっこけそうで余計に嫌よ」

「うぅん、そんなに難しく考えないで、ちょっと肩慣らしに弾いてみたら?」


 すると、袁蓮は手に持っていた琵琶をじっと見つめ、そしてまたプイ、とそっぽを向いた。


「こんなところで弾いたら目立つじゃない。皆、何事かと思うわよ」

「でも、いきなり本番の方が嫌じゃないか?」


 それを言うと、途端に袁蓮が頼りなくすがるような目を展可に向けてきた。


「絶対嫌だからね。あたし、弾かないわ」

「なんで?」


 思わず言ってしまった。なんでそこまで頑なに嫌がるのかと。

 そうしたら、袁蓮は琵琶を展可に押し戻す。


「なんでって、なんでも!」

「小さい頃から稽古してたんだよね?」


 と、展可は袁蓮に再び琵琶を持たせようとするが、袁蓮は受け取ってくれない。


「し、してたけど、苦手なんだもの」

「え?」


 二人の押しつけ合いがピタリと止まる。恐る恐る袁蓮を見ると、袁蓮はバツが悪そうに目を逸らした。


「あたし、そういう女の子らしいこと、無理。本当は、子供の頃は大体、木登りしてたわ」

「…………」


 展可も木登りはしていたが、それだけではない。色々としてきた。


「お裁縫、得意だよね?」

「あんたのたんなら、縫ってくれたのは鶴翼よ。あの子器用なんだもの。あたしがやったら、指を突いて血まみれにするわ」

「…………」


 そういえば、袁蓮はこう見えても第一小隊に入れられたのだ。模擬戦を勝ち抜いてきたのは、この美貌に見惚れて相手が手加減してくれたからというばかりではないのかもしれない。結構なお転婆だ。


「あんたが弾けばいいじゃない」


 袁蓮はあっさりと言った。


「あんただって琵琶のお稽古してたんじゃないの?」

「うん、まあ、してたけど……」

「じゃあ、弾けばいいじゃない。殿下のお役に立てるわよ」


 袁蓮は急に元気を取り戻した。

 展可は琵琶を弾くのが嫌だということはないが、この国では琵琶は女性のたしなみである側面が大きい。だから、琵琶を弾くことで女だと見破られないかどうかが心配なのだ。


 そこを察した袁蓮は、展可の肩を抱くようにして耳元でささやいた。


「大丈夫、二人で見えにくい隅っこにいましょう。主役は剣舞だもの。伴奏者まで気にしないわよ」


 それしかないのかもしれない。

 劉補佐としては、見目の麗しい袁蓮が琵琶を奏でることでよりよい見世物になると思ったのだろうが、ここは勘弁してほしい。


「仕方ないね。わかったよ、私が弾くけど、袁蓮が弾いたってことにして」

「はいはい」

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