第四十二話 出ていけ!





“秋夫を奉公へ…”


俺の目の先には、行きつ戻りつしているような自分の足が見えた。


“秋夫に耐えられるはずがない…”


秋夫は、働いた事もないし、家の仕事だって大して手伝わず、いつもぶうぶうと文句を言っていた。その上、母親の羽織を質に置いて女を買い、博打で取られてきては、俺やおかねに小遣いの催促をする。それも、十文二十文の湯銭程度じゃない。


そんな秋夫でも可愛いのが、俺達親だ。なろうことなら、苦労はさせたくない。どうにかして分かってくれて真面目になってくれるなら、その方が良いに決まってる。


俺は、“おかねに相談しよう”と思っていた所から道を改め、“秋夫が戻ったら説得をしよう”と腹を決めて、そこからは家路を急いだ。




うちの表店が見えてきて、木戸に手を掛ける前に、長屋の中が少し騒々しいようだなと思っていた。


女と男の言い争う声が聴こえてきていて、泣いている子供の声もする。そこまで分かった時に、泣いているのはおりんで、言い争っているのはおかねと秋夫だと、俺はすぐに気づいた。なので、慌てて木戸をくぐり、うちへと急ぐ。


「ちょっと借りるだけさ!二三日貸してくれりゃすぐに返ぇすよ!」


「何言ってんだい!てめえが物を返したことなんかいっぺんたりともないね!こっちへ返しな!」


「兄ちゃん!ダメ!」


俺が家の戸を開けたのはその時だ。おりんは秋夫の着物の裾にしがみついて、俺の居る戸の方へ引きずられる格好だった。おかねは、秋夫が持っている三味線に掴まって、ぐいぐいと引っ張っている。


秋夫が“借りる”とか“返す”とか言うのは、大抵質屋におかねの着物などを勝手に持って行った時だ。


いつかまだ、俺が下男だった時、おかねは三味をうっとりと眺めて、幸福そうにしていた。そんな場面を思い出し、それがまるで今泥で塗り潰されてしまったような気持ちになり、俺はとうとう我慢が出来なくなった。


「秋夫!てめえ何してんだ!」


俺は、話を聞かないであろう秋夫からおりんを引き離し、その後で、おかねの三味を奪って、あらん限りの力で秋夫を突き飛ばした。秋夫は家の奥の壁まで吹っ飛び、首を強かに打ち付ける。


「なんでぃ親父!何も突き飛ばすこたぁねえだろ!」


秋夫がそう言う様子は、いつもの言い争いと何の違いもなかった。


“これからもこれまで通りにこの家に居られて、家の金を食い潰しても、おかねやおりんに迷惑を掛けても、平気でここに居られる”


そう思っているんだろう秋夫を、俺は本当に殴り掛けた。


俺が振り上げ掛けた拳をまだ抑えながら息を切らしているのを見て、秋夫がからかうように笑う。俺の怒りはどんどん増していく。


「いいや!突き飛ばす!諦めないなら、二三発ぶん殴る!ついでに言ってやる!お前はもう出て行け!どこへなりと出て行け!」


俺がそう叫んでしまうと、秋夫はやっと俺を睨み返した。秋夫の目はいっぺんで暗くなり、じめじめと陰湿で、恨みがましかった。俺はそれを真向から突き刺すように睨む。


俺達は睨み合っていて何も言わず、おかねは俺の言った事に驚いてしまったようで、口を開けて悲しそうな顔で、俺を見ていた。おりんは家族の顔を代わる代わる見ていたけど、やがて小さな体をぷるぷると震わせてから、我慢出来なかったように、俺の着物の袖口へ、はっしとしがみつく。


「とうちゃん!」


おりんは俺を呼んで俺の着物に掴まり、こう言った。


「どうか、兄ちゃんを追い出さないで!兄ちゃんは銭がないんだ!おまんまが食えなくて、死んじまうよ!兄ちゃんを追い出さないで!」


おりんがそう言う様子は本当に必死だった。それに一番驚いていたのは、俺ではなく、秋夫だった。


自分をかばって、病がちな妹が父親に歯向かっている。それに秋夫は動揺していたようだったけど、秋夫が口を出せる事じゃなかっただろう。ここで秋夫が遠慮して、“いや、俺ぁやっぱり出て行くから”とは言えない。


でも、年端もゆかない妹が、「お願い!とうちゃん!」と言い続けているので、秋夫は自分のした事の恥ずかしさが身に染みたのか、頬を真っ赤にして俯いていた。俺はそれを見て、やっといくらか怒りが鎮まった。



おりんが一生懸命に頼むので、俺は「少し言い過ぎた」と秋夫に謝り、秋夫は何も言わないまま、家を出ようとした。その時もおりんは不安そうに秋夫に聞いた。


「兄ちゃん、帰ってくる?」


秋夫は、おりんをちろりと見ただけですぐに表の方へ体を向け、出て行くついでに、「さあな」と言った。


「きっと帰って来な!」


おりんは表の戸から少し体をはみ出させて、秋夫にそう叫んでいた。





つづく

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