秋夫とおりん編

第四十一話 秋夫





俺達夫婦は、江戸に住む者としての子育てをした。


秋夫とおりんは、長屋じゅうから可愛がられて育ち、外へ出れば往来の大人から挨拶やらお叱りやらを頂戴して、おりんの躾はいつもおかねが、秋夫に言い聞かせるのはいつしか俺の役目になっていた。


でも、秋夫は大した奴だった。



ここからの話は、子供達について語る事にする。




「秋夫!お前、二日もどこに行ってたんだ!」


二日ぶりに、秋夫が家に戻ってきた。二日前、おかねは「羽織がない、羽織がない」と探していた。


秋夫は、俺が叱ろうとしているのを大して気にしている風でもなく、何気なくこう言った。


「ちょっと買い物さぁ」


「買い物?どこまで買い物に行ったってんだ!」


俺が真面目にそう聞くのがおかしかったらしく、秋夫は大人のように呆れ笑いをする。まだ十七なのに。


「嫌だぜ親父は。冗談が通じやしねぇ」


「何を買ったんだ!言え!」


「ヘッ。自分の親父に惚気を聞かせるほど野暮なこともねぇ」


俺はそれでやっと、秋夫が女郎買いに行ったのが分かり、また家を出て行こうとした秋夫の腕を掴んだ。そして、こう問いただす。


「お前…母ちゃんの羽織をどうした」


そう聞いたのに、秋夫は悪い事をしたなんて、毛ほども思っていない顔で、俺の腕を振りほどいた。


「今度倍にしてぇしてやるよ」


そのまま秋夫は戸口から消えてしまい、家の中には、おりんと俺だけが残った。


おりんはすべてを聞いていたけど、決して口を出さず、心配そうに俺を見ていた。だから俺は、「お前は心配するな」と言った。それでもおりんはもじもじと両手を揉んで、何かに急き立てられているような顔をしていた。




おかねも俺も稼ぎは変わらないのに、前より暮らしが悪くなった。


鰯が食べられれば大変なご馳走で、普段にはたくあんと米だけを食べた。味噌にも手が届かない。そんな生活だった。


それと言うのも、俺達が貯めた銭はみんな秋夫が遊びに使ってしまい、咎めても秋夫は反発して家を出て行ってしまって、何日も帰らなかった。


おりんは五つ六つの頃だったけど、満足に食べられない事で病気がちになり、俺達はおりんに着物を買ってやることも出来なかった。いつもおりんは、すってんてんの古い着物に包まっていた。



おりんは、家の心配ばかりして、自分の欲しい物を我慢していた。


お菓子も、着物も、風車だって欲しがらなかった。


秋夫はほとんど家に居ないので、家族で寺社参詣に行く時は、おりんと俺とおかねだけだった。そういう時、おりんはいつも賽銭箱の前からなかなか離れず、熱心に何かを祈っていた。


俺達夫婦はもちろんおりんを大事に思ったけど、それは秋夫にだって同じだった。


まだ小さいというのに、すっかり江戸の男の遊びに慣れた秋夫が、まともに暮らしていけるのか、それをいつも二人で話し合っていた。


本当に小さい頃なら、秋夫は俺達夫婦に叱られて渋々いたずらをやめてくれたけど、もうそんなのは通じなくなっていた。賭け事だの女郎買いだのに夢中になって、秋夫は家に寄り付かない。


秋のある夕暮れ、俺は大家さんに相談をしに行った。




「申し訳ございません、お忙しい中で…」


大家さんのおかみさんに、「子供の事で相談があって」と言って、俺は家に上がらせてもらって、大家さんを待っていた。


「いや、いいのさ。そろそろ帰ってくる時分だよ。おかわりは?」


おかみさんは鉄瓶を持ってお茶のおかわりを勧めてくれたけど、俺はそれを断った。しばらくして、大家さんが戻ってくる。


表の戸を開けると、外の夕闇が見えて、大家さんは疲れた様子で家に入ってきた。もう大家さんもずいぶん年を取って、最近は仕事が辛そうだ。


「おや、秋兵衛さん。どうしたい」


「あ、それよりも、楽にしてください、大家さん…」


「いやいや、まあそうさせてもらうけどね。ちょっと一服してもいいかい」


「ええ、もちろん」


「お前さんは?煙草飲みじゃなかったかな?」


大家さんはそう言って、おかみさんから受け取った煙草盆を、俺達の間に置いてくれた。


「あ、いえ、そ、それでは…有難うございます…すみません」


俺は会釈をして、帯に突っ込んでいた煙管を取り出す。大家さんも俺も、火鉢から火をもらった。


俺は、憂鬱な気分で煙草を吸う。「子供が遊びに夢中になっていて、家が火の車だ」なんて、大家さんにも解決出来るのか分からない。


「それで?なんの相談かな?」


三口ほど吸ってから、大家さんは煙を吐きながらそう言った。俺は火玉を落として煙管をしまってから、秋夫について話をした。




「そらぁ、どうしてそんな事になったかねぇ…お前さんもおかねさんも、真面目だったろうに…」


片手で顎をゆったりとこすり、大家さんは首を傾げていた。


「分かりません…だから困っていて、おりんは病気がちですし、もしや大きな病に罹りでもしても、医者に見せる銭だってないし、食うのにも困る始末で…」


「まあでも、方法がないわけでもない」


大家さんのその言葉に、俺ははっと顔を上げる。大家さんは難しい顔で俺の目を見つめ返し、こう言った。


「職人の所へ奉公ほうこうに出しちまえば、家の銭を食い荒らされる事もないさ。そうだろ?」


「奉公に…?」


俺はその時、不安になった。奉公の辛さなんて、江戸に住んで長い俺は、もう知っていたからだ。


「勘当して、銚子にやっちまうのは、まだ後でもいいだろう」


“息子を勘当して、銚子の漁師たちの中に放り込む”


そんな話も聞いた事がある。確かに、それよりは奉公の方がまだマシだろう。


でも、ぞんざいに扱われて、満足に食べさせられる事もなく、自分の子供が働きづめだなんて、そんな目に遭うなんて、俺には耐えられない。


俺が俯いて不安そうにしていたのを見て、大家さんはこう言ってくれた。


「心配なのは分かるが、このままじゃ、お前さんたちの暮らしが立ち往かなくなるんだろう。奉公に出せば、不自由のない暮らしの有難みだって、分かってくれるかもしれない。どちらにしろ、家に置いておいちゃ、ためにならないよ」


「はい…」


俺は、目の前が暗くなるような気がして、「帰っておかねに相談しよう、もっといい方法だってあるかもしれない」と、決断から逃げていた。





つづく

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