第3話 婚約辞退を強要される

「婚約辞退? ど、どうして?」


 私はかなりびっくりして妹を見つめた。


 決定権は私にはないし、そもそもこの婚約を決めようと画策したのも私ではない。


「頭が悪いわね」


 妹は私をにらみつけた。



「どうせアレックス殿下を愛してなんかいらっしゃらないでしょう! 婚約するなんて、おかしいわ!」


 あら。ばれてるわ。

 どうしてかしら。エレノアは察しのいい方じゃないと思っていたけど。それに私の無表情を見破るなんて、さすが妹ね。


「お姉さまみたいに感情のない方が、人を愛する気持ちなんか絶対わからないわ。人間失格よ。アレックス様がお気の毒だわ!」


「すごいわ、エレノア」


 全く他人目線がないところがすごいわ。普通、こんな風に言われたら、他人は怒る。姉だって怒る。姉も他人なんだからね。


 相手を怒らせるかどうかについての、あるいは怒らせたら次に何が起こるかと言う視点がスッポリ抜けてる気がするわ。


「好きじゃないって、正直にアレックス殿下に伝えてちょうだい!」


 それは事実だけど、王太子殿下がショックを受けるかもしれないので、これまで一生懸命黙っていたのに。


「あの、ええと、お父さまは何ておっしゃったの?」


 エレノアの目から涙があふれてきた。


「殿下の妃はオーガスタだってきかないの。あの頑固ジジイ」


 お父さまはジジイではない。まだ、中年だ。


「年寄り過ぎて、私たちの気持ち、愛し合う気持ちがわからないのよ!」


 うっ、うっと彼女は泣き出し、肩を震わせ、涙が止まらなくなってきた。


 うしろから、鬼の形相のエレノアの侍女のアンが近付いてきて、エレノアを慰めた。


「お嬢様、さあお部屋に戻りましょう。こんなところにおられても、いいことなんかございません。何か方策を一緒に考えましょう。さあ」


 そう言うと、アンは私とソフィアにぎろりと悪意のこもった一瞥いちべつ

を投げかけると出て行った。



 部屋のドアが完全に閉まり、二人の足音が完全に遠ざかったのを確認してから私は口を切った。


「方策って何かしら?」


 私は聞くともなくソフィアにそう言った。


「さあ?」


 ソフィアは気がなさそうに答えた。




 方策の方は、次のダンスパーティの機会に現れた。


 どうやって手配したのかわからないが、リッチモンド家に迎えに来た王太子殿下は、私とエレノアを同じ馬車に詰め込んで出発したのである。


 母も使用人たちも呆然とした。


 王太子殿下のなさることを止めるわけにはいかないが、しかし、会場に着いてからのことを考えると……馬車から会場までの間のエスコートはどうするんだろう。


 まず、私は体調不良で出席しないという対抗策を検討した。

 このまま、馬車から出ないで、自邸に戻る方法だ。


 ダメだ。そんな恐ろしいこと出来ない。


 何しろ、王家から公爵家に正式の婚約申し込みがあったと言うことは、誰もが承知の事実。

 それで今回、王太子殿下ともあろう身が、わざわざ当家にお越しになられたのだ。

 婚約者を乗せてこないお迎えの馬車って、意味があるのだろうか。

 どう聞いてもおかしい。


 それを思うと、エレノアがちゃっかり馬車に乗っかっているのがそもそも決定的におかしいと思うけど、王太子殿下がニコニコと姉妹なのだし構わないだろうとおっしゃっられるとダメです!なんて言えない。


 やはりこれは三人で会場に入る……? いやだ。最悪だ。エレノアと二人で入ってもらった方がまだマシだ。なんなの?三人で行動するのって。


 しかも、何かうまい方法を思いつきたくても、目の前の光景が邪魔をする。


 エレノアは顔を真っ赤にしながらも、殿下の隣に座り、うっとりと顔を見上げている。

 殿下も気恥ずかしいらしいが、熱烈なその視線に戸惑いながらまんざらでもなさそう。


 そして妹と殿下の距離は徐々に詰められていく。



「あー、ゴホン。エレノアは、今、いくつだったっけ?」


「十六歳ですわ。殿下は十九歳でしたわね。何月生まれですの?」


 お誕生日プレゼントでもするつもりかしら。


「七月だ」


 途端にエレノアの顔が、ぱあっと明るくなった。


「まあ! わたくしと一緒! なんてすばらしい偶然かしら。三歳年上のお兄様ですわね」


 ここまで興味の湧かない会話は聞いたことがない。


 エレノアにしては素早い計算だとは思ったが。年上が好きなんだろうか?


「オーガスタ嬢はおいくつでしたか?」


 いやいや、話、振らないでいいから。無理に仲間に入れなくていいから。


「お姉さまは私より一歳年上なんですぅ」


「じゃあ、僕とはいくつ違いかな?」


 殿下はニコニコしながら聞いたが、この算数の問題にエレノアは黙り、私が答えた。


「殿下とは、およそ一年三ヶ月違いになります」


 うっかり空気を下げてしまった。いや、だって、答えるでしょう? 聞かれたんだもん。

 ちょっと沈黙したのち、熱度がダダ下がりの声でエレノアが抗議した。


「お姉さまったら、まるで、機械みたい。もっとお話を盛り上げてくださらないといけませんわ。王太子様の御前ですのよ? 失礼極まりないことですわ。アレックス様、姉になり代わりましてお詫び申し上げます。本当に、空気の読めない姉で失礼いたしました」


「いや、なに。構わない」


 殿下は、エレノアの大きな薄茶色の目に見入って、もごもごと答えられた。


「まあ、殿下はなんと寛大な方でいらっしゃるのでしょう!」


 殿下はエレノアの顔を見つめ出した。エレノアは赤くなって、殿下と視線を絡ませる。


 私は飽きて窓の外を眺め始めた。


 王宮に着いたのち、馬車を降りて、会場にたどり着くまでのエスコート問題はあっさり解決された。


 エレノアが王太子殿下の腕にぶら下がると言う結果で。


 私は所在無げに後ろから、ついて行く羽目に陥った。


 発表される予定の婚約者とは別の女性と一緒に入場する王太子殿下を見た参加者は、全員心底仰天したに違いない。


 別の馬車で来ていた両親は、目をいたことであろう。どこにいるのか全然わからなかったけれど。


 公式パーティはつつがなく開催され、エレノアは満座の注目を浴び、私は出来るだけ目立たないようにこっそりと、柱の影とか庭園への入口への暗いところなどを選んで適度に移動した。同じところにいると目立つし、ダンスのお申し込みは受け付けられない。立場上。


 どこかで誰かが、「リッチモンド公爵のご令嬢と婚約されたと聞いたので、姉君のオーガスタ様のことだとばかり思ってましたわ。違っていたのかしら?」と言っていたが、私もそんな気持ちでいっぱいです。


 せっかくこの日のために丹精して作ったドレスのことを思うと、ちょっと切なくなったけれど。




「何がどうしてああなったのだ」


 家に帰ると父にすごまれた。


「エレノアと殿下が離れませんので」


 私は小さい声で答えた。


「なぜ、引きはがさん?」


「出来るわけがないでしょう。殿下のご希望なのです。殿下に不敬は出来ません」


 父が私を責め立てた。


「お前ならできるだろうが。どうして、エレノアに出来てお前に出来ないことがある?」


「殿下のお気持ちまでは……」


「なんでやる気がないんだ!」


「殿下はエレノアに夢中ですもの。私のことなんか……」


「違うだろう? あれはどうせ当てつけがいいところだ! オーガスタもわかってると思うが……」


「お父さま、お姉さまがおっしゃる通りですわ!」


 ダンスを殿下と何回も踊り、ずっと殿下に付きまとい、殿下を他の令嬢から見事ガードしまくったエレノアが上機嫌で割り込んだ。ようやく着替えを済ませたらしい。


「殿下は私のことが大好きなんですのよ! お姉さまみたいにおとなしい令嬢では王太子妃は務まらないと殿下がおっしゃっておられました」


「エレノア! オーガスタは大人しいわけではない。わかっているので大胆な真似をしないのだ!」


 エレノアは父の怒鳴るのを初めて聞いて、心底驚いているようだったが、急に頑固そうな意地悪そうな顔になった。


「お姉さまが一体何をわかっていらっしゃると言うの? 殿下のことなんか何一つわかっていらっしゃらない。顔だけの出来の悪い姉ですわ」


「エレノア! オーガスタは周りを見ているのだ。立場や状況、それを見て判断……」


 エレノアの目から涙があふれだした。


「どうして同じ娘なのに、私ばかりしいたげられるの? 私のどこが悪いと言うの? お姉さまばっかりひいきして! 今に私が王太子妃、いいえ王妃になったら覚えているといいわ! お姉さまばっかり可愛がって」


 それからわあっと泣き出して自室に帰ってしまった。



「オーガスタ」


 エレノアが出て行ってしまって静かになった書斎で、父が聞いた。


「そんなに王太子殿下が嫌いか」


 あら。父にまでバレているわ。

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