星那と雨の日の朝

 朝食の支度のためにリビングに降りてくると……外は昨夜までの晴天が嘘のように、しとしとと雨が降っていた。


「あ……雨かぁ。今日は遊びには行けなさそうだな」


 少なくとも海水浴は無理だろう。

 少し残念に思いながら、料理のために髪をまとめ、エプロンを身につける。


「うう……結局あんまり寝られなかった……」


 昨夜、あの後二人寄り添いながらしばらくそのままそこで過ごし……部屋に戻った時には日が変わっていた。

 結局はその後も興奮と気恥ずかしさによって寝付けず、ほぼ徹夜みたいな形となってしまったのだった。


「……顎と舌が痛い」


 あまりにムードがいいロケーションだったものだから、ついついキスとか……をし過ぎたと反省する。

 確かに、いつものようなハードなものでは無かったものの、一緒に居た時間が長かった分だけ回数が多かった。


 いまだ残る筋肉痛みたいな痛みに、今朝はあまり噛まなくていいメニューにしようとぼんやり考える星那なのだった。




 とはいえ昨夜は皆がたくさん食べたため、そこまでがっつりとした物は食べられないだろう。元々、今朝はさっぱりと済ませるつもりだったので、特に問題はない。


 まず、昨夜のうちに研いでおいたご飯をセットした炊飯器にスイッチを入れる。


 そのあと、昨夜の残りの茗荷みょうがを細切りにして、食べやすい大きさに切った胡瓜きゅうりと白菜と一緒にポリ袋へと放り込み、塩昆布と唐辛子、少量の味醂と酢も一緒に入れて口を結び、揉み込む。

 これは、あとは冷蔵庫に入れておけば朝食までには浅漬けとして十分食べられる筈だ。


 続いて、今朝のメイン。だし汁が必要なので、鍋にこちらも昨夜のうちに昆布を漬けておいた水を昆布ごと投入し、火にかける。


 沸騰するまでの間、昨夜使った残りの自然薯をすり鉢で摩り下ろし、卵を投入してさらにすりこぎでさらに摩り、よく混ぜ合わせる。それが終わったら、こちらはひとまずラップを掛けて冷蔵庫へ。


 その間に沸騰していた鍋から昆布を取り出して、鰹節を投入し、浮いてきたら火を止める。

 五分後、ざるで濾しただし汁に、薄口醤油、味醂、塩で味を調えて、こちらも完成だ。


 こちらも、ひとまず冷蔵庫へと投入し……手持ち無沙汰になった。




「そういえば、お風呂のお湯は張ったままだったよね……」


 せっかくだし、朝から温泉というのも悪くないかもしれない。

 そう考えてお風呂場に行き、誰も居ないのを確認して浴室に入ると、湯の温度を確認する。


「……うん、ちょっとぬるめだけど大丈夫そう」


 ゆっくりと浸るならば、これくらいの方がちょうど良さそうだと思い、服を脱いで髪が湯に浸からぬよう纏め、湯に浸かる。


「ふぅぅ……」


 思わず、気持ち良さに声が漏れた。

 熱くはないが十分に暖かいお湯はじんわりと心地良く、肩まで浸かると湯船の縁に体を預ける。




 ――静かだ。


 皆まだまだ寝静まっており、聞こえて来るのは外で雨がトタン屋根を叩く、タンタンタン、という音だけ。


 そのリズムに耳を傾けていると……ふっと、意識が遠のいた。


 ――あ、これ寝る。


 そう思った瞬間、星那の意識は夢魔に引きずり込まれてしまうのだった。






 ――星那君、おい、星那!


 何故か、やたらと遠くに聞こえる名前を呼ぶ声。

 なんだろうと、意識が浮上して……



「――ゲホッ!? ごほっ、ごほっ……!?」


 途端、喉に、肺に、詰まっていた液体によって呼吸ができず、パニックになりながら吐き出す。


「ああ、よかった、意識は戻ったね……落ち着いて、そのまま飲み込んだ水を吐き出して!」

「は、はひっ……けほっ、ごほっ!」


 体を支えて頭を下げさせ、背中をさすりながら語りかけて来る夜凪の言葉に、言われた通り喉から込み上げてくるものをひとしきり吐き出す。

 すると、徐々に呼吸が落ちついてきて、苦しさが解消していくにつれて余裕も出てきた。


「ご、ごめんなさい……もう大丈夫です……けほっ」

「ああ……そうみたいだね、良かったぁ……」


 そう言って、ずぶ濡れのパジャマ姿でさらに焦りにより汗だくになりながらも、はぁぁぁ……と深々と安堵の息を吐く夜凪。


「けほっ、けほっ……あ……私、一体……?」

「早く目覚めたからお風呂入ろうとしたら、変な音が聞こえて。悪いと思ったけど様子見に行ったんだ、そうしたら浴槽に沈んでいるんだから、焦ったよ、本当……」


 咄嗟に溺れている星那を浴槽から引き上げて、飲んだ水を吐き出させたのだという夜凪の言葉に……何があったのかを思い出す。


「あ……そうだ、うっかりお風呂の中で寝てしまって……けほっ」

「うん、お風呂で寝るのは危険だからやめようね?」

「はい……ごめんなさい……」


 どうやら、寝不足が祟って寝落ちしたせいで、浴槽に沈んでしまったらしい。

 心の底から通り掛かってくれた夜凪に感謝しつつ、お風呂場の床に座り込んだまま深々と頭を下げる。


「あの……この事は、皆には秘密でお願いします……心配掛けたくないのもあるけど、それ以上に恥ずかしい……」


 そう真っ赤になって懇願する星那に……夜凪はその肩にバスタオルを被せると、少し目を逸らす。


「わかったから、とりあえず体を拭いて服を着ようか?」

「え……きゃあ!?」


 お風呂に入っていたのだから当然、星那の今の格好は全裸である。慌ててきつく胸を抱き、夜凪に背中を向ける。


「あと……星那君、今日一日、きちんと休んで。もちろん家事も禁止ね」

「はい……」


 夜凪の、明らかに怒ってますという声色で告げられたその言葉に……星那はただ、しゅんとして頷くことしかできなかった。







【後書き】

お風呂で寝る、ダメ絶対。

眠気というより、血管が拡張して血圧が低下、脳への血流が低下して失神するそうですね。

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