星那の神楽舞

「うわー、お姉ちゃん綺麗!」

「ふふ。ありがとう、朝陽」


 朝陽の感嘆の声に、星那は微笑み、その頭を撫でてやる。


 今の星那が着ているのは、白衣に緋袴という、以前にも一度着たことのある巫女装束。

 それに加えて祭事用の、白い絹地に青摺紋様を施された千早を纏った華やかな姿をしており……朝陽はそんな姉の晴れ姿に目を輝かせていた。


「いやぁ……巫女服姿は前にも見せて貰ったけど、千早まで羽織ると雰囲気が変わるね……似合ってる、とても神秘的で綺麗だよ、星那君」

「夜凪さん……ありがとうございます」


 綺麗だと面と向かって言われて、照れながら礼を言う星那なのだった。




 ――時は、夕刻。


 出番を目前に、舞を披露する神楽殿に向かう途中、見送りに待っていたのは夜凪と朝陽だった。


 二人の称賛の言葉に恥ずかしそうにしつつも嬉しそうに笑うその姿は、衣装も相俟って非常に艶やかだった。

 そんな星那の姿に夜凪も思わず照れてしまって目を逸らし、少しの間無言の時間が流れる。



「……本殿の裏手、林道の先にあまり人の来ない穴場スポットがあるんです……終わったら、そこで話しましょう」

「星那君……うん、分かった、待ってる。頑張って」

「はい!」


 にっこりと笑い、踵を返す。向かう先は、神楽殿に備えられた控え室。


 とうとう、この数週間の星那の頑張りが試される舞台が……そして、自らの心境に区切りを付けるための挑戦が、始まろうとしていた。






「星那ちゃん、出番よ、行きましょう」


 肩を叩く感触と、内宮の優しい呼び掛けに、精神集中に努めていた星那はスッと目を開き、顔を上げる。


 時間は、すでに陽が落ちた頃。

 今日一日の例祭もつつがなく進み、ついに巫女の奉納神楽の出番が回ってきた。


 一日、ゆっくりと落ち着いて考える事が出来たからなのか、驚くほど心が凪いでいた。今は、自分が何を望んでいるかもはっきりと分かる。


 澄んだ心地で道を進み……神楽殿に上がる。

 そこには一面に埋め尽くす観客の視線が集中しており、その中には真昼が一昨日に言っていた通り、地方局のカメラの姿も存在した。

 いつもであれば、ガチガチに緊張してしまいそうなものだが……今は、その一人一人の顔を観察できそうなほど冷静に、周囲の状況を俯瞰しているのだった。




 ――真昼や年配の楽師たちによる演奏の中……星那も他の三人にも特に失敗も無く、神楽は扇舞、鈴舞と順調に進んでいく。


 そして、内宮が最前を張る鈴と扇の舞が終わり……ついに星那が主役となる最後の奉納、剣舞の番が来る。




 すすっと下がってくる内宮と入れ替わるように前に出て、祭壇の前に跪く。そこに置かれていた祭器の御神刀を、懐紙で包んで恭しく手に取り、額の前に捧げ持つ。


 周囲から、ずいぶんと若い巫女さんねぇとか、新人さんみたいだけど大丈夫かなとか、そんな騒めきが聞こえる。

 中には可愛い、綺麗などの好意的な声も聞こえているが……そのほとんどは、若い新人が最後を担う事に懐疑的な声。


 ――大丈夫、問題ない。


 そんな参観者の騒めきを受けながらも、相変わらず凪のように静かな心境のまま……スッと、星那が薄く目を開いた。






 ◇


 ――スッと、星那が薄く目を開いた。


 夜凪は大勢の観客の中で舞台を見上げながら……ただそれだけの事で、周囲の空気が変化したのを感じていた。


 まだ、ただ目を開いただけ。だというのに、ただそれだけで会場内に広がる、息を飲む気配。

 真昼が、舞台脇で演奏を奏でながらも我が子の変わり様に目を見開き、驚いた顔を見せる。


 伏し目がちに目を開けた星那は、まるで本当に祭神をその身に降ろしたかのように厳かで……美しかった。


 そしてそれは……舞にも言える事だった。

 膝をついて捧げ持った白鞘の刀。それを抜いた瞬間、明らかに場の空気が緊張に変わる。


 一挙手一投足まで、繊細に神経の行き届いたしなやかで流麗な所作で立ち上がる星那。

 捧げた刀を手首を返して払い、再び構え直してはひらひらと舞うその動きには淀み無く、かと思えば時にはピタリと美しい姿勢で静止する。


 ――綺麗。


 そんな誰かの呟きが、やたらと大きく聞こえた。

 気がつけば、皆息を飲んだように神楽殿の周囲はシンと静まり返っていた。

 まるで魅入られたように、その舞を見逃すまいと星那に注視しているのだった。




 ――それは、明らかに星那の今の実力を超えた、神懸かっているとも言える舞だった。




 あるいは、これまで積み重ねて来た修練が、極度の緊張の中で一気に花開いたという可能性はある。


 だが夜凪には、そこにあるのはもっと精神的なもの……星那の、この舞台に掛けていた執念の発露に思えた。


 夜凪にとって、元は自分の体だ。その非力さは、誰よりも自分がよく分かっている。


 その細腕は、手にした白鞘の刀は小太刀とはいえ、片腕であのようにピタリと剣先を揺らさず静止させるのも困難だというのに……果たして、そこにどれだけの集中を注ぎ込んでいるのだろう。

 これが終わったら、倒れても構わないとばかりに消耗しながら舞われている、そんな気迫がそこには感じられた。


 太刀の舞は、巫女が人々の穢れを祓う為に行われる。


 だが夜凪には……夜凪にだけは、星那のそれが、また別の想いを載せて舞っているように見えた。




 ――それはきっと……決別。




 今までの『白山夜凪』という少年の生から決別し、今後ずっと『瀬織星那』という少女として生きて行こうという決意を、神に捧げる舞。


 別れと、これまでの全てへの感謝の舞だから、これほど胸を打つのだろうか。


「……お兄ちゃん?」


 隣で見ていた朝陽が、夜凪に向けて心配そうな声を上げる。舞台からは目を離さないままその頭を軽く撫でてやり、小声で「大丈夫」と返す。


 夜凪の目には……いつのまにか、ぽた、ぽた、と一筋、涙が伝っていたのだった――……


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