星那と、にじり寄る絶望
朝食までの間、休んでいても良いという言葉に甘え、不調を堪えてリビングでぐったりしていると。
「あらあら、やっぱり初めてだと大変?」
「あ……母さん」
「はい、これ。体は冷やさないようにね」
そう言って、真昼が星那の前に置いたのは……
「ココア?」
「ええ。あなたがコーヒー派なのはわかっているけど、ひとまず終わるまではカフェインはあまり良くないからね」
「いや、嬉しいよ。ありがとう、母さん」
礼を述べ、暖かいココアに口をつける。
やや甘さ控えめ、ミルク多めなそのココアの味は優しく、お腹の中からじんわりと暖かくなっていく。
それだけで少し楽になった気がして、ほぅ、と息を吐いた。
そんな時、二階から降りてくる、もう一つの足音。
「おはよう……あれ、真昼さんが朝に中に居るのって珍しいですね」
「あ、夜凪くん、おはよう。丁度良かった、私はキッチンに戻るから、星那ちゃんのことよろしくね」
そう言って、キッチンへと戻っていく真昼。
その言葉に怪訝な表情を浮かべた夜凪が、ソファの方を覗き込む。
「あ、ここに居たんだね。その様子だと、今朝に来たんだ?」
「う……うん」
夜凪の確認に、なんだか恥ずかしく思えて顔を赤らめながら、頷く星那。
「あ、昨夜はアドバイスありがと、おかげで洗濯物を増やさなくて済んだよ」
「……うん。調子はどう?」
心配そうに星那の顔を覗き込む夜凪。
それがなんだか恥ずかしく、若干目を逸らしながら星那が呟く。
「すごく、動くのが怖いです、その拍子に垂れて来そうで」
「あー……分かる。特に『私』はちょっと多い方だったから……」
「やっぱり、そうなんだ……」
なんとなく、そんな気はしていたのだ。
その後、夜凪が語るには、とにかく個人差があって、しかもその時ごとに量が変わったりするという事。
さらには気まぐれで、早まったり逆に遅れたり、短い時もあれば長い時も、なんて事はザラにあると、この世の終わりのような目で語る夜凪。
そんな彼の様子に、なんて面倒な……そう、心の底から思う星那なのだった。
出席日数の問題もあり、多少の体調不良で休む訳にはいかない。
故にいつも通り登校し、午前中の授業を消化した後の昼休み。やはりいつも通り庭園の東屋に集まる四人だった。
「ごめんね、今日は二人の分を用意してなくて」
「うん、まぁ、それは別に気にして無いんだけど……」
何だか歯切れの悪い柚夏を他所に、星那は母に作ってもらったお弁当の、鶏肉と大根の煮物を頬張る。
……星那も割と煮物は作るが、まだまだ味の深みや繊細さで、母には敵わないなとこうして味わっていると分かる。
星那も家事には自信があったけれど、やっぱりまだまだ母さんには敵わないなぁ……そう思いながら、久々な母親のお弁当に舌鼓を打っていると。
「ねー、なっちゃん。具合悪そうだけど、大丈夫?」
「……っ!?」
そんな何気ない柚夏の一言に、危うく咽せるところだった。
――え、今の流れでなんでバレたの?
図星を突かれた星那が、ジッとこちらを心配した様子で見つめる柚夏に根負けし、渋々と口を開く。
「初めてのお月様に、四苦八苦してます……」
「そっか、だから具合悪そうだったんだね」
「えー……クラスの女子もそうだったけど、分かるものなの……?」
今日は登校してからずっと、クラスの女子の皆がいつもより優しく暖かかった。
知られるのが気恥ずかしくて、いつも通り振舞っているつもりだった星那だったが……
「辛い? 薬要る?」
「あまり良くないなら保健室行く?」
等々、午前中の間、次々とクラスの女の子に心配して声を掛けられ、目を白黒させていた星那だった。
「あー……なっちゃんは分かりやすいかな」
「うん、ちょっと見たらわかると思う。『私』の時との差があるから、余計具合悪く見えたんじゃないかな」
「マジですか……」
女の子の共感力怖い。
そう、恐れ慄く星那なのだった。
「俺、全然分かんなかったんだが」
「大丈夫、私も分からない」
これが、十六年間女の子をして来た子たちと、女の子歴ひと月未満の新人の差か……と戦々恐々する星那なのだった。
「……もうやめてくれ、その話を続けられると俺が死ぬ」
少し頬を染め、明後日の方向を向いていた陸がそんな弱音を吐く。
たしかに、この場で一人話に加われない陸には、今のこの状況は辛いだろう。
――そういえば、父さんも同じ反応してたなぁ。
かくいう星那も、当事者でさえなければ同じように気まずい思いをしていただろう。それだけ、この話題については男子に人権など無いのである。
「……で、例の盗撮写真をネットにあげた奴についてだが!」
強引に、陸が話題転換を図る。
「悪いな、まだ分かっていない」
「そりゃ、昨日の今日だしね、仕方ないよ」
「それもあるんだが……その、な」
言いにくそうに、口籠る陸。
その目は、星那と夜凪、双方をチラチラと移動していた。
そんな陸に代わって、星那が口を開く。
「男子の中に、結構な範囲で私の写真が出回っているって事だよね?」
「お、おう……知っていたのか」
「そりゃ、まぁね……あるだろうとは思っていたよ」
実際、星那がまだ夜凪だった時も、級友がそうした写真を所持していたところを見た事がある。
自分の写真をあまり所縁もない他者が所持している事に思う所はあるが、一方でそうした拡散が根絶できるとも思っていない。
「勿論、不許可で撮影した画像を所持しているなんてのは違法だ。それでも外に出さずに自分で見ているだけだったら良かったんだがな……」
しかし、それを流出させた物が居たという。
そうなれば、話は別となってくる。
重たい沈黙が、食事の場に漂ってしまった。
陸がしまったという顔をして、話題転換のネタを探そうとしていた、その時。
「そういえば、再来週にはもう期末試験だけど、三人とも大丈夫?」
「「「……うぐっ」」」
ほやんと放たれた柚夏の言葉に、三人の引き攣った呻き声がハモった。
この中で、夜凪……元『星那さん』を除いた三人の中で中間考査の成績が良かったのは……まず一番が、意外な事に柚夏である。
というより、柚夏はもともと学業の成績が良く、常に十位以内をキープしている文武両道の優等生だ。
続いて、少し下がったところに夜凪。こちらは、半帰宅部であり、家事が済んだ後は自主勉強の癖がしっかり付いているためだった。
陸は……まぁ、赤点の心配はなさそうというラインをなんとか、というところ。
三人の視線は、残る夜凪……『星那さん』の方へと集中した。
「……一応、『夜凪君』より二十位くらい下でした」
つまり、五十位以内には居たと。進学校であり、生徒数もそこそこ居る白陽では十二分に成績優秀者の範疇だ。
しかし、今回は……
「なっちゃんと、よー君は、今期は休み多かったよねー」
無邪気に宣う柚夏だったが、二人はその言葉に絶望の表情で俯く。
「どうしよう……私、全然勉強してない……」
「同じく……しかも僕たちは、試験結果にかかわりなく補習決定してるんだよね……」
のしかかる、出席日数の危機。
それに、課題こそこなしたものの、試験範囲の大半の授業を受けていないという凄まじいハンデを抱えている。
「しょうがないなぁ……なっちゃん、私が試験期間で部活休みになったら、なっちゃんの家に泊まり込みで勉強会しよ?」
「是非!」
「お願いします!」
すっかり頭を抱えた二人に、女神が舞い降りた。
その柚夏の言葉に、星那と夜凪は涙目で、それぞれ柚夏の手を取って逃すまいと食い付く。
「……おまえ、星那の飯が目的だろ」
「あだっ。いいじゃん、ウィンウィンの取引だよー? それよりチミは大丈夫なのかね、陸君や」
「……すまん、星那。俺も参加したい」
あっさり手の平を返した陸に、あはは……と苦笑する星那。
こうして……来週から一週間、白山家にて四人でのお泊りテスト勉強合宿が決定したのだった。
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