From Sidekick To Spotlight
「詩音、ごめん、ごめん……」
家に着くと俐一は詩音をすぐさま抱きしめた。俐一の声は、深い自責と安堵が交錯したもので、瞳からは涙がこぼれ始めていた。
「俐一君……」
詩音は俐一のことを優しく抱きしめ返すと、俐一と同様に涙を流した。本当なら、俐一の愛が本物じゃないと認めさせてこのカップルを終了させるつもりだったのに。俺が想像していたものとは違う光景が広がっている。
「こんなことになってるって知らなくて……無事で本当に良かった……」
「私は大丈夫だよ、私こそ心配かけちゃってごめんね。俐一君こそ、怪我大丈夫?」
「大丈夫だよ。こんな時にも僕の怪我を心配してくれるんだね、詩音」
確かめ合うかのように見つめ合う2人。心を通わせあっている。俺はポケットに手を突っ込んで、彼らが視界に入らないように窓の方を見た。
「カイが、守ってくれたんでしょ……」
「うん……」
名前を呼ばれたので視線を彼らに戻した。
「僕……詩音の彼氏としてふさわしいのかな」
「え?」
詩音は動揺した様子で俐一を見ている。
さっきまで、床にへばりつきながら詩音を返してと泣いていた人が何を言い出すかと思えば。面倒臭い奴。
たまに垣間見せる俐一の自己肯定感の低さが、今はモロ出しだ。
「たまに自信がなくなるんだ……今は特にそう」
「……俐一君が良いよ……俐一君じゃなきゃ嫌だよ……」
詩音が俐一をぎゅっと抱きしめた。
「詩音……。ごめん、もう詩音のこと不安にさせない、絶対……!」
「俐一君……」
身を寄せ、固く抱きしめ絆を確認し合うその様子をベストポジションで鑑賞している俺。
何を見せられてんだ。
「はぁ……俺もう行くわ」
もう時間の問題だと察した。2人の唇がくっつく瞬間はなんか見たくなかったので背を向ける。
「カイ!」
呼び止められてその場で、「ん」と返事をする。
「ありがとう」
俐一の後に詩音も「ありがとう」、と続いたのでまた、「ん」と短く返事をして伸びをする。なんだか場が静かになったので振り返ると、2人は見事なまでの長いキスをしていて俺はダメージを受けた。最悪。俺がいるんだから少しは気を使ってほしい。
このまま家に残ってロマンス映画の続きを見せられるのは勘弁だ。早急に荷物をまとめ、深い息を一つ吐いて家を出てぶらぶらと歩き出す。
身体を張って助けて、有給も取ったのに……かえってこのことがあの2人の絆を強めてしまった気がしてならない。まぁ、結果それはそれで良いことなのかもしれないが……
とりあえず、後のことはせいぜい2人でなんとかしてくれれば良いと思う。ポケットの中に手を突っ込んで紙切れに触れた。
商店街を抜けて、住宅街に入る。この辺には秋の家がある。ベージュ色の家の屋根。あった。目立つ場所に位置しているので見つけるのは容易だ。
何気なく窓の方を見てみると女性と男性の影が映っている。女性の影を一目見てそれは秋のものだと確信する。今日は夫婦2人とも仕事が休みのようだ。
影が重なり、やがて離れた。影の形を辿る。男性の腕が振り上げられたかと思うと、女性の押し殺したような叫び声が耳に入ってきた。秋……?
その瞬間、足が自動的に声の方に向かって動いた。近づくにつれて窓を通じて見える家の中の様子は詳細になっていく。女の影――秋は頬を押さえながら床に膝をついている。その普段明るく元気な彼女が、苦痛の表情を浮かべていた。彼女の髪の毛が、男によって強く鷲掴みにされ、無理に引っ張られているのが見えた。俺はすぐさま窓ガラスを叩く。男は俺に気がつくとカーテンをサッと閉めてしまった。
「ふざけんなよ」
声が漏れる。
夫婦喧嘩としては明らかに度を越えていて、見逃すわけにはいかなかった。その場に立ち尽くしているだけの俺じゃない。急いで玄関に駆け寄り、インターホンを押す。反応はない。力いっぱいドアを叩いた。しかしやはり中からは一切の反応がない。シカト決め込みやがって。怒りと焦りが心を震えさせ、回り込んで再度窓ガラスを叩いた。再三にわたって叩きつけたからか、カーテンが開けられたかと思うと眼鏡をかけた秋の旦那が怒りに満ちた目で俺を凝視し、「警察を呼ぶぞ」と低く、力強く言い放ったのが分かった。
窓を開けるようジェスチャーをすると、3cmほど開かれた。指を滑り込ませて横に力を込めて半分ほど開ける。
「俺も丁度警察呼ぼうかと思ってたとこでした。秋が暴力振るわれてたんで」
「あなた秋のなんなんですか?」
仁王立ちになり冷たい声で問いただす旦那に、俺は堂々と目を見つめ返した。旦那の瞳は怒りと、どこか焦りが混ざり合っているように見えた。
「秋は俺の姉の親友です。小さい頃から面倒見てもらってた大切な人です」
「関わってこないでくれますか? これは夫婦間の問題です。誰の弟か知りませんけど、何度も窓を叩かれて迷惑です」
秋が横から顔を出した。
「嘉一、ごめんこれは私が悪いから! 本当大丈夫だからもう帰って」
秋は無理矢理の笑顔を作りながらも、その目は遠い何かを見つめているようで、深い恐怖と葛藤が感じられた。笑顔とは裏腹に秋の頬には紅い血が滲んでおり、胸が引き裂かれる思いがした。
「ほら、秋もこう言ってますし。お帰りください」
秋の旦那は秋と同様に笑顔を作りながら穏やかな口調で俺を諭して来た。その偽りの表情と声に、胸の中の怒りが静かに湧き上がってくるのを感じた。
「血、出てるじゃん。何が大丈夫なの」
「いや、あの……」
秋は必死に言い訳を考えているようだった。
「転んだだけですよ、ねぇ秋?」
「そう! 転んだだけ!」
笑顔の旦那に合わせるように、無邪気に言う秋。全部、この男が言わせている。見ていられないものがある。
「お前がやったんだろ?」
秋の旦那を睨みつけた。
「あぁ?」
スッと男の表情から笑顔が消えた。
「お前がやったんだろ?」
「今お前って言ったかクソガキ」
男は眼鏡を外した。眼前の男の視線が狂気に満ちたものに変わる。しかし俺は踏みとどまる。
「秋に傷をつけたのはお前かって聞いてんだよ」
「だったらなんだってんだよ!」
怒鳴りつけてきた男の息にアルコールを感じた。そういうことか。だから酒は嫌いなんだよ。
「やめろよ、こういうことするの」
低い声で言うと男はイライラしたように返して来た。
「うるさいねぇ、
「何が躾だ。アル中野郎には俺からも躾してやる」
「はぁ? てめぇ調子乗ってんじゃねーぞ」
男は窓を全開にして俺に拳を放ってきた。所詮は大量飲酒状態の素人のパンチ。それは俺には遅く見えた。拳を躱しながら、腕を取り外に引きずり出す。裸足のまま外に放り出されてよろけた男の隙間に素早く身体を滑り込ませて背後をとると、首に腕を回して締め上げた。男は最初抵抗していたが数秒後、意識を落としてぐったりとその場に崩れ落ちた。
「調子乗るなは、こっちのセリフなんだよ」
動揺する秋を横目に、気絶している旦那の身体を家の中に運んだ。
「ひろ、ひろ、大丈夫?」
床に下ろすと秋はふるえる手で旦那の体を揺すっている。その様子がどうにも納得できない。
「なんでそんな奴のこと心配してんの……」
「だって、起きない!」
「一時的に気絶してるだけで別にこんなの軽傷だよ、どうせすぐ起きる」
「でも……」
「秋」
秋の目が俺に向いた。普段の秋からは想像できないくらい、それは悲しみに満ちた目だった。
「これは俺が悪いのか?」
「……」
「なんで相談してくれなかったの」
「……こんなの、言えるわけないじゃん」
秋の声は震えていた。
「姉ちゃんにも言ってないんだろ……」
「言ってないよ、言ったことがひろにバレたらどうなるか……百子は百子でもう家庭があるんだよ、いつまでも迷惑かけられない」
「じゃあ俺が――」
「なんで来たの……ひろに目つけられちゃうよ……嘉一が同じ目に合うの嫌だよ、まだ子供なのにそんな思いさせられない」
「は? 俺はもう子供じゃない、社会人なんだけど」
「だってあんなにちっこかったじゃん、横断歩道も1人で渡れなかったくせに」
「いつの話だよ。今は182cmあるしもう横断歩道くらい1人で渡れる」
「ふぇーん……」
どっちが子供なんだか。やれやれ、と思う。
「俺たちのところによく来るのも、旦那と一緒にいたくなかったからじゃないの」
「それは……」
秋はよく俺たちの家に遊びに来た。面目は、「百子に面倒見るよう頼まれているから」だったが、それだけではないと思っていた。
子供の頃に見た秋の笑顔とは違う……結婚してから秋は少し疲れたような無理やり作っているような笑顔をよくするようになった。
「正直、見てられなかった。俺は分かってたよ。……いつか、いつか救いたいと思ってた」
俺は知ってる。
顔にできた傷を隠すように化粧をしてることも。どんな季節でも長袖を着ている理由も。
「嘉一……なんでここに来たの? 仕事は?」
「今日は有給。散歩してて――いや、ここにはたまたま通りかかって……それで。別にストーカーとかじゃないから!」
「そっか……すごいタイミングで嫌なもの見せちゃったね……」
秋は傷を隠すように頬を押さえた。
「旦那のこと、まだ好きなのかよ」
「……」
口をつぐんでいる秋。
本当に好きなら好きと言うだろう、俐一のように。
「まだ俺をあの頃のガキのまんまだと思ってる?」
「……」
「多分そこらへんの一般人より俺、強いよ」
「……うん。間違いない、ね」
「頭も多分……そこそこ良い」
「……良い大学出てるもんね」
「金銭的にも安定してるし」
「……大手だし、ね」
「性格はこんなんで無愛想なもしれないけど」
「……人一倍努力化で、実は優しいの
知ってるよ」
秋が少し潤んだ目でこちらを見たので、思わず目を逸らすが、そのまま下の方を向いて言葉を続けた。
「頼りがいはある方、だと思う」
「……うん」
「なんかうまく言えないけど、俺……秋の『イエルテ』になりたい」
秋の顔を見ると、目が驚きで広がったのが分かった。
そして優しい表情になった。
「本当に嘉一は……イエルテそっくりだよ」
秋は昔の笑顔で笑った。
その時、秋の旦那の意識が戻り、過呼吸のようになりながら嗚咽を漏らした。咄嗟に俺は秋の腕を引いて家を出た。
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