魔界の章

第1話 悪魔ダンタリオン (ダンタリオンの視点)

 

 悪魔の仕事ってのは、実際のところ、単調でつまらないものだ。


 いや、期待を裏切らないように言っておくと、悪魔らしい悪魔は人間を騙したり、堕落させたりして刺激的な悪魔ライフを楽しんでいる。


 しかし、それは、極一部の上層の悪魔たちだけであり、俺は人間とは無縁の生活を送っている。


 魔界の隅っこにある、何もない平原。

 ポツンと生える枯れた一本の木。その地下の、根っこがつたう空洞。

 ここが俺の住処だ。


 薬草やトカゲのしっぽ、蜘蛛の足などを調合し、大釜で煮込んで、ほかの悪魔に売るための薬をつくっている。


 俺はまあ、「悪魔の薬屋」なのである。


「おい、ダンタリオン」


 根っこの上で、俺の名を呼ぶ声がした。

 きっと、俺の雇い主である悪魔マモンが遣わしたカラスだ。


「マモン様がおよびだ。来い。」

「…すぐ行くよ」


 俺は、マモン様の注文で開発した「角を生やす薬」を大釜から瓶に詰める。


 マモン様は強欲な悪魔である。


 角があろうとなかろうと大した問題はないのに、魔界で一番角が長いと言われる魔王サタンを超えないと気が済まないとかで、俺に薬をつくらせたのだ。

 かつても、「舌を長くする薬」や「肩幅を広げる薬」など、彼の強欲のために作った薬は幾多にも及ぶ。


「急がないと…」


 マモン様の呼び出しに遅れることは許されない。

 慌てて薬を瓶に詰め、住処から這い上る。


 俺を呼んだカラスが飛び立つ。


「遅いぞ」


 と、皮肉を放つのを忘れずに。


 俺は舞い落ちたカラスの羽をちゃっかりとポケットにしまった後(薬の材料に重宝させてもらう)、頭上のカラスを追って平原を歩いていく。


 すると、お迎えの巨大蜘蛛が地面を破壊し地下から現れた。


「乗れ」


 カラスがぶっきらぼうに指示する。

 俺は蜘蛛の足からよじ登って、蜘蛛の背中に乗っかる。


 すると、蜘蛛は俺を乗せたまま地下の空間へと降り、カラスもそのあとに続く。

 そのまま地下路を通って、マモン様の屋敷へと向かっていく。


 この時、俺の住処からはるか遠く、魔界の王宮―パンデモニウムで一大事が起こっていたことなど、知る由もなかった。


 ◆


 俺がマモン様の屋敷についたとき、マモン様はペットであるハリモグラの背中の針に自分の手を置いて、チクチクとした痛みを楽しんでいるところだった。


「この痛みが癖になっちゃう」

「……そうですか?」

「で、その紫色の気持ち悪い液体は?」


 マモン様は、俺が持ってきた薬瓶を指さした。


「こちら、ご所望の〈角を生やす薬〉です」

「なに!そんなものいらないわっ!!!」

「……え!?」


 マモン様は、薬瓶を忌々しいと言わんばかりに壁に投げた。


 瓶は割れて、薬は床に流れ落ちていく。


「そんなぁぁ……」


 材料集めから精製の方法まで一から作り上げた薬だというのに。


「何よ、自分の角が長いからって、自慢??」

「いえ、そんな」


 マモン様が不満げに指さす俺の角は確かに長い…が。


 人間界で言うところの羊のような巨大な巻き角であり、マモン様がご所望した直線的に長い角ではない。


「その悪魔らしーい角も仮面も髪の毛もいつか引き剥がしてやるんだから!」

「ご、ご勘弁を…」


 確かにおとなしい性格と反して、俺の見た目はと言えば実に悪魔らしいのだ。


 顔は羊骨の仮面をつけ(仮面の下は内緒だ)、仮面の奥では真っ赤な瞳を光らせている。

 ぼさぼさの灰色の髪は動物の体毛のように腰まで自由奔放に伸び、幅広な肩から長い腕をぶら下げ、身長はゆうに2mを超える。

 人間が見たら、一発で怖がってしまうのだ。


 一方でマモン様は、顔はカラスの頭頂部で、胴体は人間の見た目である。全長は1メートルに満たない小柄なのである。人間から見たら不気味ではあるだろうが、本人が気にしているように、迫力のある見た目ではないのだ。


 ちなみに、マモン様が人間に化けると、華奢で可憐な少女の姿になる。

 その名残なのか、マモン様は悪魔の姿の時でも少女(?)のような口調が残っており、いささかキツイものがあるのだが、それは今はおいておくとして…。


 まさか、自分が「角を生やす薬」を欲しがったことを忘れてしまったのだろうか。


「マモン様が、角を生やす薬をご所望されたのです」

「え…そうだっけえ?!」


(やっぱり忘れてる…)


 マモン様は強欲であると同時に、気分屋である。

 激しく欲したものを、次の瞬間には「いらない」と捨てる。


(せっかくつくった薬、使ってほしかったのにな…)


 「急ぎで」とオーダーを受けて徹夜した努力が報われず、俺はつい涙目になりそうになった。


「ねえ!そんなことより、あんたを呼んだのは!これ!これを見てよ!」


 マモン様は、魔テレビ(魔界にあるテレビのようなものである)をつける。


 そこに映った光景に、俺は息をのんだ。


「こ、これは…」


 破壊され、煙を上げている――


 魔王サタンが住む魔界の王宮・パンデモニウムの様子である。


 そして、魔テレビのテロップには、衝撃的な文字が。


「魔王サタン封印される!1000年の眠りへ」


 俺は、動揺を抑えきれない。


「魔王様が…!?ふ、封印!?」

「最高よね、今夜はパーティーだわっ」


 かねてより、自分が魔王の座につくことを狙っていたマモン様は、うれしいと言わんばかりににまりと笑う。


「いったいどんな悪魔が…魔王様を倒したのでしょうか?」


 最強とうたわれる魔王の力を封じる悪魔なんて、「7つの大罪」と呼ばれるマモン様を含む悪魔のビック7くらいしか考えられない。


 思い悩む俺を前に、マモン様はいたずらっぽくニンマリと笑う。


「人間よ」

「はい…?」

「〈勇者〉を名乗る人間たちが、魔王を封印したの」

「勇者……」

「人間に先を越されるなんて腹立つう~。というわけで、捕まえて!」

「は、はい!?」


 さすが気分屋のマモン様だ。無茶ぶりもぶっ飛んでいる。


 なるほど、俺を呼んだのは魔界に来た人間を捕まえるためか。


「俺はただの薬屋ですし…普段、引き籠っているので、人間はちょっと…」

「仕方ないじゃーん。ダンタリオンは、見た目だけは立派に人間が怖がる悪魔だし?」

「で、ですが…徹夜明けですし…」

「ふーん、人間の魂を奪えない弱小悪魔を雇ってあげてるのは誰だと思ってるのかな」

「……」


 マモン様の言う通り、俺は自分の力で人間の魂を奪うことができない。

 俺は悪魔だけど、人間が怖いんだ。


「ほら、エテルが欲しいんでしょ。ならやってよ」


 マモン様は俺に“エテル”が入った袋を投げつけた。

 俺はそれを拾い上げる。

 袋はずっしりと重い。一か月分のエテルはある。


(エテルのため……)


 エテルは、魔界の通貨のようなものだ。

 人間が聞いたらぎょっとするかな。

 エテルは――死後の人間の魂の結晶でできている。


 欲深く生きた人間の魂ほど、結晶の色が暗く濃くなり、魔界では高価なものとなる。

 さらには、〈色欲〉に染まった魂は桃色、〈傲慢〉に染まった魂は青色といった具合で、「どの欲望に染まったか」で結晶の色が変わる。


 ありとあらゆる欲望に染まり切ったら―――?

 そのとき、人の魂は漆黒色の結晶となり、魔界では最高級の通貨となる。


 悪魔が人間と〈魂の契約〉を結ぶのはエテルのためだ。

 契約を交わした人間の欲望のままに奉仕し、手塩をかけて欲深い魂を育てる。

 人間の死後、高級な魂の結晶を頂くために…。


 マモン様が裕福なのは、太古の昔から何千もの強欲な人間と魂の契約を結んできたからである。

 自分で人間の魂を奪えない俺が魔界での生活費を稼ぐためには、マモン様のような悪魔に雇われてエテルをもらうしかない。


「わかりました、マモン様。勇者をお連れします…」

「ふふ、楽しみね、勇者の魂はどんな色かな?」


 マモン様は楽しそうに口笛を吹いた。

 勇者を捉える理由なんて、興味がある…それだけの気まぐれなのであろう。


 そして俺は、この一袋のエテルのために、自我とかプライドとかそういう類のものを手放す。

 俺は勇者を探すため、しぶしぶとマモン様の部屋を後にした。



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