第14話

 町はずれの銭湯の中にあるちいさな卓球場で色黒の少年と長身の男が細かいラリーを繰り返す。得点板を取り出した番台の少年とすれ違うようにして私は奥に座る老婆に歩み寄って頭を下げる。この卓球場は長いんですか?とか声を掛けたかったがウォームアップのラリーが止んで老婆の眼が台に集中すると私は横に並んで声をつぐんだ。


「ショージの相手は地元の大学生だね。ガキの頃は慣らしたつもりみたいだけど面白みのない優男だね。プレーが真面目過ぎるんだ」


 驚いて私は老婆の顔を見つめた。まだ試合が始まっていないのにそこまで分かるものなのか。私も子供の指導して長いが、彼女はそれ以上に長く卓球に向き合っているに違いない。タバコのソフトパックからわかばを一本取り出して咥えるとマッチで火を着けながら老婆は独り言のように、隣に立つ私に言うようにして呟いた。


「安心しな。ショージが勝つ」


 男がサーブを打ち、色黒の少年がリターンを返す。男が力強く3球目を放つが少年のガードを崩せない。短い強打のラリーが続くと少年が男の集中の隙を突くような鋭い打球をクロスに打ち込む。得点係の男の子が特にコールもなく板の数字を捲る。


「なんだ、アンタ全然たいしたことないじゃん」


 得点した色黒の少年、ショージが信じられない、といった顔の男を見て余裕の表情を浮かべた。


「これじゃ練習にもなんないからさ。オールフォアで打ってやるよ」

「…舐めた口を。二度とそんな言葉を吐けないようにしてやる」

「すこしは良い顔になったじゃねぇか。で、振る気にはなったかよ?お兄ちゃん」


 調子づいた口調で男のサーブをやり過ごすショージという少年を見つめながら私は老婆に訊ねた。


「あの少年は誰なんですか?大学生の打球を平然と返す小学生がこんなところにいるなんて」

「あんた、教育者だね?なんにも知らない振りをしてアイツをスカウトしにきたのかい?」

「いえ、本当に知らないです。彼の事は」


 自分が中学生相手に指導をしている事は伝えなかった。テンションが上がっていた事もあったが、この辺境の場で新時代の実力者を見つけたという背徳感があった。


「山破ショージ。3年前からここに入り浸ってる悪ガキさ。仲間内で遊んでたら自分に卓球の才能がある事に気づいたんだとさ。アイツくらいの歳ならよくある話さ。でも」


 タバコの煙を吐き出して老婆は言った。


「アイツはオリンピックを獲るだけの才能はあると思ってるよ」

「くそっ!なんなんだこの子供はっ!!」


 悪態をつきながら男が壁に跳ね返ったピン球を拾いに振り返った。番台の少年が抱える得点板に目をやると6-0と大差がついている。


「パコ!数字が一個少ないよ!7-0だ。ショージの方を捲るんだ」

「ああ、ゴメン!ショーちゃん。…ほら、これでいいんだろトミ婆」


 番台の少年が声を張ると老婆は椅子に深く座り込んで微笑んだ。私と目が合うと老婆は話し出した勢い止まらず、といった具合で言葉を吐き出した。


「アイツはあたしの孫代わりのパコ。血のつながりはないけど本当の孫みたいに可愛がってやってるんだ。あたしかい?小岩トミ。この温泉卓球道場『オイワ』を経営するオババだよ。オントシ80歳。亭主はいないけど別に募集はかけてない」


 私はそうですか、と愛想笑いを浮かべると「立候補するかい?あたしの亭主に」と鼻で笑われ視界を卓球台に戻す。どうやらショージはまだオールフォア、ラケットのフォア側だけで打球を処理しているようだった。ショージがネット際に出された短い打球に飛びつく。すると男のラケットが平手打ちのように横に振るわれた。


「やれやれ。安直でケチ臭い考え方だね」

「ほら、どうだ!これでオールフォアは終わりだ!」


 台の右端から左端に急展開の打球が放たれた。運がよければバックハンドで追いつける球威に見えるが、それではショージのオールフォアの縛りが崩れてしまう。この勝負は11点先取のワンゲームマッチ。点差は付いてしまっているが相手のわずかなほころびをついて逆境を跳ね除けた選手を私は何人も知っている。ショージもここでペースを崩して相手に捲られてしまうのか。するとここで驚きの一打が飛び出した。


「フォアで返した!…だと!?」


 台の中央まで戻ったショージがフォアハンドで打球を返す。打ったのは利き手とは逆の左手だった。いつ、どのタイミングでラケットを持ち換えた?それよりも今のショットは右手と変わらない打球速度だった。もしかして彼は左でも右と同じように打てるのか!?


「だとしたら神童だね、アイツは」


 隣でトミ婆さんが私の頭を覗き込んだような言い回しでくっくと笑う。試合はその後もショージがオールフォアを保ったままマッチポイントをゲット。「しゃあ!」と拳を握るショージとは対照的に男は得点板の自分側の数字である0を憎らし気に眺めた。この勝負はもう決まりだ。


「最後にひとつ、いいもん見せてやるよ。そら!」


 ラリーの途中、クロスに短く出た打球をショージが角度のある位置からしゃがみながらリターン。打球は斜めから台に飛び込むとネットの上部を滑るようにして転がる。その球の行き先を私たちは驚嘆の眼で見送った。


綱渡タイトローピング……!」

「しゃあ!スコンク成立!」

「すげー!ショーちゃんの勝ち!」

「ははっ…小学生が大学生相手に……恐れ入った」


 体が自然に勝者であるショージに拍手を打っていた。これが天才卓球少年山破ショージとの出会い。彼と私はこの後紆余曲折を経て卓球道を究めていく事になる。これはまだその軌跡の序章だ。


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