小野小町降臨

@michiseason

第1話 紀静子

 桓武天皇が 都を平安京へ移して50年、ようやく都は落ち着き、「弘仁文化」などと言われる新しい唐風文化が華やかに宮廷を彩り出していた。

  日本における初めての本格的な都市宮廷文化で、承和の変を乗り切った仁明天皇は時に壮年の35歳、両統 の分裂を解消したその権威は 極めて大きなものであり、その下で「竹取物語」など 注目される宮廷文化が展開されいた。

 「 竹取物語」の背景には、嵯峨~仁明の両天皇の時代、旧暦11月の新嘗祭(天皇の主催する収穫祭)の五節舞(乙女たちが天女の扮装をして舞う舞踏会)が 盛んになったことがあった。

 この時代、五節舞の舞姫は舞踏の後にしばしば天皇の寝所に上がったことから、 五節舞は貴族の娘たちが人々に容姿を披露して 社交界にデビューする宮廷舞踏会、 王妃選びの舞踏会として宮廷社会で大きな位置を占めていた。

 

 天つかぜ雲の通ひ路ふきとぢよ

     をとめの姿しばしとどめむ

              (古今集巻17)

 

  という有名な和歌は、仁明天皇の蔵人頭であった良岑宗貞(後の僧正遍昭)が五節の舞姫に詠んだものであって、彼女らが 天女に擬せられたことを明瞭に示していた。

 この五節の舞の起源は、天武天皇が吉野山中で 天女を幻視したという 神話・伝説にあったが、 そもそも天皇制の歴史の中には天皇は天女と結婚できる存在だから 天皇と呼ばれるという観念があったのである。

 そして「竹取物語」も、要するに天皇と天女の恋愛の物語が表の主題として描かれていた。

 良岑宗貞は、この美しい乙女たちの姿を天女が美しく踊っているようだと錯覚した。 彼は自分の未来を輝かしいものになると、乙女の踊りを見ながら想像した。 彼は良岑安世の子であった。

  父良岑安世は、変わった生まれである。 彼の母は百済王族の一員であった百済永継で、桓武天皇の采女出身で藤原内麻呂に下され、 真夏・冬嗣の兄弟をもうけながら、後に再び建武天皇の元に戻って 良岑安世を生んだ人物だった。

  このため 良岑安世は、今をときめく藤原北家の良嗣と異父兄弟であり、 その子供の宗貞は桓武天皇と藤原北家の血を受け継ぐ貴公子で、出世は約束されていた。

 彼も上手くいけばこの中の一人の女人でも下されるかもしれないと、淡い期待を胸にうら若き乙女を見つめていた。

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