第4話

 翌日、コリンナは律儀にグレーデン侯爵家へとやってきた。

 昨日と同じように応接間に通される。案内してくれたメイドが心なしか怯えているような気もしたが、気づかないふりをした。昨日のメイドとは違うから、きっとコリンナのことは既に侯爵家の使用人たちの中で広まったということだろう。

(図々しいお嬢様とでも言われてるのかしら? まぁなんと思われても私には関係ないわね。もとはそっちの職務怠慢だわ)

 主人であろうと諌めるべきところは諌めるべきだ。ましてグレーデン侯爵には親族がいないのだから、なおさら。


 出された紅茶が温くなり始めた頃、ようやくその人はやってきた。

「……五点」

 コリンナは眉を顰め、ティーカップを置きながらそう告げる。その反応にリヒャルトは肩を竦めて答えた。

「人に会って早々にそれは失礼じゃないかな」

「……失礼? 失礼とおっしゃったの? あなたが?」

 コリンナは怒りで身体を震わせながらキッと侯爵を睨みつけた。

「失礼なのはどっちなの!? 相変わらず櫛を通していないボサボサの髪! 皺だらけの服! 剃ってない伸ばしっぱなしの髭! そして約束の時間に遅れてきて謝罪ひとつない! どれをとってもあなたのほうが失礼よ!!」

 びしっと自分を指差して言い切ったコリンナに、リヒャルトは目を丸くした。その顔に不快感や苛立ちはまったくない。

「それは確かに。そうなるとむしろ五点もらえたほうが驚きだな」

「遅れてきたとはいえ、迎えがなくてもちゃんとここに来たから五点差し上げたのよ」

 少なくとも曜日感覚が狂っていたわけではないということだ。……まぁ昨日の今日でわからなくなっていたら研究だのなんだの放っておいてとにかく休めという話だけど。

「なるほど、昨日よりはマシという意味?」

「それ以外はマシなところが一切ありませんけど」

 なんせ見た目はほとんど変わっていない。いや、髪はボサボサだが昨日より艶があるし、服も違う。おそらくあのあと入浴くらいはしたみたいだ。……清潔感は程遠いが。

「せめて髭を剃るくらいしたら良いでしょうに」

 ため息を誤魔化すようにコリンナは紅茶を飲んだ。

「生えっぱなしなのが普通だからなくなると居心地が悪いんだよね」

「それならせめて整えるくらいなさったら?」

 髭を生やしていてもきちんと整えてあるのならそれはおしゃれと言えるものになる。リヒャルトくらいの年齢では珍しいかもしれないが、コリンナの父の世代ともなるとそういう男性は多くいた。

 しかしリヒャルトは小さく笑う。どこか馬鹿にするようなその笑みがコリンナはとても嫌いだ。無意識でやっているのだろうけれど、失礼にもほどがある。

(……まぁ私はお兄様やエミーリアのように賢いわけではないけど)

 勉強はあまり好きではない。マナーや作法は公爵家の令嬢として生きていくために必要だったからしかたなく覚えたけど、必要のない知識まで覚えようとは思えなかった。

「君に会うためだけにいちいち髭を整えろって? 面倒じゃないか。見た目なんて大した問題じゃないよ」

 リヒャルトが直近で会う予定があるのはコリンナ一人。出かけるわけでもないし、他に訪問者があるわけでもない。グレーデン侯爵家の使用人たちは自分たちの雇い主がどんな姿であろうともう気にしない鋼の精神力を身につけているので問題ないと言いたいのだろう。

 コリンナはティーカップを置いた。その手がふるふると小刻みに震えている。

(見た目なんて……大した問題じゃない、ですって?)

「何をおっしゃってるの!? 見た目なんて大事に決まっているじゃないの!」

 コリンナが声を荒らげると、リヒャルトは驚いたのか持っていたクッキーをぽとりと落とした。

「第一印象なんて見た目でほとんど決まるんですよ。そして一度根付いた印象はなかなか払拭できないものなんです! 舐められないためには初めから武装しなくては!」

「見目をよくすることは武装?」

 落としたクッキーを拾いながらリヒャルトが問いかけてくる。あ、この人そのクッキーをそのまま食べるつもりじゃないかしら――なんてコリンナが思った通り、リヒャルトは落としたクッキーを気にせず口の中に放り込んだ。見目以前のマナーの問題である。

 はぁ、とコリンナは息を吐き出した。この男、問題が多すぎてどれから手をつければいいんだろうか。

「ええそうです、私にとってドレスは鎧と同じですもの。侮られたり舐められたりしないために、私はいつもこうして自分を武装するんです」

 ひとまず会話を途切れさせてはいけないとコリンナはリヒャルトの問いに答えた。話すことをやめたらリヒャルトはきっと「今日はもういいかな?」と言ってこの部屋を出ていくに違いない。

 コリンナは善人でも女神でもないが、自分で決めたことはやりきる主義だ。リヒャルトをとりあえずは命の危機を感じない程度にはどうにかしなければ。

 リヒャルトはそんなコリンナの決意を知ってか知らずか「ふぅん」と呟いた。

「でも別に、君は着飾らなくたって十分綺麗じゃないかい?」

 それは、あまりにも自然に出てきた言葉のようだった。

「…………」

「……なんで黙るの?」

 黙り込んだコリンナに、リヒャルトは眉を寄せる。さっきまで饒舌だったのに急に黙るので不思議になっただけだ。体調を気遣うような紳士らしい一面はない。

 しかし。

「…………あなたからそんな言葉が出ると思わなくてびっくりしました」

 思わず改まった敬語になってしまうくらいには、驚いた。お世辞とか言える人なのね、とコリンナはリヒャルトの評価をちょっと変えた。

「そんな言葉って言われても。事実を素直に口にしただけだろう?」

(……お世辞ではないって言いたいの? まさか口説いている――わけないわね)

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