赤い夜——アルゴ
午後8時50分。
彼は
教皇は今のところ黙っているが、さて、どう出るか。
俺達武器商人、椿会としては、武器輸出のチャンスでもあるため、平和主義を貫き通すつもりでいる若葉には政界から退いてもらうことにした。
怪我で済むとしても、警告にはなるだろう。
大粒の雨が降りしきる中、階段の下に潜む。ここは曜日によってゴミ捨て場になるらしい。
他にもエントランスを狙撃できる奴が付近に潜んでいるが、俺も応援できるよう、ここにいる。
まあ、伯父さんが仕掛けた罠だ、警察に御用になることはないだろうが、どんな邪魔が入るかもわからない。
ホテルとこのビルの間には車道があり、断続的に車が走る。雨の中、タイヤが水しぶきを上げる音が、その車の後に続く。
左耳に差し込んだイヤホンに、何も反応はない。さきほど事前の打ち合わせ通りの位置に着いたと伝えたきりだ。
ホルスターに仕込んでいたリボルバーを取り出し、雨に濡れていないか再確認する。
弾は俺がハンドロードで作り上げた。ビッグネームを撃てるかもしれない、いい機会だ。どこまで威力があるのか、試してみたい。
俺はこういう仕事の時、銃は2丁携帯するようにしている。オートマチックの
どちらも親父からもらったもので、手になじむほどに使いまくっている。左手でザール、利き手である右手でスミスを使うようにしている。親父のやり口で、俺に教えてくれるときもそうだった。
ザールには、音を小さくするためサプレッサーを取り付けておいた。あまり大きな音が鳴ると、騒ぎを聞きつけた警察隊が予定よりも早く駆けつけるかもしれない。最初はザールで、トドメにスミスを使う算段だ。
しかし、今は愛銃のメンテナンスも程々に。雨のノイズの中、微かな音を探す。
階段の影に隠れ、暗闇に飽きてきた頃、ふと、誰かが近寄る気配を感じた。雨の中、誰かが歩いている音だ。
隠れつつその音源を探す。
眼鏡をかけた彼は、傘を差しながら、何もないかのように堂々と歩いていた。ただの通行人かと思った。
しかし、彼はホテルのエントランスの対面、つまり俺の目の前で足を止め、そのエントランスを眺めるように俺に背を向けた。
雨の降りしきる中、彼はずっとエントランスの周りを眺め、何かを確かめていた。動くつもりもないのか、片手をポケットにつっこんでいる。物陰に隠れている俺が言うのも何だが、怪しい。
ふと、無線機が鳴った。
「そいつは十月革命だ。殺してかまわない」
見張りからの連絡で、かすかに音がしたらしい。いや、俺が少し動いたからかもしれない。そいつは振り向いた。
「……おや、野良犬かい?」
俺は物陰に隠れたため、彼の顔は見えなかった。だが、明らかに見下してきた。
「忠告しとくが、今から暴れるから、そこを出ねえ方がいいぞ。ケガするかもしれないからな」
彼もピストルを隠し持っているらしく、よく見えないが、オートマチックの銃をコッキングする音がした。
「誰がターゲットなんだ? 相手によっては、協力しようじゃないか」
十月革命とは、オ連を盟主とする同盟、共和革命戦線や、最高指導者親衛隊、国際共和党の支援を受けているらしい、テロリストに指定されている武装集団。オ連最高指導者の意思に合わせて動く集団だ。
この目の前にいる男のターゲットが若葉なら、殺してくれる限り別に止める必要はない。だが、それ以外ならば、止めなければならない。
「君こそ、誰がターゲットなんだ?」
質問を質問で返された。まあ、相手も状況は同じだ。
こちらが押し黙っていると、彼はこちらに銃を向けた。
「仲間と連絡を取ってるんだろ? 今すぐ作戦をやめさせろ」
俺は思わず溜め息をついた。
「早くそいつを殺せ!」
彼は今、物陰から覗くかもしれない俺の身体を狙っているのだろう。俺は銃を向けられた時点で隠れるしかできなかった。
イヤホンを通して、指示が飛ぶ。だが若葉の車がエントランスに着く前に騒ぎを起こせない。
俺はおとなしくすることにする。
沈黙が続き、2台ほど車が通り過ぎる。無線の向こうで仲間が叫ぶ。
「もう若葉は目の前だぞ!」
階段の陰から車道の方を見ると、何台かの純白の車がウィンカーを出し、ホテルのエントランスに入ろうとしていた。
「悪いが、君達が作戦を止めないなら、こちらにも考えがある。若葉に死んでもらっては困るからな」
銃を向けていた彼は、若葉の車がエントランスに入りそうになるのを見ていた。
俺達のスナイパーは、エントランスで停車し、下車する瞬間を狙うのだが、目の前の奴は何が目的か分からない。
そして突然、彼は傘を捨て、振り向きざまに若葉の車に向けて発砲した。
銃声が響き、また雨音がそれをかき消す。
なるほど、やっと彼の目的がわかった。
オ連は丹陽連合に宣戦した今、余計な敵を作りたくない。若葉は反戦派で、摂津公爵かつ外務大臣として重大な権限を持っている。彼を俺達椿会が殺すのは、オ連にとって都合が悪いため、それを阻止するつもりだ。
階段の陰から飛び出し、状況を確認すると、車はそのままエントランスに入ったが、誰も車から出ない。
防弾ガラスだったであろう後部座席の窓が、白くひび割れている。車から出てくるところを狙撃する予定だったので、これでは失敗だ。
「弱装弾だ。若葉には当たってないはずさ」
彼はマガジンを入れ替え、銃を俺に向けた。
俺も、ザールに手をかけ、奴の出方をうかがう。
彼の眼鏡には、辺りの灯りが写り込み、瞳を垣間見ることはできなかった。
周りがやけに静かになった気がした。
「だが君には死んでもらおう」
その言葉と同時に、彼は発砲した。
必死で避けたつもりだったが、やはり当たったらしく、左脇に打撃があった。
しかしそれと同時に、俺も奴を撃っていた。彼も小さくうなり、うずくまった。腹を狙ったつもりだったが、当たったか確認ができない。
スナイパー達がリアガラスにも撃ち込み始めたが、ガラスは割れる気配がない。
チャンスをこいつの所為で取り逃がした。計画を狂わせ、撤退せざるを得ないようにしやがった!
腰に差していた無線機のボタンを押し、叫ぶ。
「撤収!」
叫ぶと、喉から熱い液が吹き出、思わず咳き込んだ。
「もう始めてる! お前も逃げろ!」
胸が痛い。
車が目の前で渋滞し始める。サイレンが遠くでなり、その方向では赤いランプが光る。
警察隊が待機していたのか。
俺達の邪魔をしたこいつには、悪いがそれなりの報いを受けてもらう。
先ほど発砲したザールを、右手に持ち直し、うずくまっている奴に向ける。
だがそいつもまた俺に銃を向ける。
うずくまりながら。
あまりにも力なさそうで、その右手を蹴飛ばすと、銃が吹っ飛んだ。
そいつの首を踏みつけ、背中に黒い染みが広がっているのを確認する。
ピストルの引き金を引こうとしたとき、気になる音がした。
誰かが走り寄る時の水しぶきの音だ。
そちらを振り向くと同時に、白髪の子どもが胸に飛び込んできた。
おそらく肺をやられている身として、激痛だった。耐えきれず、倒れ込む。
その子は俺の右手を振ってピストルを手放させる。そして、俺の怪我を確認すると、そこを両手で押さえた。
その痛みに、声が漏れる。
その子は、最初女の子かと思ったが、よく見ると少年だった。夜でもよくわかる、白く長い髪で、よく手入れされていた。ローティーンくらいかと思う。
彼を撥ね除けようとするも、体重をかけて俺を押し倒す。
俺を撃った奴のところにも、人が集まる。
「わたしの声が聞こえますか!?」
彼の呼びかけに、歯を食いしばり、仕方なく頷いて応える。
「すぐに救急車が参りますので、頑張ってください!」
彼の長い髪が俺の首筋を撫でるのがくすぐったい。声変わりが終わったばかりなのか、甲高い声だ。
俺に体重をかけて止血してくれているようだが、期待しているよりも軽いような。
いや、それよりも今はただ胸が苦しい。
「お名前は思い出せますか!?」
おっと、困る質問だ。
生みの親のくれた名前か、それとも育ての親のくれた名前か。本名はどれだろう。
半分からかいだが、その質問には首を振る。
少年はびっくりしたように俺の顔を見つめる。
「生年月日は?」
この質問にも、ちゃんと応えられない。
一応、拾ってもらった日は知っているが、正確な生年月日は自分でも知らない。
また首を振ると、彼は困ったように下を向いた。
唐突に咳をしてしまい、彼の白髪に血を吹きかけてしまった。
サイレンの音が近づく。辺りはそのランプの色に染まっていった。
オリョール人民共和国連邦——大大陸の北方に位置する共和主義国家。オリョール共和党による一党政治の国家で、革命により王侯貴族を排除した国。略称はオ連、
丹陽王国連合——大大陸東方に位置する国家連合。王国や公国が多数所属し、相互に連携している。略称は王国連合、丹陽連合など。
瑞穂国——大大陸の東に浮かぶ島国。宗教国家であり、八百万教の教皇が治める。また各都道府県はそれぞれ貴族が司っている。
自衛警察隊——警察に防衛能力を持たせた実力組織。略称は自警隊。陸上警察隊、海上警察隊、航空警察隊の他、各都道府県に配属される地方警察隊がある。
椿会——黒百合会傘下のギャングで、黒百合会系でも密輸、武器売買、実力行使を担当する。
コッキング——オートマチックの銃で最初に行う、弾の装填の動作。拳銃の場合、スライドを引き、また戻すと弾が装填される。平たく言えば射撃準備完了。
十月革命——第十月に決起したことから名乗っている。国際的にはテロリストに指定されている。共和主義国家の利益になるよう破壊活動を行う。
共和革命戦線——王侯貴族や宗教を排除するために決起した、軍事同盟。盟主はオ連。
最高指導者親衛隊——文字通りオ連の最高指導者の親衛隊だが、大規模。最高指導者の護衛だけでなく、秘密警察としての側面もある。
国際共和党——共和主義を掲げる政党の連合。国際的に活動する政党と見た場合の呼称。
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