44、鈴【リンク】

その日は眠れなかった。

心臓の鼓動がうるさく、手や身体がブルブルに震えていた。


何回毒を盛ったことを後悔し、毒の入った容器を処分しようか思い悩む。

しかし、それを考える度に頭が痛みキッチンに引き返せなかった。


黒いモヤみたいなものが脳内に侵入し、美鈴の行動を阻止しているみたいだった。

その度に『Αυξημένο μίσος』という言葉がリフレインして、美鈴の毒を処分させる決心を鈍らせていた。


「はぁ、はぁ……。はぁはぁ……」


寝汗が凄い。

喉がカラカラで呼吸をするのも躊躇われる。

美鈴は身体を起き上がらせて水分を求めた。


冷蔵庫を開けて、お茶を取り出しコップに注ぐ。

200ミリリットル程度のお茶をゴクゴクと飲み干す。

コップを流し台に置いて、毒入り調味料が視界に入る。



『美鈴、必ずわたくしがお前の呪いを解いてやるからな!』

『お前が期待されないと嘆いていても、残念ながらわたくしは美鈴を期待している』

『お父様も、お母様も、わたくしも美鈴が大好きだぞ』

『何かあったらわたくしを頼れ』

『美鈴』



大好きなお姉様の言葉が思い出された。

双子の姉として、お姉様は美鈴の姉に成り続けたのだ。


……やっぱりお姉様を殺すなんて出来ない。




調味料を処分しようと震える手を伸ばす。

そう、こんなことに頼らず美鈴は……。

美鈴は……。




『Αυξημένο μίσος』




「ぐっ……」


ずっと頭にあったお姉様の優しい言葉はいつの間にか風化していて、瀧口先生の祈りの言葉が頭に過る。


「あぅ……」


紋章まで蝕み始めた。

美鈴の手は毒入り調味料の3センチ手前で制止する。

頑張っても頑張っても、この3センチ前に手を伸ばせない。


『Αυξημένο μίσος』


悪意の籠った祈りが美鈴の手を引き戻し、そのまま身を引かせた。


……寝よう。

美鈴にはもう、何も出来ない……。

そのまま自室へ引っ込もうとした時だ。


美鈴はすれ違う。


「美鈴か?」

「ッ……!?」


お姉様とキッチンで出くわして、呼吸が止まりそうなほどに驚愕する。


「珍しいな美鈴が早起きとは?」

「た、たまたま喉渇いたからお茶飲んでただけだし……」


嫌なところを見られた。

美鈴は一応は本当の話である用事を語って部屋に戻ろうとする。


「そうだ!たまには一緒に朝食でもどうだ?腕に寄りをかけて作るぞ!」

「あり得ないから。美鈴に構わないで」


美鈴はお姉様を拒絶する。

さようなら、お姉様。

もう美鈴はあなたとこれで最後の会話になるでしょう。


お姉様に背を向けて自室に引っ込む。

緊張しながら、ベッドの上で時間を潰す。

それからお姉様の通学時間になり、そのまま出掛ける音がした。


朝食を済ませたお姉様が出て行く。

特に倒れた気配もなくて一安心する。

キッチンに入り、毒を入れた調味料を手に取る。


「…………」


わずかばかりだが、量は減っている。

その事実に酷く胸が痛くなった。





そわそわした午前中を送る。

午後の昼休みになり、タケルさんが立ち上がり移動し始めるのをコソコソと付いて行く。

その途中に瀧口先生と出会う。


「今日、何が起きるんだろうな?」、そう声を掛けられて美鈴は背中を向けて屋上の出入口から内側を覗けるガラスに視線を向ける。

2人のイチャイチャタイムが始まっていた。


「あれ……?」


お姉様がタケルさんに弁当を渡している。

…………え!??

普段2人がどんなやり取りをしていなかったミスだ……。

これじゃあお姉様だけでなくタケルさんまで……。


そのミスに2人の前に飛び出そうと扉に手を掛ける。


『Αυξημένο μίσος』


また、瀧口先生の祈りの言葉が全身を支配し、手が硬直する。

止めて!

お姉様とタケルさんを止めるの!

2人に謝罪するから……。

美鈴がもうタケルさんを諦めるからこの手を動かして!


美鈴の祈りも、瀧口先生の祈りの言葉にかき消される。

そして、タケルさんが崩れた場面を目撃する。


「っ……」


そのまま屋上に踏み入れることも出来ず、現場から逃げてしまう。

そのまま野次馬に混ざってタケルさんを救急車に入れられるのを目撃する。


「…………ん?」

「……っ!?」


タケルさんが消えた後、お姉様と視線が重なる。

お姉様が生きていた安堵が込み上げてくる。

だが、それ以上に恐怖と後ろめたさが押し寄せてしまい、お姉様の目の前から消えるように校舎内に走る。


それからはタケルさんが消えた教室が信じられないまま授業を受ける。

美鈴のせいで……、今更の後悔なんか遅いと罰を与えるように紋章がかつてないほどに疼く。

それなのに、呪いの痛さより、罪悪感による胸の痛さが遥かに強すぎた。

授業が終わり、タケルさんのいない教室を受け入れたくなくてすぐに出ていこうと廊下へ踏み入れた時だった。


「逃げないでください。秀頼君がお呼びですよ」

「……ひっ!?」


いつの間に後ろに回り込んだのか、クラスメートの佐々木絵美が美鈴に耳打ちをしていた。

振り替えると、ハイライトもない目で佐々木さんが立っている。

彼女から底知れぬ警戒心が生まれ、逃げないとと思い背中を向けるが即捕まってしまう。


「逃げないで、と警告しましたよね。秀頼君がお呼びです。乱暴はしたくありません。とりあえずみんなが見ていますので寝ていてください」

「ぐぁ!?」


首に強い衝撃波──手刀を叩き込まれる。

一撃で美鈴の視界は黒く染まる。


「秀頼君が、あなたを断罪します」


そんな声が聞こえた気がした……。















「っぅ……」


目が開く。

まるで寝落ちをした瞬間の目覚めであり、中途半端に眠さと気だるさが残っている。

なんで眠っていたのかを忘れて、状況を把握しようと辺りを見回すと屋内だ。

外でなんで眠っていたのかという疑問と共に2人の男女の影があった。


「お目覚めかい、醜いアヒルの子」

「っ!?あ、明智……君?」


そこにはタケルさんとよく一緒につるんでいる明智秀頼と、先ほど声を掛けてきた佐々木さんと並んで立っていた。

佐々木さんは口を開くことはなく、ただ明智さんの側にいるだけであった。


「おっと……。醜いアヒルの子は最終的には美しい鳥になるんだったか。深森美鈴は美しい鳥になんかなれねぇか、獣の醜い醜いゲス女だな」

「っ……!?美鈴に侮辱を!?」

「うるせぇよ、醜い月の妹がっ!タケルに毒かなんか盛りやがったのはてめえだろ。朝から挙動不審だったもんなぁ。そんなこったら朝からてめえを叩きのめしてやれば良かったよ」


朝からこの男にマークをされていたという恐怖に震え上がる。

醜い月の妹とこれ以上ない侮辱を去れているのに、怒りよりも震えが止まらない。


「このまま教育としてお前を女にしてやろうか」

「ひっ……」


逃げないと……。

その考えが必死に浮かぶのに、ただのクラスメートの明智君が人間じゃなくて悪魔か死神に見えてくる異常事態に腰が抜けて立ち上がれない。


「姉貴よりも良い胸してんじゃねぇか」

「や、やめて……」

「かっははははは!」


サディスティックに嗤い、手が伸びて、胸を乱暴に触ってくる。

ロマンチックさのカケラもない暴力を前にどんな抵抗をすれば良いのか頭がまわらない。


「そうだ。お前、タケルが好きだったんだろ?なら俺の姿をタケルと思い込ませて幸せに花を散らせてやるか」

「…………」


気持ち悪い言葉に頭は真っ白に、全身に鳥肌が立つ。

出来るはずのないことを、その男は出来るとばかりに言いきる。


「オラオラオラ、タケルを殺そうとしたんだよなぁ!?醜い月の妹が調子に乗ったなぁオイ!」

「ちが、……違うんです……。美鈴は……、美鈴は……」


昨夜の美鈴の凶行を詫びるように謝罪するも、明智君はそんなの聞こえないとばかりに美鈴の身体に乗り掛かってくる。


そんな時、横からカツカツカツとわざとらしく足音を立てた音がしてくる。

佐々木さんは突っ立っているだけ。

なら、誰だろうと振り返ると、普段の顔とは別人みたいに静かながらも激しい怒りに支配されたお姉様の姿が見えていた。

……明智さん以上に、美鈴はお姉様の方が怖かった。


「っ!?秀頼君、誰か来ます!?」

「あぁ!?」


佐々木さんがお姉様の姿に気付いたのか、それを明智君に報告すると、彼もまたお姉様の存在に気付いた。


「よぉ、なんだ君らは?喧嘩か?」

「おー、おー。タケルの彼女さんの月さんじゃねぇか」

「ひ、秀頼君。ど、どうするんですか?」

「狼狽えてんじゃねぇぞ」


お姉様は美鈴や明智君などではなく、どこか違うところに視線を向ける。


「え、詠美……?」

「ちげーよ、そいつは詠美じゃねぇ。絵美だよ」


なぜか佐々木さんに注目していたお姉様。

少し蚊帳の外になって佐々木さんの話題になってしまう。

その間、お姉様から責められるのは覚悟しておけとも言われているみたいで辛かった。


「お、お姉様……」

「…………毒を盛ったのか?」


そして、お姉様は美鈴を引いた目と幻滅した声で美鈴に語り掛けてくる。

記憶の中のお姉様で、1番この態度がキツかった。


「美鈴じゃ……」

「毒を盛ったのか?」

「み、美鈴はタケルさんを狙ったわけじゃ……」

「毒を盛ったのか?」

「…………」

「美鈴が毒を盛ったんだよな?お前が今朝、食べ物か調味料かわからないがどちらに毒を入れた。間違いないよな」

「…………」


美鈴の心はもう壊れかけている。

それを切り上げだとばかりに明智君が動く。


「おっと。姉妹喧嘩は後にしてくれよ?俺はこの醜いガキを……」

「ちょうどお前にも聞きたいことがあったんだ」

「あ?」

「遥香の逮捕された件。お前が何か関わっているんじゃないか?」

「あー?俺が関わったからってなんだって言うんだよ」

「…………」


お姉様は決意した顔をする。

暴走の始まりだ……。


「ギフト発動。『月だけの世界』」

「え……?」


お姉様が頑なに封印していたギフトを解放する。

当事者とお父様しか知らないギフトが美鈴の目の前で展開される。

月から優しい光が放たれ空間を作り出す。


その神々しい光は、目が奪われるほどの美しくて、違和感の塊だらけの世界であった。

なんの能力かわからないギフトの結界にお姉様、明智君、佐々木さんと一緒に美鈴だけの4人が集まっている。


「最初は美鈴……。懺悔の時間だ」

「か、はっ……」

「タケルとお前の身体をリンクさせた。タケルの苦しみが美鈴に伝わる様になった。タケルが目を覚ますと同時に美鈴も目が覚めることができる。……ただ、タケルが死んだ時、お前も死ぬ……。同じ症状がタケルの身に起きているんだぞ」

「っ……」

「大丈夫。……わたくしがタケルと美鈴の面倒を見るから。自分のやったことによる罪の重さを認識するんだ」


涙声になっているお姉様の声が遠い……。

お姉様が発動したギフトの能力も理解する間もなく、美鈴は意識を離した……。







─────





【クズゲスSIDE】





「う……」


変な夢を見ていた気がする。

罪悪感に怯えながら、胸が苦しくなっていき、目が閉じられていった。


どうして、美鈴はこんなに『やらなきゃ良かった』という後悔でいっぱいなんだろう……?


目を開けると美鈴の近くに明智君が立っていた……。

……明智君!?


ぞわっとした。

よくわからないが、胸を豪快に握られて、尊厳を踏みにじられる恐怖が襲ってくる。

クラスでの絵美や円に優しくしている姿を見たことがあるのに、そんなこと酷いことをされるのではないか?と警戒してしまう。


明智君の目は美鈴を見ているけど、美鈴を見ていない。

どこか遠くを見ているような感じだ。


「ギフト発動──」


明智君は顔を見ながらそう言って、美鈴にギフト能力を発動させた。












タケルに毒を盛ることで地味にギフト狩りのタケル狙いを阻止するファインプレー。

瀧口ざまあです。




次回、秀頼が久し振りにギフトを使用……?

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