言葉"狩り"

@Nagase_Mayshin

言葉"狩り"

「言葉は生き物なんだよ,過去から未来に時が流れるに従い変わっていく.進化ともいえるのかもな,なにせ生き物なんだから.」


 先生の言葉が静かな昼過ぎの教室に響く.冬だというのに少し暖かく給食の後ということも合わさって睡魔に襲われそうになる.この暖かさも昨今の異常気象と呼ぶものなのだろう.


 先生の言葉を心の中で反芻する.言葉は生き物.生きている.ふと窓の外を見てちょっとした想像にふける.窓際は少し日の光がまぶしいが,時々窓際でよかったと思える瞬間がある.


 2字の単語がきれいにその字間を折りたたんで器用に,蝶のように羽ばたく姿を想像する.蝶として飛ぶのにふさわしい熟語は何だろう.元号も悪くない.大正,昭和,平成.でももっときれいなものがいい.幽霊とか恋慕とか.蝶々は少々バランスが悪いように思える.4字熟語はやっぱりムカデのように地を這うのかな,長いし.以心伝心とか三位一体とか,画数が少ないから動きやすいのではないか.


 そのとき自分の机に雷が落ちた.体が跳ねその反動でペンを落としそうになる.何が起きたのか理解するより早く怒声が飛んできた.

 「聞いているのか高橋.」

 息が詰まる.先生が教科書で机をたたいた音だ.

 「話を聞け,教科書の124ページを開いて読めと言っただろ.」

 「すいませんでした.」


 たいそうご立腹だ.こっちは誰の邪魔もせず妄想にふけり楽しんでいたというのに.不服だが謝る.王に牙を剥いてたてつく気は毛頭ない.教科書を開き朗読する.


 「メロスは激怒した——.」

台風一過の様相を示す,静かになった教室に私の声が響く.この言葉が生き物だとしたらみんなの心の中に住み着いてしまうのだろうか.だって,私の生きる言葉で満ちているのだから.


 その後は特にトラブルも起こらず時が過ぎて放課後になり,みなフナムシのように散っていく.部活だったりクラブ活動だったり,自分の家だったり行き先は様々だ.


 夕食中おもむろにテレビのスイッチをつける.ドキュメンタリーが目に映った.何でもある種の生物の牙は呪術的に大きな意味があるとか,良薬の材料になると信じられているとかで絶滅危惧種にも関わらず密漁が絶えないんだそうだ.このまま絶滅に追い込んではならないと——専門家だろうか——が力説する.


 ふと午後の妄想の続きをする.蝶が飛んでいる.「挨拶」と書かれている.その蝶を虫取り網で捕まえる.これが本当の「言葉狩り」だなとおもって心の中でクスッと笑う.


 お風呂に入り寝床に着く.不意に本棚を見ると見知らぬ革製のハードカバーが目に入った.少し気になり,立ち上がってその本を手に取る.中は紙ではなく薄い透明なビニール製の袋がたくさん綴じられており紙をしまうファイルケースのように見える.まったく身に覚えがないが迫り来る眠気と戦う気力はとうに尽きており,気にはなったが急降下するように深くふかく落ちていった.最初のページに挟まれた「挨拶」という言葉には全く気付かずに。


 次の朝,見知らぬ本の記憶はすでに風化し気にもとめなかった.二階の自室から階段を降り台所に向かう.お母さんが朝ごはんを作ってくれている.父さんはもう仕事に向かったのだろう.お母さんに挨拶をする.


 「おはよう.」

 「おはよう,朝ごはんの用意はできてるから食べて.」

 「ありがとう」といい,ご飯を用意し食べる.朝ごはんがあるところを見ると自分の弁当を詰めていたのだろう.


 身支度を終え学校に着く.水曜日は朝会があり体育館で校長先生の話を聞かなければならない.みな渋々といった表情で体育館に集まり,静かになる.校長先生が壇上にがり口を開いた.


 「皆さんおはようございます.今日みなさんに伝えたいのは——」

伝えたいのは何なのだろうか,当然の疑問を抱く.話の続きをしてほしいと思う.

 「ある言葉たちについてです.その言葉とはおはよう,こんにちは,こんばんはなどの言葉です.」

 挨拶の話かと納得する.

 「これらの言葉は非常に重要なのでみなさん積極的に言うようにしましょう.」という言葉で締めくくられ今日の朝会は終わりを迎えた.


 教室に戻り話しかけられる.

 「今日の話はいつになくよくわからなかった.」

 「でも挨拶は大事だよ.」

 「あいさつ,あいさつって何.」

 絶句した.何を言っているんだ.

 「おはようとかこんにちはとかをまとめてあいさつって呼ぶでしょう.」

 努めて冷静に話すよう努力した.しかしそう思ってるのは自分だけで挙動不審な様に見えただろうか.

 「さすが物知りだ.」

 私の腹心に気づいたのか,気づいても表に出さなかったのかわからないが気にもとめなかったように返事をした.なんなんだ,本当に.声に出してないかを確認する.


 授業がはじまり,些細な——些細かどうかはわからないけど——ことはもう考えることはなくなっていた.代わりに昨日のことをまた思い出していた.


 言葉は生き物,先生の言葉が頭の中で繰り返される.再び生き物のように動く漢字たちを思い浮かべる.そしてそれを虫取り網で捕まえるのだ.「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」「ありがとう」漢字以外の生き物も想像してしまう.それも同じように捕まえる妄想にふける.決して面白い想像ではないのだが私はこの遊びに熱中してしまったようだ.


 その変化に気づいたのは夜だ,夜テレビをつけてニュースを見る.ニュースキャスターがお辞儀をする.

 「本日のニュースです.」

 普通ここはこんばんはじゃないのか,言葉狩りというか冗談のつもりだった.そう思い父さんに訪ねた.すると父さんはまるで何のことを言っているのかわからないという風な態度をとる.混乱した.なんで知らないんだ.ふと今朝のことを思い出す.至極当然のことば「挨拶」を知らなかった.そういえば父さんは帰ってきたとき「ただいま」を言わなかったしお母さんも,私にだけでなく父さんにも「おかえり」と言わなかった.昼間の妄想が頭をよぎる.言葉を捕まえてしまったからみんな忘れてしまったの,根拠はまったくなかった.だけど,そうとしか考えられなくて目眩がした.


 具合が悪いと言い残し居間を離れシャワーを浴びて布団に入った.いったいなんで.呆然とした.自責の念が心をしめつけ,まるで深海の中にいるみたいだった.挨拶という言葉を失ってしまったのも私が悪いのだろうか.そう思ってしまい誰かに助けてもらおうにもこんな妄想を信じてくれる人も思い浮かばなかった.


 布団の上でうなされていると本棚のハードカバーが目に入った.自信はなかった,当然だ.だけどこれしか考えられないと直感が言った.


 その本を開くと妄想で集めた言葉が,まるで押し花みたいに,いや昆虫標本のようにたくさん入っていた.急いで自室の窓をあけ本をひっくり返す,言葉を逃がそうと思った.言葉が外気に触れたその瞬間,シュルシュルとほどけるように消えていった.


 急いで階段を降り両親にこう言い放つ,「ただいま」.

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