第13話
「なあ恵美、どうなんだろうなこれは」
「なにが?」
「雨野の原稿。あいつ三人称に書き換えてきたんだけどさ。主人公の名前がこれ、ギャグなのかな」
戸樫佑志はベッドに腰掛けたまま、読んでいた原稿の束を恵美に渡して言った。恵美は腰を浮かせてそれを受け取ると、一番上に乗っていたページにだけ目を通してから答えた。
「主人公は江原仲信、映画の役名は大崎浩二。なんでこれがギャグなの?」
「駅の名前だろ。荏原中延に大崎広小路。その上そのあと出てくる女が池上ってさ。ギャグみたいだろ」
「どうだろうね、少なくともあたしはギャグだとは思わなかったけどな。池上線に馴染みが薄いからかもしれない。わかる人にはわかっちゃって、それが気になるとストーリーに入り込めないってことはあるかもしれないね」
「どうなってんだろうなあの男は。三人称を提案したらさ、なんか言ってくると思ったんだよ。これは一人称のほうがいいんだよ、とかさ。そしたらこれが送られてくるんだよ。直しましたって一言だけ添えてだよ。あいつこだわりってもんは無いのかな」
恵美は手にした原稿を何枚か行き来しながら読んでいる。
「これさ、三人称面白いかもね。役者はストーリーを先の方まで知っているけどその役者が演じる登場人物は知らない、っていうの、面白いね。先のことがわかっている状態でそれを知らない人物を演じる。役者ってみんなそういうことやってるってことだよね。面白いよこれ。しかもこの登場人物はもっと複雑みたいじゃない。もしかしてこれ、この辺の人たちみんな未来から来たっていうことなのかな」
「そうなんだと思う」
「わかってるのにわからないふりをしている人物をそれもこれもぜんぶわかっている人が演じる。ややこしすぎるう。これ三人称になったらかえってややこしくなったんじゃない?」
「雨野はこれをどう思ってんのかな。あいつはおれへのあてつけのつもりでこれ書いて来たのかな」
「雨野さんそんな面倒な人?」
「それがわかんないんだよ」
「佑ちゃん担当なのに?」
「担当だってわかんないことはあるんだよ。なにしろ雨野は自分のことをさっぱりしゃべらないんだから」
「それは佑ちゃんに心を開いてないってことなんじゃない? 佑ちゃんが担当として信頼されてないってことなんでは?」
「そうなのかなあ。そうなのかもしれないなあ。雨野お、これおまえはどっちがいいと思ってんだあ」
「それ、雨野さんに聞いてみればいいでしょ」
「どっちがいいと思ってんのかって聞くの? それを判断すんのが編集者だろって言われない?」
「でも佑ちゃんわかんないんでしょ?」
「わかんないのは雨野が何を考えてるかってことだよ。どっちがいいかと言えば三人称のほうがいいだろう」
「ややこしくても?」
「んんん、ややこしくても、そうさ、ややこしくてもだ。雨野にはややこしいものを書かせりゃいいんだ。あいつはややこしい男なんだからややこしいものを書いたらいいんだ」
「佑ちゃん投げやりはよくないぞ」
恵美はそう言うと雨野の原稿を座卓の上に置き、ベッドに戸樫と並んで座った。
「恵美は佑志がどんなふうに反応するかわかっているのにこの時点ではまだわかっていないようなふりをする必要があると考えてわざとらしく上目づかいに佑志を見た」
そんなことを言いながら恵美は戸樫を上目づかいに見た。
「なんだよそれ」
「ややこしくしてみた」
戸樫は笑いながら恵美を抱き寄せた。
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