魔女と世界の隠し事

藤咲 沙久

妖精は戯れる


「──神よ」

 魔法とは、自然界の力を借りて増幅させるもの。

 魔女とは、魔法をるがゆえに恐れられるもの。


 膝をつき、指を組み、私は祈る。この世界を構築するすべての自然へ。自然を司るすべての神々へ。たとえ孤独に生きることしか叶わなくとも、この身はあなたたちと共に在る。






 魔女が不死などと誰が言い出したのか。

 まあそれも、人間の物差しでは計り知れない寿命を指していると思うと間違いではない。長寿と言えば聞こえはいいが、単に成長速度が遅いのだと私は思う。現に、この成人したばかりのような容姿をもう数十年と保っているのだ。

 きっと二つ前の滞在地で姿を消した母も、可憐な容姿のままどこかで生きているんだろう。

「この街に居るのもそろそろ限界かしら……」

 鏡を覗き込めば、銀色の髪が窓から差す朝日を受けて若々しく輝いている。白い肌も衰えを感じさせない。眉根を寄せれば、クスクス、クスクスと小さな笑い声が耳の周りで跳ねた。我が家に住み着いた妖精たちだ。

《アネモス、今日もあなたは変わらず綺麗よ》

《アネモス、まだこの土地においでなさいな》

「あら、ありがとう。おべっかへのお礼なら、机にレモン水を用意してあるわ」

 キャッと歓声をあげて二人は私から離れていった。妖精たちはレモンの配分に大変うるさい。正確な配合には魔法でレモンを搾るより、細かく計れる計量器が必要になるほどだ。

(魔女の手を煩わせるなんて、生意気な妖精だこと)

 心の中で軽く毒づくも、悪い気はしていない。私が魔女として在るのは今、彼女たちの前でだけなのだから。とはいえ、妖精なんて大気に満ちる魔力が結晶化した砂糖菓子のような存在。命は花のように儚く、こんなじゃれあいもあと数日あるかどうかだろう。

 魔女はいつだって孤独だ。

《アネモス、今朝は彼が薬を受け取りに来るわ》

《アネモス、調合済みの瓶を持って来なさいな》

 こちらの気も知らず、優雅にレモン水を楽しみながら戸棚を指差す二人。そろそろ本当に図々しいと口を開こうとした時、遠慮がちなノックが聞こえた。この叩き方は彼だ。私は慌てて瓶を胸に抱え、ドアの前へ駆け寄った。

 ひとつ、深呼吸をする。この戸を開ければ私は薬師くすしのアネモス。魔女のアネモスじゃない。気持ちと前髪を整えてから、そっとノブを回した。

「おはよう、ネクトル。街の端まで来させてごめんなさいね。おばあ様の薬なら出来てるわ」

 まず目に入るのは肉の薄い身体と、その割にがっしりと広い肩幅だ。ネクトルは背が高い。街の青年たちの中では一番じゃないだろうか。精一杯見上げて微笑むと、普段はやや鋭さのある表情を和ませてくれた。

「こっちこそ朝早くからすまない。ありがとう、アネモス」

 薬師を名乗るのは、魔女であることを隠しながら仕事を得られるからだ。魔法薬学を用いれば擬態も簡単なこと。作業自体は一般的な薬学にも似ており、本来ならば絶大な効果をもたらす。いわゆる自然治癒力の増進。ただ、私はそれが最小限に留まるよう気を付けて調整していた。

 過度な魔法など練り込めば、私の立場も、街の人々の在り方も、いびつになってしまいそうだから。

(本当はずっと留まりたいくらい、ここが好きだもの)

 少し古びたレンガ屋根。跳ねる陽光と笑い声。

 街中を巡るパンの香り。雨に濡れた土の匂い。

 唯一の本屋には、心を飾らないあなたが居る。

「アネモス?」

 心地良い低音に名前を呼ばれハッとする。いけない、少し自分の世界に浸っていたようだ。何でもないわと笑ってみせた。

「気にしないで。どうぞ、頼まれてた分よ」

「ああ、祖母も喜ぶ。それから……礼にもならないが、これを」

「なあに? お代ならもう……花?」

 瓶を渡して空いた私の手へ向けて、不器用そうに突き出される骨張った拳。一輪の、鮮やかな赤い花が握られていた。図鑑で見たことがある。名前はなんと言っただろうか。

「綺麗……」

 思わず呟くと、ネクトルがホッと息をついたのが気配でわかった。

「仕入れ先で摘んできたんだ。お前の目に似た赤色だったから。嫌じゃなければ、受け取ってくれ」

 私は視線を上げられず、手元を見つめながら「ええ」と口にした。目と同じくらい頬が赤くなった気がしたからだ。声が弾んでしまったと自分でもわかった。

 もう数えるのも面倒なほど生きているくせに、うぶな振る舞いをみっともなく思った。それでも、彼の前では幼い自分が顔を出してしまう。胸に迫る温かさが私を少女に戻してしまう。まるで魔法みたいに。

「また頼みに来てもいいだろうか」

 頭の上から優しく降る問いに、私はまだ俯いたまま答えた。

「ええ、いつでも構わないわ」

 ネクトルは短く礼を言って、爪先の向きを変えた。長い脚は想像以上に一歩が大きく、背中はすぐに遠ざかっていく。あのモクレンの木を右に折れればすぐに、彼は人混み賑わう商店通りに紛れるだろう。

「……ネクトル!」

 なぜか寂しい気持ちになって、少しだけ大きな声で呼んだ。ネクトルはすぐこちらを向いた。

「どうかしたのか?」

「花を……花を、ありがとう。大切にするわ」

 それだけよ、と手を振れば、彼も気恥ずかしげに振り返してくれた。こんな時間がいつまでも続けば幸せなのにと思わずにいられなかった。


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