本屋大賞獲ったんで!!

バンビ

第1話 諦めた夢

「ほうほう」

スチール机の眼前に座る五〇半ばくらいのバーコード頭の薄い頭髪にお腹の突き出た日焼けした男は、熱心に僕の履歴書を眺めて、フンフンと鼻を鳴らしていた。

「あ、申し遅れました。ワシが社長の山田太郎やまだふとろうだす」

額に汗をいっぱいかいている小太りの男は自ら名刺を差し出してきた。

「タロウと違うで、フトロウやで」

何が可笑しいのか、社長は一人で大声で笑っていた。

「いや、自分、ここ笑うとこやで?グラララララ」

いや、なんで笑い方やねん。

初めて会った社長に名前のことで笑えるわけないだろうと思いながらも僕は軽く愛想笑いで返した。

当初、この株式会社「ヤーマダ頑張れドカベン物流」を訪れたとき、雑草がいっぱい生い茂った原っぱに、小汚い10トントラックが5台、ボロボロのプレハブ小屋のような事務所に野良犬のような雑種犬が飼われており、麦わら帽をかぶり、草むしりをしていた真っ黒に日焼けしたオッサンが、入り口でおろおろしていた僕を事務所に案内してくれたが、その時はまさかこの人が社長だとは全く思わなかった。

事務所に入る前に、『この帽子をお前に預ける』『いつかきっと返しに来い!立派な海賊となってな!なんてな』と汗くさい麦わら帽を渡されたときも、正直リアクションに困った。

自己満足で笑いを求める人なのだろうか?残念ながら僕には、そういうのに上手く返せる技術は欠片もない。

二浪して二四歳で大学を卒業し、就職を目指すも、まったく箸にも棒にもかからなかった。コンビニでアルバイトをしながら作家を目指そうと創作活動に入った。

親からは勘当同然で家から追い出され、東京郊外の家賃3万の1Kのアパートに住み、できる限り食費を抑えて、アルバイト以外は、小説を書き続けた。

(すぐに売れるんだろうなあ・・・)

今から思えば、過去の根拠の無い自信に呆れかえって当然なのだが、この頃は本当に恐れ知らずで、色んな出版社に持ち込みなどをしていた。

若さが背中を押して、色んな賞レースに投稿したが、全て一次で落選 勝手に審査員の責任にしていた。

意を決して、懇意にしていただいていた出版社に何度も小説を持ち込むことにしたが、最初の方こそ丁寧に対応してくれてはいたが、五回目くらいになると、また来たのか?という顔をされた。

さすがに落ち込んで、誰も居ない公園の隅でおいおい泣いてしまった。

自分に才能がないことを自覚した瞬間だった。

それでもまだ大丈夫と勇気を振り絞り、机に向かって書き続けた。

出版社からは自費出版してはどうかという助言をいただき、勘当同然で去った実家に戻り、土下座をしてお金を融資していただき、三冊ほど刊行したが、これが驚くほど売れず、売れ残った廃版の本を全て自宅に引き取ると、自宅が自身の本だらけになり、すっかり鬱になってしまった。

気がつけば三六歳という崖っぷちに等しい年齢になってしまった。

ただ働かざる者食うべからずという通り動かない山のフドウのままでは食欲は満たされない。

親からさらにお金を借りて、フォークリフトと自動車免許を取得し、ハローワークで募集していたこの「ヤーマダ頑張れドカベン物流」に半ばやけくそで応募した。

「ふんふん」

社長は鼻を鳴らしながら何度も履歴書に目を通す。

「あ、遠慮せんと水飲んでや」

社長は指紋で汚れたグラスに流し台の水道水を僕の目の前で入れて、悪びれることなく堂々と差し出してきた。

うわんうわんと異音を放つナショナルの古びたエアコンが冷気でなく、かび臭い温い熱気を頬にまで運んできて、どっと疲れを感じさせた。

ぎしぎしという音のなる錆びたパイプ椅子は、小柄な僕でも座るとへし折れそうなほどに老朽化していた。

「はあはあ」

「ひいひい」

「ふうふう」

「へえへえ」

「ほうほう」

ふざけたような相づちを打ちながら社長さんは履歴書を穴が開くほどに凝視していた。

「あ、気にしやんといてな。ワシ、ハ行が得意やねんやわ」

社長はエアコンの効いていない蒸し暑い部屋で、タオルで汗をぬぐいながら、唐突に意味の分からないことを言いだした。

「はあはあ言うてても興奮しとるわけやないし、ひいひい言うてても喘いでるわけでもないさかい」

「はあ・・・」

僕はちょっと正直何言ってるか分からないサンドウィッチマンの心境ではあったが、よく分からないまま生返事をした。

「けんど、昔はワシもあれや、祇園の方で、舞妓さんたちをひいひい言わせたもんや」

嘘つけと思ったけど、口に出したら確実に採用はなくなると思い必死に我慢した。

僕は書こうかどうか迷ったあげく、結局履歴書の特技の欄に「小説執筆」と書いてしまった。

まあ昔取った杵柄でもあるし、これは僕自身の埃でもある。

まあ、物流会社においては、何にも役に立たないわけだが・・・

「しかし、凄い才能やな、自分」

「え?」

社長の言葉にもしや、僕の小説執筆の件を評価してくれてるのかと思い、僕は思わず身を乗り出していた。

「阪神に巨人やで」

「え?」

「アンタの名前やがな。ええ?阪神巨人て、芸人やあるまいしなあ」

僕の本名は阪神 巨人 読み方は、さかがみなおとだ。阪神さかがみだけでも希少な名字なのに、よりによって巨人ファンの奇特な親父が、巨人なおとという名前をつけてくれたお陰で、僕は学生時代はずっとイジメにあっていた。

半グレ集団からは、漫才してみろやとか言いがかりを毎日のように吹っ掛けられて辟易としていた。

「しかし、阪神巨人やで」

「はあ」

「それにつけても阪神巨人やで」

「ええ」

「ところがどっこい阪神巨人やで、ゼハハハハハ」

僕はいい加減この親父の頭を目の前にある灰皿でカチ割ってしまいそうな衝動に襲われたが、あえて抑えた。握りしめた拳はうっすら汗をかいていた。

「あの、すいません、阪神巨人と書いて、阪神巨人さかがみなおとです」

社長はキョトンとした表情で、僕の顔を眺めた。

「知ってるよ。ここにフリガナ振ってるやん」

社長は全く悪びれることなく、履歴書に指をさして、僕に履歴書を見せつけてきた。

「じゃあ、きちんと呼んでもらえないですか?」

僕はカチンときたが、控えめな姿勢で、社長に詰め寄った。

「あんなあ・・・」

社長は吸っていたシケモクを灰皿で握りつぶし、プロレスラーの毒霧攻撃のように僕の顔面に思い切り煙を吹きかけた。

「ゲホッ」

社長の臭い口臭とタールの入り混じった臭いに思い切りむせてしまった。

「賭けてもええわ。阪神巨人と書いて、さかがみなおとって読む奴、日本人では一人もおらんで、ほな自分は、あれか風林火山と書いて、かぜはやしひやまと読むんか?」

社長はまるで僕の名前が全て悪い風に逆ギレしてきた。だったらアンタの太郎と書いても同じことじゃないか。

「ほんまええ加減にせなあかんわ」

社長がブツクサ言ってる間に、僕はもうこの会社は諦めようと荷物をまとめ始めた。

「採用したるわ」

「え?」

「ほやさかい採用したる言うてんねん。なんかやってくれそうなインパクトある名前やし、名付け親に感謝せなアカンで」

そこ?名前で採用ってまたデタラメな・・・

「明日からおいでな、それから、自分に出したミネラルウォーターは、給料から天引きしとくさかい」

僕の目の前に出された、全く口をつけてない水道水の分を、未だ入社を決めてない状態にも関わらず、給料から天引きって・・・ブラックどころじゃないなこの会社・・・しかし背に腹は代えられるわけもなく、僕は止む無く二つ返事で入社を受け入れた。

「よしゃ、無事採用が決まった入社祝いとして、ウチの社歌を一緒に歌うで~」

社長は奥からアイワの古いラジカセを持ってきて、机の上にドンと置き、再生ボタンを押した。

パンパカパーンと素人くさいトランペットの音が流れてきて、社長はご機嫌で拳を振り上げた。

「と~れない契約があ~るものか~ ひ~たすら土下座が胸を打つ~」

この曲は・・・まさか某アニメの?

「ああ青春のストライキ~ ズバーンと言いたい俺らだぜ~」

ああ、まさにあの水島新司の野球アニメそのものじゃないか。

「気性は荒~くて ブラックだ! 薄給我慢で今日も行く~ 頑張れ頑張れドカベン ヤ~マダ物流~」

オマージュどころじゃない、パクリじゃないか・・・まんまド〇ベンのパクリ

「オ~レ~ オレオレオレ~」

社長の歌はまだ収まらない。古臭いサッカータイアップ曲をご機嫌で口ずさみだした。

「ヤ~マダはチャンピオンマイフレ~ン ヤ~マダはチャンピオン ヤ~マダはちゃんぽん」

今度はクィーンの某有名曲を歌詞を変えて歌いだした。何故か後ろで座っている事務員のおばちゃんまでハモリだした。

「俺、ヤ~マ~ダ~」

社長が歌い終わり、一人悦に浸っていると、後ろから事務員の拍手が寂しく鳴り響いた。

(何かとんでもないとこに入社してしまったのでは?)

僕の本能が、この会社は止めておけと合図を送ってきたが、ハローワークからの入社祝い金も捨てられない身としては、あえてここは我慢の姿勢で臨むことに決めた。

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