第5話 パーティの支度

あの日以降、魔界での生活は案外悪くないものとなっていた。

正確に言うなら、魔人カレンの加護下での生活が。


マリアは地球から取り寄せたという食材で、日本がまだ在った時と変わらない食生活を俺に提供してくれた。

この食材の調達方法が、呑気に買い物をし手に入れた物では無いと言う事くらいはわかる。


「そんなの考えたって仕方ないか」


独り言が虚しく響く。


俺は今、美味い飯を食べれている。

とりあえずはそれだけで良い。


利き手の指が無くなったから食べにくいが……どうでも良い。


今日の食事はオムライス。

マリアがあの無駄に多い腕を駆使して作ってくれたらしく、とても美味しい。

フワフワの卵料理は調理の難易度が高いと聞いた事があるが……どうなんだろう、よく分からない。


「いつも人間しか食わないくせに、人間の食う料理は作れるんだな」


独り言がまた、虚しく響く。


あの日以降、マリアは俺に食事を運ぶだけで何も話さない。

なんのアクションも無いまま、数日が過ぎてしまっていた。


傷を癒して、身なりを整えておきなさい。


カレンからの指示はそれっきりだ。


誰のせいでこんな有様になったんだか。

試しに腫れていた頬に触れる、腫れは随分治まり痛みも今は感じない。

指は、どうしようもないか、


次の食事を持って来てくれたマリアに、傷がもう癒えた事を伝える。

マリアは傷の痛み具合や体調等に関する質問を幾つか行うと、相変わらず無表情のまま部屋から出ていった。


その日は、それっきりだ。

何も無かった。


マリアからの返事も無く、やる事も無いので灯りを消してベッドに潜りこむ。


窓の外は相変わらず、無限の荒野と暗黒の雷雲に覆われ代わり映えしない風景が続く。

最近気付いたが此処、魔界には昼夜の概念が存在しない。


常に存在する雷雲が太陽を消しているだけなのか知らないが、夜明けや日の出が無い為に時計を使ってしか時間が分からないのは少し不便だ。

この部屋には時計が無いし……眠くなったら寝る、という生活を送らざるを得ない。


そう言った理由から、ベッドに入って目を閉じた。


此処に来てから心労は積み重なる一方で、目を閉じるとまたすぐに眠気が込み上げてくる。

ベッドに入ってから数分後、俺は深い眠りに落ちた。





扉が開かれる。

遠慮がちに鳴ったその音に、比較的浅い眠りになっていた俺は目が覚めた。


誰かが入って来たが、何となく起きる気にはなれなくて寝たフリをし続ける。


「……」


部屋に入ってきた誰かは俺の側まで歩いてくると、枕元に腰を下ろした。

ふわりと優しい香りが漂ってくる。


急接近してきた誰かに構うこと無く、狸寝入りをし続ける俺の頬を何かが触れた。

少し冷たく、小さな手。


「ねぇ起きてるかしら」


カレンだ。


これまでの事を思い出しても嫌な思い出しかないはずなのに、彼女の声を聞いていると不思議と落ち着いてしまう。


今の彼女はとても安らかな声で….…あの『加虐』が嘘のようだった。


「別に、目を閉じままでいいわよ」


俺の狸寝入りに気付いても咎める事なく言葉を続ける。


「明日、あなたにはムールという魔人の元に行ってもらう。ムールは……魔界の4分の1を取り仕切る強い魔人で、四天王なんて呼ばれているの」


俺の頬を撫でながら、言葉に強い感情を込め始める。


『加虐』では無い、それに伴う愉悦とも違う。


「私ね、偉くなりたいの。四天王を倒して、その座に就いて……成り上がるの。その為にはなんだってやるわ、人類だって滅ぼすし、魔人だって陥れてみせる。そして、あなたの助けが欲しい……」


カレンが俺の顔を覗き込む。

紅い瞳は何とも知れない、強い感情に染まっていた。


「愉しいからじゃない、明確な目的がある。協力してくれたら約束通り、あなたの国を作ってあげる。お願い、ギンジ……」


以前の話と同じ内容。

ただ、あの時より真摯な言葉に聞こえる。


内容は私利私欲の為に他者を蹴落とす手伝いをしろと、そう言った勝手極まりない言い分。


どうせ人類は家畜同然で、食われるか殺されるかだ。

少しでもマシな生き方をする為に、この提案に乗ってやろう。


「ごめんね、いきなり。言わなきゃと思って……おやすみ、ギンジ」


最後に1度名を呼ぶと、カレンは立ち上がり部屋から出ていった。


……俺に何が出来るんだろう。


暫く睡眠と思考の狭間を彷徨い、また眠りに落ちた。





「おはようございます、お食事を置いておきますので」


「え! あぁ……どうも」


マリアの声に飛び起きる。


彼女が入ってくるよりはいつも早く起きれていたのに、ここ数日で初めての事だ。


少し痛む頭を抑える。

何故か寝不足気味で、寝る前に何をしていたのか余り思い出せない。


違和感に気付き右手を見ると、下手くそな包帯が巻かれていた。

いつの間に……


無くなった人差し指を隠すように巻かれた包帯は、固く締められていて少し痛む。


「お食事が済みましたら支度を致します」


マリアは食事を置くと部屋の隅に立って微動だにしなくなった。

6本の腕を……あれ?


「腕、減りました? 」


マリアは答えない。

今の彼女は2本の腕を身体の前で組み、本当に人形のように立っていた。


「……取り外せるんですね、腕」


「運転の邪魔ですので」


ようやく答えたのは、多分話を終わらせないと俺が食事を始めないと判断したからだろう。


予想通り、それっきり黙りこくるので食事に手をつける。


「支度って何の支度ですか」


「パーティーの支度でございます」


はぁ、パーティー。

手早く食事を終えて、マリアに連れられるがまま塔を歩いた。


案内されたのは、見覚えのある部屋。


中に入ると、真っ白な服がズラリと並んでいる。


「……あの」


「着替えて頂きます」


相変わらず有無を言わなさい。


上下真っ白な服に着替えると、この塔に始めてきた日の事が思い返された。

これは、多分食用奴隷の衣装なんだろうな。

俺がこの服を着るってのはつまり……覚悟を決めなくちゃいけない。


清潔感溢れる白い服を着て、随分久しぶりに階段を降りた。


マリアは何も無い壁に手を翳し、出入口を形作る。

相変わらずどんな構造になっているのか見当もつかない。


玄関前には既に黒塗りの高級車が用意されており……ボンネットからは肉々しいエンジンが見え隠れしている。

それ以外は、至って普通の高級車だ。


高級車なんて乗った事ないし、詳しくないが、ちょっと血に濡れたエンブレムはその証なんだろう。

多分車が食事をした時に着いてしまったんだろうね。


「何してるのよ、早く乗りなさい。遅刻なんてしたくないんだから」


後部座席に乗っていたカレンが苛立たしげに手招きする。

俺とは違い、真っ当に着飾ったカレンは良いとこのお嬢様といった風だ。


マリアは運転席に乗り、俺はカレンの横に乗るように促されその通りに動く。


車が低く唸り、走り出した。


道路も何も無い荒野を、マリアの運転する車が駆け抜けていく。


「パーティー……でしたっけ。魔人もそういうの、するんですね」


沈黙に耐えきれず疑問を口にする。


「パーティーっていうか……貢物を渡しに行くだけの催しよ、気に入らない……」


カレンは憎々しげに眉を顰める。


「この辺りの支配者は、偶にこうやって貢物を要求してくるの。本当に最高のタイミング……」


煮えたぎるマグマのように紅い瞳で、車が動き出してから初めて俺に視線を合わせる。


「良い? ギンジ、その魔人に会ったらあなたは直ぐにそいつに触れるの。何でも良いわ、とにかく触りなさい」


「触る……? 」


「そうよ、それだけでいいの。それだけで、あなたの役目はお終い。あなたの国を作ってあげる。簡単な仕事、でも失敗したら、許さないから」




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