第3話 『隷属』のマリア

魔人『加虐』のカレンは一人、自室の窓から魔界の荒野を眺めていた。


何年経っても変わることの無い無限の荒野、晴れない黒雲と轟き続ける雷鳴。

この光景と同じ様に、魔人とは不変の存在である筈だった。


しかしカレンは今、初めての状況に整理がつかず困惑し続けている。

傍らにはそんな主を心配そうに見守るマリアが。


「ねぇマリア」


「……はい」


「彼は今どうしているかしら」


この問答も、何十回と繰り返し行われた物だった。


「彼は現在、客室にて就寝中です」


「……そう」


だが今回は、状況がようやく1歩進む。


「マリア、私は彼を傷付けた時……いつもの様に楽しくって、もっとしたいって思ったのに……その後、同情したわ。可哀想って思ったの」


メイドは主を労るような、悲痛な顔でカレンの肩に触れる。


「有り得ません。お嬢様は『加虐』、『加虐』故にお嬢様なのです」


主の有り得るはずのない憔悴した姿に心を痛め、マリアは続けて口を開いた。


「お望みとあらば、私が……」










目が覚める。


フカフカで身体が沈み込むように上等なベッド、落ち着く香りの漂うシーツ。

まるで高級ホテルだ。


俺は、夢でも見ていたんだろうか。

国が滅んで奴隷にされて、女の子に痛ぶられる……そんな荒唐無稽な夢を……


「いて……違うか」


頭に巻かれた包帯に触れて、昨日の出来事が現実であったと再認識する。

憎き魔人、カレンとか言う頭のおかしい女につけられた傷がズキズキと傷んだ。


窓から外を見ると、ゾッとする程に遠い地面。

シーツを何百枚結んでも下に降りる為のロープは作れそうになかった。


「クソ……どうなっちまうんだ」


せめて何か。

役に立ちそうな物は無いかと部屋を物色しようと振り返り。

予想外の光景に凍り付いた。


「窓は危ないので、人間の方は余り近付かない方がよろしいですよ」


メイド服の魔人、マリアがいつの間にか部屋の中に立っていたのだ。


相変わらず、人形の様に不気味な程整った顔は今となっては恐怖の対象でしかない。

俺の身を案じるかのような発言にも、裏を感じて背筋に嫌な物が走る。


「どうも……」


部屋の中で、なるべくマリアから離れようと距離を取る。

そんな涙ぐましい努力を嘲笑うかのように、無表情のままマリアはこちらに近付いて来た。


6本の腕のうち4本を使い、俺の手足を拘束する。

勿論抵抗した、だがカレンの時と同じ様に力では到底太刀打ち出来ようもない。


「いっ……何なんですか! 俺をどうするつもりなんですか! 」


「こちらへどうぞ」


マリアは残った腕で椅子を引き、俺を強引に座らせた。

そのくらい、口で言われたら素直にするってのに。


「ちょ、ちょっと痛いじゃないっすか……」


椅子に座らされた後も尚、マリアは拘束を緩めようとせず寧ろ込められた力はドンドン増していく。

骨が軋むようだった。


「本日はお嬢様より命令を受けておりますので、幾つか実験を行います」


は? 実験……


俺の困惑を他所に、マリアは革製の工具巻を取り出すとテーブルに広げた。

中には様々な工具が収納されている。


俺の知っている工具巻よりも小ぶりな道具が多い、まるで何か繊細な作業を行う為の特注品みたいだ。


その中からマリアはメスの様な刃物を取り出し、俺の眼前に突き付ける。


「……え? 」


「そう言えば名乗り忘れておりました。私はマリア。罪の名は『隷属』」


言い終わるや否や。

マリアは俺の服を捲り上げ、メスをゆっくりと腹に突き刺した。


突き刺す、と言っても数ミリ。

皮だけを貫く様な浅い傷。

血が一筋流れるが、痛みはそれほど無い。


「あの……っ!? 」


マリアがメスを動かした。

刺傷を数センチの切り傷に変えると、もう一度刺し直してまた切り傷を刻む。


その作業を3度繰り返し、切り傷で見事な正三角形を作り出した。

マリアは、その切り裂かれた皮膚をメスで丁寧に、削ぐように捲る。


そりゃあ、痛い。

悶絶ものだった。


痛みに耐えて奥歯を噛み締めた。

ガリガリと削れるような音がなるが、痛みは一切の容赦なく俺に襲いかかってくる。


それを何度も、彼女は繰り返す。


床には俺の血と、切り捨てられた正三角形の皮が散乱し、高級ホテルさながらの見事な部屋は一気に凄惨な光景となった。


「やめろ! なんでこんな事をするんだよ! 」


拷問ですらない、これはただの作業だ。

俺にただ苦痛を与えると言うだけの作業を、この女は淡々と行っている。


「ご安心下さい。あなたが死んでしまう事はありません、障害も残らないよう善処致します。そう命じられなおりますので」


そういう事を言ってるんじゃない。


ただただ痛い。

必死に振りほどこうと藻掻けば藻掻く程に強く押さえ付けられ更に痛い。


「……! ……! 」


目的も分からず、ひたすら痛みだけを与えられ続けて10分程。

体感だと何時間も嬲られていたように感じる。


「……趣向を変えましょう」


マリアは俺の血と脂で濡れそぼったメスを置くと、工具巻から次の道具を物色する。

心無しか、彼女の能面みたいな無表情が愉悦に歪んでいる気がした。


あぁ、結局……こいつも魔人なんだな。


諦めの境地に達し、観察をする余裕が出てくる。


工具巻は随分年季の入った物た。

メスは辛うじて拷問に使えた様だが、それ以外の道具は明らかに拷問には向いていない。


何か、工芸品でも作るような道具類。


「……? 」


工具巻の中に、工具とはまた違った何かが包まれていた。


それは小さな腕や足、のっぺらぼうの頭。


人形だ。

人形のパーツが納められている。


「……よく見ると」


「はい? 何かおっしゃいましたか? 」


マリアの指には不自然な節目が存在していた。

万力のような握力で取り抑えられていた為に気付かなかったが、彼女の手は硬質で冷たく、血肉によるものでは無い。


「あんた人形だったのか」


「……ええ、お嬢様に造られた被造物でございます」


魔人と、喋る人形。


飽和した痛みで頭が痺れる。

ふふふ、と笑いが漏れた。


「お嬢様に命じられるがままに拷問ごっこか……あの女の言いなりにしかなれないんだな……」


マリアは悩んだ挙句、結局血だらけのメスを持ち直して俺に突き付ける。


「黙りなさい」


「罪……って言ったけ、隷属? お嬢様のお人形遊びな訳だこの茶番は……ぐぁ! 」


今までの繊細な、ある意味俺を気遣ったメス捌きから一転。


マリアは乱暴にメスを突き刺すと、乱暴に俺の肉を抉った。


「黙りなさい! 」


お、なんだ怒ったりもするのか。


お人形の癖に。

目を吊り上げて顔を赤くする様は人間と変わらない。


「あなたに何が分かるんですか! あなたに何が! 」


滅多刺しだ。

この魔人の逆鱗に触れてしまったらしい。


とっくの昔に限界を迎えていて、今は気絶と覚醒を繰り返している。

お陰で痛みはあまり感じない。


多分俺はこれで死ぬ。


だがまぁ、あのカレンとかいう魔人に嬲られて殺されるよりは随分マシな死に方のはずだ。


「もう良い、死になさい……! 」


言われなくても。

そろそろ死ねそう。

せめて、睨みながら死んでやろう。


睨み上げると、そこに居たのはまるで普通の人間みたいに怒り狂うメイドの魔人。


命令に背いた事、お嬢様にしっぽり怒られるがいいさ。


「……もう良いわマリア、刃物を離しなさい」


「あ、お、お嬢様……」


嫌な声が響く。

可憐な、憎たらしいあの魔人の声だ。


『加虐』のカレン、お嬢様とやらがマリアから刃物を取り上げていた。


「……わ、たくしは何を、お嬢様の命に背き、私は……」


「良いのよマリア、実験はお終い。直ぐに彼から離れなさい、そして手当を……」


もう意味が分からない。

これはどういう趣向の拷問だったんだ?


消えゆく意識の中。

あの憎たらしい女の紅い瞳が見えた。


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