第88話 知己

 山間の村の中ログハウスの中から翁は念の五方陣が開かれたことを察知した。翁は目を閉じゆっくりと当時生き残っていたであろうヤマトの民一人一人を思い浮かべコンタクトを取っていった。いくら念を送っても返事の無い者もいた。翁が呼び込むとすぐに連絡が取れる者もいた。翁を中心に生き残り生活をし続けていた同胞が、五方陣の中で集まり話し合った。黒鷹達の陣営がかつて解散をしたアメリカとカナダの国境付近へ集合することを皆改めて契り交わしたのだった。



 紅い季節はずれのアマリリスが一面に咲き誇る平原にたたずんだ赤羽と自由人は互いを見つめ合い立ちつくしていた。風に赤羽のグレーの髪と白いドレスが揺れていた。赤羽の紅い瞳は遙か昔このヤマトの村で自由人が見たその時のまま確固とした信念をたぎらせて紅く燃えていた。念の五方陣の中、赤羽の気持ちが自由人の心の中へ、自由人が自分の気持ちを感じるように入ってきた。

赤羽(自由人。ありがとう。最後に私は本当の自分に戻ることが出来ました。)

自由人(赤羽。礼など・・・どうして?俺を憎んでいないのか?何故?お前の心に俺への憎しみが無いんだ!)

赤羽(いいえ。いいえ。自由人。貴方の気持ちもヤマトに暮らす頃から私には解っていました。私を愛し求める気持ち。私が青磁を追いかけるように貴方は私を追い求めた。いつの日かこんな風にお互いが解り合って穏やかに話せる日がくればいいと、あの頃は願っていた。解るでしょう。私が貴方を恨んでなどいないと言うことを。私が貴方なら同じ事をしたかもしれない。)

自由人(赤羽!俺が!全てをぶち壊した俺が悪いんだ!俺を責めてくれ!ののしってくれ!そうされる方が数倍・・・)

赤羽(私の気持ちが解るのでしょう?貴方の気持ちも私が感じているように。自由人もう苦しまないで。私が自分を捨てたのもその時の私自身が選んでそうなったまでのこと。私はあの頃の私はとてもとても・・・弱かった。)

自由人(赤羽)

赤羽(辛い自分の心の傷口ばかりを気にして心を閉ざした私は己の手により自分自身を捨て去ったも同然でした。はい上がる努力を怠り、人の差し出す手にたやすく捕まり、言われるがままぬくぬくと残りの人生を過ごしてしまった私は、誰のせいでもなく自分自身を裏切っていたのです。そんな私を命の危険も省みず連れ出してくれて、この地に立たせてくれたことを感謝こそすれ恨む気持ちなど毛頭持ち合わせてはいません。自由人。あなたの次に私には話すべき人がいます。)

自由人にはそれがあのフレデリックだと言うことが読み取れていた。自由人はゆっくりと頷くと少し青い顔をしている赤羽へ歩み寄り抱え上げて自分の膝の上に座らせた。赤羽は既に体が辛かったとみえ自由人に促されるまま自由人の胸を背にもたれかかるように座った。


 一方アメリカの城の中は混乱というよりは不気味な静寂が城を包みこんでいた。というのも地下の研究室では研究員が互いに自分の知り合いと宙を見て話し合い仕事にはならなくなっていたからである。ミコを探すためのレーダーも念の五方陣が作り出したあまりの大きさにパワーをくみ取れず大破してしまっていた。軍の内部も互いが互いに散り散りとなりそれぞれが自分の関係者と話し込んでいた。いち早く事態を察知したフレデリックは事の大きさを認識し、既に収集が着かなくなっていることを理解した。リリアを呼んでみたが何の返答も無く城からも息子共々姿を消していることを知りリリア以外の人間に自分の考えを読み取られることを恐れたフレデリックはあのシオンとであった森の中の湖へと逃げ込んだ。

(リリア以外誰のことも思い浮かべなければ自分の思いも読み取られることはない。)

そう考えた末の行動だった。フレデリックは湖の畔に腰掛け只リリアだけを思い呼び続けていた。

(リリア。リリア・・・いたら返事をしておくれ・・・リリア・・・)

どれくらい時間がたったことだろうフレデリックは眠りについていたらしくふと我に返ると目の前にはリリアが寂しそうなほほえみを浮かべ立ちつくしていた。

「リリア!」

フレデリックが叫び近づこうとしたが目の前のリリアは本物ではなく薄い幻影の姿だと言うことに気がつき差し出した手を力なく下ろした。リリアは辛そうに微笑むとフレデリックに念を送り始めた。

赤羽(フレデリック様。私は既にリリアではありません。赤羽・・・赤羽を取り戻し今ここに立っているのです。)

フレデリックはリリアの持つそのまなざしの強さの違いを感じ取り、寂しそうに笑うと後ろの木に背をもたれかからせて目を閉じた。

フレデリック(そうか。赤羽・・・か。私は彼女を全くと言っていいほど知らない。しかし今のそなたを見ると真の強い女性のようだ。私の知っているリリアは・・・)

赤羽(か弱く逆らうことを知らぬ、只貴方を愛し忠実に言いつけを守ることしか出来ない女性でした。しかし彼女は貴方を心から愛していた。貴方の子供を産んで良いと言われた日の喜び。その子が実の父親に疎まれようが親子共に暮らす日を夢見て貴方に尽し愛を捧げた・・・)

フレデリック(赤羽。リリアはもう存在しないのか?それともそなたの中に共存しておるのか?いやそなたの中に感じる。リリアの気持ちを。本当に私を・・・ああ愛してくれていた・・・その気持ちを私はずっと感じていた。私のリリアに対する愛情はそれとは異なる。形は違うが・・・私もそなたを必要としていた。)

赤羽(そうです。フレデリック様。必要とされていました。侵してはならぬ罪と知りながら互いに責任をなすりつけ合い、罪の螺旋に落ちていってしまった貴方と私は互いの弱さに目をつむり互いの罪を相手のせいにして都合良くお互いを利用していたのです。それを許し許されることをお互いに望み、罪の鎖をつなぎ続けてきた。フレデリック様。貴方だけが悪いわけではありません。リリアもそれに荷担し手を血で染めてしまった。この罪はこの世では拭いきれないものなのです。)

フレデリック(赤羽・・・何がそなたを自分自身を取り戻させた。この不思議な空間は息子がマリオンが作りだしたものなのか?この空間のせいなのか?ならば私はまた我が子を呪わなくてはならないのか?赤羽などそんな者を思い出して欲しくはなかった。いつまでもリリアとしてわたしの側にいて私を支えて・・・)

赤羽(リリアとして生き続けていたとしても、別れはすぐにやって来ていました。リリアもその能力を使いすぎました。すでに寿命を終える時が迫っているのです。フレデリック様現世で償えない罪を来世でどこかで償うため、これから私は長い贖罪の旅が続くことでしょう。あなた様ともまたどこかでいつの時代かでお会いできるとしたらその時は自分自身だけで考え行動し、本当の自分であなた様を愛せる日が、いつかいつの日か来ることを願っております。)

フレデリック(リリア。行くな。私を一人にしないでくれ。リリア・・・お前が必要なんだ・・・)

 そう叫んだフレデリックの前には既にリリアの姿は消えていた。

(死んでしまったのか?)

咄嗟にフレデリックは思ったがまだかすかだがリリアの存在をこの世に感じることが出来た。この世からリリアという存在が無くなると言うことを不思議なことに今の今までフレデリックは考えた事がなかったのである。莫大な喪失感と絶望と行き場のない恐怖が突然フレデリックを襲った。それは今まで感じたこと無い無謀な量でフレデリックの気持ちを掴んで揺さぶり続けた。

「アアアアー!オオオオー!ウオオオオー!」

動物のような雄叫びでフレデリックは天を仰ぎ両手を握りしめて叫び嗚咽した。涙は枯れることを知らぬように後から後からあふれ出た。叫んでも、叫んでもこれまでの人生で押さえ隠し続けてきたフレデリックの感情は止まることを知らぬ激流のように内蔵をえぐりながら一斉に外へ飛び出してきた。解放されたことを喜びこれまで閉じこめていたフレデリック自身に最後の一撃を食らわせながらそれぞれの想いが勢いよく飛び出してくる。一思い吐き出すたびにフレデリックは激痛のような痛みを体全体で受け止めていた。これまでにごまかし続けた自分自身の罪悪感。戦場で撃ち殺した他国兵達の死に際の顔。実の父親が棺に収まっていた青白い顔。サイモンの変わり果てたうつろな視線を浮かべた顔。これまで手にかけた人々の顔。殺人を強要した時のリリアの表情。どれくらいの時間が過ぎ去ったのかも解らなかった。のどが枯れ、涙が乾き、抜け殻のようになったフレデリックに遠くから遠くから小さく小さくメロディーが聞こえてきた。力なく跪き宙を見据えたフレデリックは身動き一つ取ることなくじっと耳を傾けていた。メロディーはだんだんと大きくなりやがてはっきりと聞き取れるようになった。


恋いし愛しあの人を

夢見て今宵も幾千里

追うて駈けて行けどもや

姿は今宵も夢に消ゆ

どれほど思いをはせれども

叶うことなきわが思い


繰り返し繰り返し歌われるその歌はかつてまだ罪にその手を染める前にフレデリックが恋いこがれた歌声だった。フレデリックはゆっくりと歌声の方向へ目を向けた。そこにはかつて恋いこがれた女性、紫音が静かに立ちつくしていた。呆然と紫音を見つめるフレデリックに紫音は静かに語り始めた。

紫音(人の想いとはどこから生まれどこへ行くものなのでしょうか?人を想うことは誰もが持って生まれた自然な気持ちなのに生きていく内に時間を経るに連れ、だんだんと形を変え姿を変化させ初めの純粋な気持ちとは裏腹にとんでもない姿へと変貌していることがあるものかもしれません。受け入れられない寂しさからなのか、傷つく事への恐れからなのか・・・いずれにせよ誰かが誰かを愛し、愛おしむ気持ちは止められずどのような形にせよエネルギーとして常にこの世を私たちを取り巻いています。)

フレデリック(シオ・・・ン?)

紫音(私が初めて貴方にお会いした時貴方は、貴方の心は寂しさで充満していました。一度も誰からも愛されたことのない人、そんな人の心に生まれて初めて対面してそのあまりのあふれるような悲しさ、求める方法も、愛される術も知らない孤独の海に一人で漂っている貴方の叫び、まるで鋭利な刃の上を裸足でずっと歩いてきたかのようなそんな心の叫び声を私はあの時聞いたのです。しかも貴方はご自分自身でその気持ちに蓋をして、それまでも、それ以降も何にも誰にも期待も望みもしないよう命じておられました。まだ十二歳だった私はそんな貴方の心があまりに刹那で悲しくて恐怖さえ覚えたほどでした。私には未知の世界だったのです。だから二度目の握手を求められたとき恐ろしくなって後ずさりをしてしまった。それはきっと初めて人に対して求めた貴方の気持ちを傷つけていたとも気づかずに・・・

貴方とは皮肉な運命でそれ以降も雪の中で出会った時、私は貴方を本当の刃で刺し右腕に傷を負わせてしまいました。何度も振り下ろす私の刃をよけながら貴方の気持ちが大きくえぐられていくのをお腹の子供達が見せてくれていたのに、私は容赦なく貴方に斬りかかった。貴方にとても申し訳ないことをしたと思っています。私も、赤羽と一緒にこの世を去ることになりそうです。貴方は既に人の気持ちを受ける心と与える気持ちを持たれています。それは赤羽から、息子から、形や色は違えど充分に感じ、また貴方も与えられた想いのエネルギーを感じ取られているはずです。貴方が思われている人々の顔・・・それは貴方自身の思いの証なのです。忘れないよう・・・これからも忘れることのないように・・・どうか・・・どうか・・・人の想いを・・・)

フレデリック「シオオオオーーーーン!!!」

フレデリックの叫びが森の中で木霊するが紫音の姿は夜の闇中ゆっくりと消えていった。かつてフレデリックが愛していた湖の静寂さだけがあたりを取り巻いていた。しかしその静寂さはすでにフレデリックの心をいやすものでは無くなっていた。むしろリリアの優しい笑顔と幼かった頃のマリオンがあやされて満面の笑みを浮かべた丸い顔がフレデリックの心に浮かんでいた。その二つはもはや二度と自分の前に現れることが無いことを確信し、只為す術無くフレデリックは暗い夜空を見上げていた。雲間に隠れていた月がすっと顔を出した瞬間月明かりに照らし出されフレデリックの顔が浮かび上がった。そこには昔のように顔半分に赤黒い痣がくっきりと浮かび上がっていた。フレデリックは空っぽになった瞳でその月を見つめながら一人小さく口ずさみ始めた。


恋いし愛しあの人を

夢見て今宵も幾千里

追うて駈けて行けどもや

姿は今宵も夢に消ゆ

どれほど思いをはせれども

叶うことなきわが思い


フレデリックのか細い歌声は湖を渡り森の中に寂しく響き渡って行くのだった。

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