第70話 出会い

自由人が翁へ残していたイタリア州の地黄の住所を手に、次の日、白虎と流黒、陽紅は翁の家を後にした。これまでの道のりを考えるとイタリア州までの方が断然交通の便が良かったし比較的楽な旅路で地黄の住む地に着くことができた。自由人の旧知の情報筋から、アメリカのミコ探し用の探知機も海を渡ったイタリア州には範囲が及んでいないことも三人の気分を楽にさせた。


イタリア州は異国情緒漂うたたずまいで三人は見るもの聞くものに驚きながら地黄の住む家をさがした。自由人と別れた時十七歳になる年だと翁から聞いていたので今地黄は二十一歳になっているはずだった。

(年頃の娘が五年間か・・・)

と思い白虎はふと暗い気持ちになっていた。つまり五年間の間に恋人も出来るだろうし、もしかしたら結婚して子供もいるかもしれない。もしそうであれば今の生活を壊してまでこの今から我々が起こそうとしている戦いへ参加してくれと言い出す勇気が自分にあるだろうか?そう疑問に思いながら白虎は石畳の続く街を地黄のアパートを目指し歩いていった。白虎の暗い表情に気が付き、流黒が白虎の背中を軽く叩いて声をかけた。

「心配は行って会って見てからにしましょう。」

流黒のこういった細かい気遣いは生前の黒鷹を思い起こさせ白虎は逆に懐かしいような悲しいような気持ちになるのだった。


白虎たちが目指すアパートの前に到着すると、太った陽気な生粋のイタリアのおばさんといった風情の女が二階の窓から顔を出し洗濯物を干していた。背中には赤ちゃんを背負い部屋の中からは恋歌らしきギター演奏のセレナーデ曲が大きな音で流れている。女は白虎たちに気が付くと片手を大きく振り上げながらイタリア語でまくし立ててきた。アメリカの一州だというのにこの辺りの人はお構いなしにイタリア語を使用し英語をまったく話せないようだった。困惑した白虎が上を向きながら叫んだ。

「ミスチオウを知りませんか?チオウ!」

女は「なーに言ってるの!」という風にオーバーなリアクションを見せたかと思うと顔を引っ込めてしまった。あっけにとられて3人が立ち尽くしているとアパートの階段をその女が下りてきて手書きの地図を渡してくれた。言ってることはさっぱり解らないがどうやらその女が指し示している地図の場所に地黄がいるらしかった。白虎は礼をいいその場を後にした。

歩き始めると陽紅が笑いながら白虎に腕組みをして来て言った。

「人間って言葉が通じなくてもなんとかなるものよね。」

白虎も目を白黒させていた自分を思い出しクスリと笑った。三人は地図の通りに歩いて行き幼稚園のような建物へついた。看板にはイタリア語で大きく書かれた下に申し訳程度の小さな英語で「私立マルコ聾唖学校」と記されていた。翁が自由人から聞いた話では地黄は聾唖の学校を出て教師として勤務していると言うことだった。

(勤め先は変わっていないということか。)

そう思った白虎はちょっとほっとして、その学校の中を覗き込んでみた。蔦が絡まった垣根越しに見えるオレンジがかった黄色い石造りの建物はアンティークな感じで窓枠にはこげ茶色の飾り格子の金物でデザインを施してあった。その隅から教室の内部が見て取れた。長い黒髪を後ろで一つに束ねた女性教師が手話なのだろうかジェスチャーを交え小さな子供達へ大きく口を開けながら教えている。子供たちも同じように口をあけ手でその通りに真似をしていた。ガラス越しに見ているので瞳の色がよく解らなかったが印象的にはアジア系のように見て取れた。

「彼女じゃないですか?」

流黒が白虎の横で同じようにかがみ込んで中を覗き込みながらささやいた。白虎も流黒に頷いた。その様子を傍で見ていた陽紅があきれた顔で二人に言った。

「男二人で中をのぞいてたんじゃ変質者に間違われるわよ!もうさっさと行きましょう。」

白虎を先頭に学校の中へ入り面会を申し入れた。もうすぐ授業が終わるので待つように言われ応接室のようなところで地黄を待っているとまもなくバタバタと走る音と共にその応接室のドアが音をたてて勢いよく開けられた。そこには先ほど見た地黄が息を切らせて立っていた。


地黄は面長な輪郭の顔の中に小奇麗に納まった鼻も口も比較的すっきりとした印象が漂う女性だった。陽紅のような華やかさは無いが大人しい印象の中にも静かに秘めた意思の強そうな緑の瞳が印象的な女性だった。身長は百六十五cm程度で細く長い手足の割りにふくよかな胸が目立っている。スタイルの良さを際立たせるような胸元を大きく開けてウエストを強調した艶やかなオレンジ色の花柄のワンピースが地黄の魅力を一層引き立てていた。


地黄はドアを後ろ手に閉めると大きく目を見開き、立ちつくしていた。そして白虎と流黒陽紅を順に見詰めると白虎へ走り寄り飛びついた。白虎は驚き飛びついた地黄のウエストのあたりを抱えて抱き下ろした。地黄は白虎の首に両手を回したまま離そうとせずに涙を浮かべた瞳でじっと白虎を見詰めていた。人事ながら流黒は咳き込んで頬を赤らめて横をむいた。陽紅はむっとして地黄を睨んでいる。白虎は優しく地黄の両手を自分の首の後ろから外すと頭を下げて挨拶した。

「はじめまして。白虎といいます。自由人の知り合いです。」

地黄は白虎から目を離さず頷きながら白虎を見詰めていた。頷いたときに瞳にたまった涙がこぼれ落ち、地黄はそれ左手で拭きながら、右手で手話を使い話しはじめた。しかし三人とも手話がわからなかった。あわてた白虎が地黄を見詰めて地黄の目の高さまで腰を屈めて首を横に振りながら言った。

「ごめんなさい。手話が解らないのです。お時間があれば筆記でお話してくださいますか?」

地黄は頷くとそばにあった紙とペンを取り上げサラサラとそれに書き込み白虎へ渡した。白虎がそれに目を通している間、横にいた陽紅が流黒をつついてささやいた。

「あんな面倒くさい事しなくても念で話をすればいいじゃないの。そう思わない?」

流黒は左眉だけを上げてため息をつくと言い返した。

「お前は本当に自分のことしか考えないやつだよな。彼女が今どういう生活をしてるか解んないだろ?もしかしたら恋人がいるかもしれないし結婚して子供とかいるかもしれないし・・・」

陽紅はむっとしたふくれっ面で流黒を見上げて言った。

「だったらどうだって言うのよ?」

流黒は右側に立っている陽紅を少し軽蔑の眼差しで見下ろして小声で言った。

「ほっんと!馬鹿!お前には優しさが無いよ。白虎おじさんはもし彼女が新しい生活をスタートさせてたらその生活を壊してまで俺達の計画に参加してもらうのはどうなのか?って配慮してるんだよ。それが人を思いやるってことだろ!」

陽紅は目を見張り叫んだ。

「そんな!彼女が参加してくれなきゃどうなるのよ!開けないじゃないの!あの・・・」

流黒があわてて陽紅の口を押さえた。地黄と白虎は驚いて陽紅の方を見詰めていた。流黒は冷や汗を流しながら白虎たちに苦笑いすると口を押さえたままの陽紅を後ろからはがいじめにして部屋の外へ出て行った。そのまま陽紅を建物の外まで連れ出すと陽紅が流黒に抑えられている口で流黒の左手を軽く噛んだ。

「痛っ!」

流黒が叫んで陽紅から手を離した。やっと開放された陽紅は息を切らせて流黒を見詰め肩を上下させて怒っている。

「何すんのよ!野蛮人!」

流黒は陽紅に噛まれた左手の中指に口を尖らせて息を吹きかけながら言った。

「しょうがないじゃん。ああでもしないとお前何言い出すかわかんなかったし・・・」

陽紅はちょっと自分を振り返り反省をしているようだった。つぶやくような小さな声で流黒へ言った。

「わ・・・るかったわよ。」

そう言いながら流黒に掴まれた右腕の辺りをさすった。それに流黒が気づき言った。

「ああごめん。痛かったか?」

陽紅は流黒にはがいじめにされ外へ連れ出される間まったく身動きが取れなかったことを不思議に思い流黒へ尋ねた。

「ねえ流黒。あんたそんなに力強かったっけ?」

流黒は呆れたような表情を浮かべて言った。

「あったり前じゃん!」

陽紅はむっとして流黒に食って掛かった。

「でも剣の稽古の時でも二回に・・・ううん三回に一度は私が勝ってるわ!」

流黒は小さくため息をつくと陽紅と向かい合い陽紅の目を見据えて言った。

「外の世界に出ていい機会だから言っておく。あれは白虎おじさんから“たまには負けてやれ。”って言われるから負けてやってたんだ。本気で戦って俺がお前に負けるわけ無いだろ?男と女は力がおのずと違うもんなんだよ。」

流黒はぷいっと横を向くとポケットからガムを取り出し口に放り込みポケットに両手を突っ込んでフェンスにもたれかかり空を見上げて噛み始めた。陽紅はそんな流黒を目で追いながら言葉にならない悔しさをかみ締めていた。「流黒が自分にわざと負けていた。」その事実は、さっきはがいじめにされ部屋から連れ出される間、どんなにもがいても微動だに出来なかった自分の非力さで証明されていた。狭い世界で生きてきた陽紅にとって比べるのは常に流黒だったし身長や体重の差はあっても学力や剣術では同じように負けずに成長してきていると思っていたのだった。それだけ陽紅には周りとの摩擦による挫折や周りからのいわれの無い差別による痛手というものを受けたことが無かったのである。陽紅は悔しさで泣きそうになった。しかし目の前の流黒に泣き顔としかも泣いている理由を悟られることだけは絶対に避けたかった。陽紅は必死で涙をこらえ流黒に背を向けた。気分を紛らわせるために空を見上げた。そんな陽紅の気持ちを知ってか知らずか、流黒が後ろから独り言のようにしゃべり始めた。

「なあ陽紅。お母様のおっしゃった通りだと思わないか?俺達はとてもとても狭い世界で十五年間を暮らしてきた。白虎おじさんが聞かせてくれる外の世界の話や、写真やビデオで解ったような気になってたけど、実際に見てみて自分の足で歩いてみたらすっごいもんだと感心・・いや感動しなかったか?海は想像よりもでかくて恐いくらい広くて、色も青なんかじゃない表現できないような色をしてた。色んな種類の人間や動物がすっごい高いビルの中で生活してるかと思えば翁が暮らしているところは山間の小さな村で大きな自然と共存して暮らしている人たちもいる。あそこの大木・・・信じられないくらいでかかっただろ?樹齢何百年っていう時をかけて太く高くなったって翁が言ってたけど、すごかったよなあ・・・俺は父上が眠るあのしだれ桜の木よりも大きい木が存在するってことすら知らなかったんだ。なーんて思ったら次に何が出てくるのか何を見ることが出来るのかが楽しみになってきてわくわくし始めたよ。」

陽紅は流黒の方を振り返った。流黒は微笑みながら陽紅を見ていた。陽紅は自分が双子の兄しか見ていなかったこと。つまりこれまで育ってきた狭い世界から抜け出し新しい大きな世界を受け入れ素直に体験することを知らず知らずの内に恐がって拒否していたことに気が付いた。そんな自分を弱虫だと思ったし素直ではないと感じてまた涙が出そうになり再び後ろを向いた。

「うん。」

陽紅は流黒に返事するのが精一杯だった。その時学校の門が開き地黄と白虎が出てきた。白虎は二人を見定めるととりあえず地黄の家へ伺えることになったと説明し四人は暮れ始めた道を地黄のアパートまで急いだ。


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