第62話 贖罪

自由人と地黄はアメリカの一つの州となっていたイタリアにいた。十年が経ち地黄は十六歳、自由人は三十四歳になっていた。イタリア州の人間は皆明るくおおらかで二人はすっかりその地に溶け込み生活を送っていた。自由人は探偵業のような仕事を生業とし地黄は聾唖(ろうあ)の学校に通いすっかり娘らしくなった。今では自分と同じようなしゃべれない子供達の面倒を見ながら教える個人経営の学校に勤めていた。「十年を目処に」自由人はそう思っていたし白虎と翁へそう手紙に書き残していた。その十年目の春に自由人は地黄に告げた。

「約束だからな。俺は行くわ。お前はもう大きくなったから一人で生活できるだろ。」

足を組みエスプレッソのコーヒーをすすりながら自宅のテーブルで朝食を待っている自由人は新聞をめくりながら起用にタバコまでふかしている。赤いパンツに黒い細身のハイネックのトレーナーを着てその姿はすっかりイタリアの男になりきっているようだった。その自由人の話を聞いてキッチンに立って料理をしていた地黄がフライパンを持ったまま飛び出してきた。地黄はグリーン地に黒の水玉模様のスカートを掃き上には体にフィットした白いTシャツを着て黒いロングヘアーをスカートと同じ水玉模様のスカーフで一つに結んでいた。それが端正な顔立ちの地黄の容姿を一層引き立てていた。地黄はまだ熱いフライパンをテーブルの上に叩き置くと自由人へ向けてすごい勢いで手話で話し始めた。自由人はびっくりした面持ちでしばらく地黄を見詰めていたが手話で話し続ける地黄から目を離すと頭をかきながらため息をついて座りなおした。地黄は手話を続けながらテーブルを挟んで自由人の前に座ると(こっちを見て!)といわんばかりに自由人の腕を二三度叩き、また手話で勢いよく話し続けている。自由人はふと

(こいつが口が利けてイタリア語をしゃべれたらとんでもないことになっていただろうな)

と思った。しゃべり続ける地黄をさえぎり自由人が言った。

「悪い!地黄。俺まだその手話って言うのがよく解んねえんだ。悪いな・・」

地黄は手を止め自由人を睨むと心で念じた。とたんに自由人の頭の中に地黄の声が広がった。

(何言ってんの!ばか!行くなら私も一緒に行くって言ってるでしょ!何度言えば解るの!自由人一人じゃ何にも出来ないくせに!それから・・・)

すごい勢いで頭に入ってくる地黄の言葉に自由人はたまらなくなり立ち上がり地黄の肩を両手で掴んだ。

「ちょっ!ちょっ!ちょっと待って!静かにしてくれ。解ったから・・・」

地黄は念じるのを止め恨めしそうに自由人を見上げている。昔、紫音たちを攻撃する赤羽(リリア)の念をさえぎった地黄の能力だったが自由人との話し合いでその能力を普段の生活で使うことを禁じられていたのだった。その為自由人にとってはひさびさに聞く地黄の声だったのである。

「あーあったま痛てー。」

自由人はこめかみの部分を自分の拳骨で軽く叩きながら座りなおした。テーブルの上に地黄が置いたフライパンの中にある焼きかけのベーコンを見つけるとそれを片手でつまみひょいと口の中へ放り込んでおいしそうに食べた。

「うまいよ。これ。」

微笑みながら頬張る自由人に地黄が怒りテーブルを叩いて立ち上がった。自由人はまた念じられるのがいやであわてて地黄を見てしゃべりはじめた。

「だから!だから!お前を置いていくのには訳があるんだって。まず俺は白虎と翁を探す。それにはちょっと時間がかかるかも知れない。何せ軍に探知されないために通信機器が使えないからな。多分あいつらもそんな機器が無いど田舎に身を潜めてるはずだ。まちょっと探すのに時間がかかると思うわけ。それで、もし、あいつらの足取りをちょっとでも見つけたら俺は飛び回ってるから知ってるやつにここの連絡先をあいつらに伝えてもらうようにする。解る?その為に太古の昔使ってたアナログの通信方法を・・・これこれ無線ってやつを俺が造っただろ?使い方教えてやったじゃん。お前にも。そんで俺もここへ連絡するしお前も俺にあいつらから何か連絡があったかどうか伝えて欲しいわけよ。ああっ!解ってる!俺とお前とは念じれば話せるっていうんだろ?解ってるよ。でもお前と白虎お前と翁はどうなんだよ?出来るかどうか解んねーじゃん。」

地黄は一応筋の通った自由人の言い分を不満げな表情で聞いていたがぷいっと横を向くとキッチンの方へ姿を消した。キッチンからは再びジュージューという料理を作る音が聞こえてきた。自由人は少し腕を組んで考えていたが席を立ち、キッチンの方へ歩いていって覗き込んだ。地黄は背を向け料理を続けていた。自由人は申し訳なさそうに地黄を呼んだ。

「おい・・・地黄・・怒ってるのか?」

地黄は出来上がった料理を皿にうつすとその皿を持って振り返った。地黄は俯いたまま自由人の胸に料理の皿を突きつけた。自由人は胸に突きつけられた皿を右手で受け取り空いている左手で地黄の頭を軽く叩いた。地黄はその手を振り払い居間の方へ走り去った。自由人は皿を持ったまま居間へ行くとテーブルにその皿を置き、背を向けたままの地黄の左肩を持って振り向かせた。振り向いた地黄はまだ俯いていた。背の高い自由人には地黄の表情が見て取れないためちょっとかがみながら右手で地黄のあごを持って正面を向かせた。地黄の目には涙がたまり悔しそうに下唇を噛んでいた。自由人は小声で「ごめんな。」というと地黄は自由人を見詰めた。その目からは涙がこぼれ落ちていた。地黄は手話で(一人はいやだ。)と自由人へ告げた。自由人はその手話の意味が解っていた。自由人は頷きながら右手で地黄の頭を優しく撫でるとまたつぶやくように言った。

「行かなきゃならないんだ。だから・・・ごめんな。」


二日後自由人は家を出るときに隣の太った子沢山の奥さんに「しばらく家を空けるから」と地黄のことを頼んだ。最後まで笑顔を見せてくれなかった地黄を残し自由人は旅立った。


列車に揺られながら自由人は色々と思いをめぐらせていた。地黄と暮らしたこの十年間。それは地黄によって救われた年月だった。イタリア州に来てからは地黄にあの能力を使うことを禁じ聾唖の学校に通わせ一般の聾唖の人間が暮らせるように生活してきた。自由人が能力を禁じたのには訳があった。ヤマトではミコの寿命は四十年から長くても五十年と教えられてきた。赤羽があの能力を発したとき、つまり赤羽がミコと同様と解ったときも自由人は四十年しかない赤羽の命を悔やんだものだった。しかし何故短命なのかという事に付いては誰一人として教えてくれるものはいなかった。あくまで自由人の憶測の域を出ないことだったがそれは能力を使うから短命に終わるのではないかと考え始めたことだった。赤羽にもっと生きていて欲しい。そう願う自由人の気持ちが作り出した幻想かもしれない想いだったがもしそうであるならば使わなければもっと長く生きることが出来るのではないかと考えたのだった。

(その証拠にシオンが何かを治癒した後は必ず寝付くと黒鷹が嘆いていたではないか。それほどのエネルギーの消費は必ずミコの命を磨耗する。)

その為地黄にも能力を使うことを禁じ回りの人と同じように生活することを頼んだのだった。もちろん日常生活を人の不審無く暮らせるようにするための知恵でもあった。


自由人は一人で列車に揺られながら窓の外を流れ行く景色を眺めていると若い頃よくこんな風に一人で赤羽の足跡を追い、旅から旅を続けていた頃を懐かしくしかし同時に胸の痛みを伴いながら思い出していた。ひとりよがりだったあの頃。しかしあの頃の方が何も恐いものが無くまっしぐらに信じていたものへ突き進んでいく勇気を持っていた。たとえそれが偏った想いからだったとしても・・・自由人は今赤羽がどうしているのか生きているのかもしくは死んでしまっているのかそれすらも知ることが出来ない現状を嘆きそしてこの状況を作り出してしまった自分を呪っていた。「贖罪」という言葉が自由人の脳裏に浮かんだ。

(これは俺自身の贖罪の旅になるんだ。)

自由人は心に誓い赤羽の身に思いをはせた。あのフレデリックのしおらしげな演技にまんまと騙されたあの時。本当に赤羽を愛しお腹の子供ともども幸せにしてくれるのだと信じた自分のおろかさを呪っていた。紫音と黒鷹を連れ雪の山道を逃げていたあの時黒鷹を襲ったあいつの眼差しは横恋慕の嫉妬心に駆られた男の眼差しそのものだった。それは赤羽を追いかけていた自分自身がそうだったからこそいやと言うほど読み取れた感情だった。紫音を手に入れるためそのためだけに全てを利用し赤羽までをも利用した。あのフレデリックのそれまで見たことも無いような冷たく凍りついた青い瞳を自由人は忘れることが出来なかった。

(あいつは赤羽を愛してなんかいない。)

自由人にはあの時はっきりと見て取れたのだった。しかしながらリリアと信じて暮らしている赤羽にその自由人の声も思いも、もはや届くはずが無く、あの時自由人は紫音と黒鷹を逃がすことで精一杯だった。しかしその後自分も逃げおおして地黄と暮らし来たこの十年の間赤羽の身を案じる思いとあの時フレデリックを信じて赤羽を手放してしまった後悔は忘れることがなかった。その自分自身を責め続ける苦痛の中、少しでも心を和ませてくれたのが地黄だった。地黄の成長と素直さ優しさが自由人には何よりの慰めとなったし地黄が一人で暮らせるようになるまではと言う思いの十年間でもあった。そのことは翁と白虎の手紙にも書いていた。もちろん軍の追っ手から一切の情報を消すためにはそれ位の時間を要したことも事実ではあった。


地黄は今年で十七歳になる。自由人は地黄の美しく娘らしく成長した笑顔を思い浮かべた。イタリア州に移り住んでから、地黄は自分の妹だと周りには告げて暮らしていた。実際自由人にとっては妹と言うよりは娘といった方がいいくらい地黄がかわいく思えていたし大切にしてきたつもりだった。地黄もそれが解っているらしく夜にうなされる癖もだんだんと無くなり一人ではないという安堵感からか良く笑う明るい娘へと成長を遂げたのだった。自由人は地黄に連絡を取るとは言って出てきたが出来ることならこのまま地黄とは連絡を絶ちあの子はあの子で幸せな人生を歩んで行って欲しいと考えていたのだった。

(あの器量であの肝っ玉ならどんな男と出会っても幸せな家庭が築けることだろうよ。)

自由人は沈み始めた夕日に向かって心で地黄に向けて別れを告げた。

(元気でな・・幸せに暮らせよ。)

遠くはるかかなたの地平線に赤羽の瞳の色のような真っ赤な夕日が落ちかけていた。自由人にはそれが赤羽の流した血の跡や叫び声のように感じて目を離すことが出来なかった。列車は自由人の贖罪の旅の始まりを知らせるように低く長く汽笛を鳴らしていた。

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