第59話 大和

 寒い冬の季節が過ぎ去り三月に入ると紫音はたびたびシェルターから外へ出てみるようになった。地下鉄の入り口だったと思われる所から黒鷹を連れ外へ出てみて二人は驚いた。その入り口に入るときも「大きな木だ。」と感心していた大木が見事なしだれ桜で、満開のその木は薄桃色に輝いていたからだった。幹がゆうに三メートルはあろうかと思われるその大木は高くまた横にも広く伸び今が盛りと花を咲き誇らせ時折吹く風が花びらを粉雪のように舞い散らせていた。紫音は黒鷹に肩を貸しながらゆっくりと歩きその大木の下まで歩いていった。二人はその木を見上げて舞い散る花びらと心地良い春の風を肌に受けたたずんでいた。紫音は舞い散る花びらを空いた右手に受け取ると微笑みながら黒鷹に見せた。紫音の白い小さな手のひらにはほんのりと桃色に染まった桜の花びらが一枚恥ずかしそうに載っていた。黒鷹も紫音を見て微笑んだがその顔色は青く黒鷹の体が回復しきっていないことは見て取れた。紫音は持ってきた敷物を敷き大木を背もたれにして黒鷹を座らせると自分も横に一緒に腰掛けてしだれ桜の花を見上げた。紫音のお腹はだいぶ大きくなっており黒鷹はそのお腹を見て少し心配そうな表情を浮かべて言った。

「ここで俺達だけで赤ちゃんを生むことが出来るのだろうか・・・?」

紫音は持ってきた昼食を広げながら黒鷹に言った。

「大丈夫よ。前に住んでいたアメリカでも隣のフォードさんの奥さんから色々と聞いていたの。あの方も冬の雪で閉ざされたあの家でフォードさんの留守中一人でミニヨンを産み落としたって、そりゃあ誇らしげに話してらしたわ。痛いのはすごく痛いんですって。でも女の人はその痛みに耐えられるような体のつくりになってるから大丈夫だって。それにここに来てからもほらあの資料室みたいなところに沢山本があるのね。その中に出産に関するものもあって、読んでたんだけどどうにかなると思うわ。」

あっけらかんとリンゴをむきながら話す紫音を見ながら黒鷹は紫音が強くなったと思っていた。母親になると少し違う気構えのようなものが出来るのかも知れないと思った。その黒鷹の眼差しに気づき紫音が(なに?)という表情で黒鷹に顔をむけた。黒鷹は微笑んだが同時に咳き込みうずくまってしまった。咳が止まらない黒鷹の背中をさすりながら紫音はすっかり体力がなくなってしまった黒鷹の身を案じていた。しばらくすると黒鷹の咳も止まり大丈夫だと言い座りなおした。黒鷹の顔を見詰めながら紫音はすぐにでも自分の全ての力を使って黒鷹を治癒したい思いを募らせていた。その気持ちが解る黒鷹はしだれ桜の木を見上げながら紫音言った。

「だめだよ。シオ。お腹の子達のことを一番に考えないと。俺は大丈夫だからその子達の顔を見るまで死にやしないよ。」

舞い散る桜吹雪の元青白い顔で桜の木を見上げながらそう言う黒鷹は今にもどこかへ行ってしまいそうで紫音は思わずすがり付いて黒鷹を抱きしめた。

「し・・死ぬなんて言わないで!そんなこと無いんだから!大丈夫なんだから!」

子供のように黒鷹に抱きついて泣きじゃくる紫音の頭を撫でながら少し驚いた表情を浮かべて黒鷹が言った。

「どうした?ついさっきシオは母親らしく強くなったと思ったばかりなのに・・・それじゃまるでシオが赤ちゃんみたいじゃないか・・・」

紫音は黙って黒鷹にしがみついたまま何も言わなかった。紫音の力を使おうにもお腹の子供達はそれを嫌がっていて使うことが出来なかったのだ。それにこの子達も黒鷹のパワーの少なさを日々感じているようで「大丈夫・・・」ということは一切言わなくなっていた。黒鷹はしだれ桜を見上げたまま独り言のようにつぶやいた。

「自分の国があると言うのはすごいことなんだな・・・ここに来てから初めて安心して暮らせると言うことが解ったような気がするよ。本を・・あの資料室の本を数冊読んだんだ。この国の歴史がほんの少しだけど解ったよ。」

そう言うと黒鷹は土がむき出した地面に「YAMATO」と書きその下に「大和」と書いた。紫音は身を起こすと涙を拭い黒鷹の書いた文字を見た。黒鷹は続ける。

「昔この国のことをヤマトと読んでいたらしい。“大和”と書いて“ヤマト”と読むんだ。」

紫音は目を丸くしながらその文字を見詰めてつぶやいた。

「や・・まと・・」

黒鷹は微笑み右手で紫音の肩を抱くと目をつぶって言った。

「ああやまと・・だ。はるか昔この国を建国した時の名前。建国というか大体全土を制圧した人物が“ヤマトタケル”っていうらしいけど・・・その後も潜水艦などを作った時に名前が使われたり、国力増強を測るときなんかに“大和魂”なんて言ったスローガン的に使われていて。それほどこの国の根底に流れる精神力みたいな言葉だったんじゃないかな?」

「ヤマトタケル・・・」

紫音はつぶやいた。黒鷹は紫音の顔を見詰めて微笑んだ。紫音も微笑み返す。黒鷹は紫音に語る。

「きっとヤマトタケルが出てくる前にずっと前に初めてこの地を踏んだ人間がいたはずだよ。それから人が増え、争いが起こり、群雄割拠して、まとめるためにヤマトタケルが立った。でも最初にこの地に立った一人もしくは数人はそんな未来など知る由も無かったはずだ。紫音・・・俺達は再びこの地に足を踏み入れた最初の人間なんだ。どんな未来が待っているかそれはこのお腹の中の子供達に託されている。」

紫音は黒鷹が言うことが解るような気がした。黒鷹の真剣な眼差しは自分と子供達への愛情さらには紫音がしっかり生きて子供達を育てていけるように勇気付けてくれている言葉のように思われた。紫音は瞼が熱くなるのを感じていた。黒鷹は紫音を抱きしめ紫音は黒鷹に口付けをした。抱きあう二人に何時までもしだれ桜の花吹雪が降り注ぎ優しい春の日差しが二人を暖かく包み込んでいた。


やがてしだれ桜の花が散り、夏が過ぎ秋の訪れを感じるころに紫音は無事双子の赤ちゃんを生んだ。一人は紫音によく似た女の子でもう一人は黒鷹の面影を宿した男の子だった。二人とも髪の毛は真っ黒で瞳の色は鮮やかな濃い緑色をしていた。黒鷹と紫音は女の子を陽紅(ようこう)男の子を流黒(るおう)と名づけた。それはまだアメリカで暮らしていた頃、翁が早々と縁起がいいからと選んでくれていた名前だった。双子はすくすくと育っていった。そんな子供達の成長を誇らしげに見守り何とか気力で存命していた黒鷹だった。しかし黒鷹は紫音の出産後すでに紫音のパワーでは治癒できないところまで衰弱していたのだった。子供達が二歳の誕生日を迎える前にその命は終わりを告げようとしていた。


黒鷹の床を囲み紫音が頬を濡らしながら黒鷹の手を取り見詰めている。陽紅と流黒が父親の最後を看取ろうと大きく瞳を見開いて、その傍らに座っていた。幼いが父のパワーが灯火のように小さく小さくなっていくのが見えているようで悲しそうな表情を浮かべじっと黒鷹を見詰めている。黒鷹は微笑んで紫音の手を握り返すとつぶやくように言った。

「シオ・・ン・・今までありがとう。子供の顔まで見れるとは思っていなかった。」

紫音は溢れる涙で黒鷹の顔が見えなくなるのがいやで涙を拭い言った。

「まだまだこの子達と一緒に過ごさなきゃ。元気を出して・・・」

黒鷹はまた微笑んで言った。

「そうだな。もっともっとこの子達が大きくなる姿を見届けたかったよ。紫音俺は昔きっとシオの方が先に逝ってしまうから残された俺は一人でどうやって生きていこうかと心配してたことがあるんだ。ミコの方が寿命は短いと教えられて育ってるからな・・・でも俺の方が先に逝けるんだ。残されるよりはいいよ。」

紫音は少し微笑んで言った。

「ずるいわ。クロ・・。でも大丈夫よきっとそうなるから。今に元気になるから。」

横からまだあまりしゃべれない陽紅と流黒が黒鷹に触ろうとベッドへ這い上がって来た。

「ダアーッ。ダダ」

「プアパ。プアプ。」

それを見て紫音が笑いながら黒鷹に説明する。

「まあこの子達パパって言いたいのよ。言ってるわ。聞こえる?」

黒鷹は二人を交互に見詰めながら笑った。

「ああ・・・聞こえる。そう・・・」

黒鷹はそう言うとゆっくりと静かに目を閉じた。陽紅と流黒はしゃべるのを止めてじっと父の姿を見入っている。紫音は黒鷹のパワーが消えてゆくのを感じて消える瞬間にその唇へそっと口付けをした。紫音が唇を離したときには既に黒鷹は息耐えていた。

「あ・・りがとう・・・」

紫音は黒鷹の静かに眠るような顔を見詰めながらつぶやくと両手を合わせて祈った。陽紅と流黒も解っているのか一筋の涙を流していた。


次の日紫音は黒鷹の遺体をシェルターから運び出すと大きなしだれ桜の木の下に埋めた。秋の訪れを感じる季節だったが土を掘り起こし埋める間に紫音は汗を流して動き続けていた。動いている方が黒鷹を失った辛い想いから少しでも開放され、楽になるような気がしたからだった。全ての作業が終わり汗を手の甲で拭いながら見上げた秋晴れの空には昼間の月影がほんのりと浮かび紫音を見下ろしていた。紫音は心で黒鷹に語りかけた。

(日本の地を再び踏みしめた最初の人間としてこの子達を立派に育てるわ。だから見守っててね。)

空に浮かんだ白い月が黒鷹の笑顔に重なりやがて元の白い月に戻っていった。秋の風が紫音の銀色の髪をなびかせて優しく揺らした。それはまるで黒鷹がいつも紫音の頭を優しく撫でてくれていた時の様に紫音には感じられた。ヨチヨチ歩きで紫音に向かって歩いて来る陽紅と流黒を抱きしめると紫音は歯を食いしばって泣くのをこらえていた。紫音の心には抱きしめた我が子の父を亡くした悲しみの心が響いていた。少しづつ、のどの奥から声がこぼれ出しついに紫音は声を上げて泣いた。紫音と陽紅と流黒以外誰もいないこの日本の地に紫音の叫ぶような泣き声は大きく木霊していつまでも響き渡っていた。

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