第56話 自己

 アメリカの城の中、リリアの部屋へ向け足早に進むフレデリックの姿があった。フレデリックの表情は硬くその眼差しは凍り付き青い怒りの炎が見て取れた。表情が凍り付いていればいるほどフレデリックの怒りの深さは計り知れぬもののように見えた。リリアの部屋のドアを両手で思い切り開け放つと部屋の隅にリリアがおびえきった様子で膝を抱えて座り込んでいた。フレデリックはリリアを見咎めると両眉を吊り上げてドアを後ろ手に閉めリリアの方へゆっくりと近づいて行った。リリアはフレデリックを見ることが出来ないようで崩れ落ちるように床に両手をつきフレデリックに許しを買った。

「フレデリックさま。お許し下さい・・・私は・・・」

フレデリックはリリアの前に片膝をついて座ると左手でリリアのあごを持ち上げて自分の顔に対峙させた。リリアは頬を涙で濡らしフレデリックの目を見ること無く視線を下に落としたまま下唇を噛み苦渋の表情を浮かべていた。フレデリックはその冷たい眼差しでしばらくリリアを見詰めていたが大きく右手を上げるといきなりその手でリリアの頬を平手打ちした。リリアはその勢いでよろめき倒れた。倒れたリリアをフレデリックが左手で掴み起こし再び反対の頬にフレデリックの右手をたたきつけた。一つリリアを打つごとにフレデリックの気持ちは少しだけ晴れた。またもう一つ打つとさらに気持ちが晴れた。その快感がリリアを打ち据えるフレデリックを加速させていった。フレデリックは自分で自分が制御出来無くなっていた。右から左からまた右から何度もリリアを打ち続けた。打ち付ければ付けるほどフレデリックの怒りは激しく燃え上がった。紫音が切りつけたフレデリックの右腕の傷跡に巻いている包帯から血が滲み始めていた。リリアを打ちつけながらフレデリックは心の中で叫んでいた。

(あの時のために・・・あの瞬間のためだけに私はこれまで数々の労を制してきたのだ。人の機嫌を伺い、したくも無い努力を重ね、実の父までも忌み殺し、嘘の上に嘘を塗り固め、邪魔するものは狂気の果てへと追いやった。お前もお前こそがその私の心を私の真髄を共に分かち合ってくれている唯一無二の存在だと信じていたのに。何故!何ゆえあの土壇場で私の命にそむき私を裏切るような真似をしたのだ!リリア!リリア!お前を救いお前に名を与えた私を愛してくれていたのではなかったのか!)

打ち据えられリリアの頬は赤く腫れ、唇の端が切れ血が流れ出す。そんな中でもリリアは声一つ上げること無く苦痛に顔をしかめながら、なすがままにされていた。リリアにはフレデリックの気持ちが読み取れ感じ取れていた。しかしそれに対し言い返す術をリリアは持っていなかった。リリアはただただ申し訳ないと誤りつづけた。

(ごめんな・・さい・・許してください・・フレデリックさま・・許して・・・)

フレデリックは急に叩く手を止めリリアを抱きしめた。人形のようにぐったりと力尽きているリリアは顎をフレデリックの肩に載せ両腕はだらりとぶら下がっている。そのリリアをきつく抱きしめながらフレデリックはリリアを打ち据えたことへの急激な後悔と暴力で快感を得た自分への嫌悪感に駆られていた。フレデリックは嗚咽のような声を漏らしながらリリアを抱きしめたままつぶやいた。

(こんなことを・・するつもりではなかった。お前を痛めつけるつもりではなかった・・リリア。)

口の中を切っているリリアは抱きしめられてフレデリックの肩越しにぐっと血を吐き出した。フレデリックの背中がリリアの血で赤く染まっていく。フレデリックの右腕もまた傷口が開いたようで包帯が真っ赤に染まっていた。リリアは心で念じていた。

(フレデリック様。あなた様を愛しています。こころから・・お慕い申しあげております。どうかどうか・・お許しを・・・)

自分の本当の根源を持たぬリリア。本当の自己のルーツである赤羽を閉じ込めてしまっているリリアにとって今のフレデリックは自分を作り出した創造主とでも言うべき存在のように感じていた。そのフレデリックに言い返すという行為はリリアにとって想像を絶するものであった。またそのフレデリックの心を捉えているシオンという存在を目の当たりにして一時的とは言え嫉妬心に駆られフレデリックの命令に背いたということは誰にどう罰せられようが仕方が無いことだと理解していたのだった。それほどまでにフレデリックを崇高化することでその高貴なる人物に仕えている今の自分の存在価値も認めることが出来たし同時に忘れ去っている赤羽の部分にもさらに目を瞑ることができたのだった。思い出したくない辛い想いが大きければ大きいほどこの理不尽なスパイラルもまた大きく膨らみ回り続けるのだった。「悲しみと後悔と不安と苛立ちを乗せたメリーゴーランドがピエロとサタンの導きの元でくるくると何時までも回り続ける。」いつか読んだ絵本の一説がフレデリックの脳裏に浮かんでいた。窓越しに照らし出す月明かりの元、抱きあうフレデリックとリリア。フレデリックが月明かりの方へ顔を上げた。窓枠が月明かりで黒く浮き出たように見えていたその窓枠がフレデリックには十字架のように見えていた。「神は私をお許しにはならないだろう。」フレデリックは一人つぶやくと目を伏せた。フレデリックの青白い顔に窓枠の十字がくっきりと影を落としていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る