第52話 許容

思わぬ大雪で時間をとられて自由人は丸二日かかって紫音たちがいると思われる付近まで、どうにかたどり着くことが出来た。時間がかかったことは自由人にとってありがたいことだった。おかげで自由人も自分のこれまで抑えていた感情と正直に向き合うことが出来たし、またこれからの自分の行動も整理して決めることが出来たのだった。自由人は紫音たちを見つけたらフレデリックやアメリカ側に連絡する前に逃がし、逃げた後フレデリックへ連絡しようと決めたのだった。紫音や黒鷹たちがいまさら自分が言うことを信じてくれるかどうか疑わしかったが今の自分が出来ることといえばこれくらいしかないと思い決めたのだった。


開け切らぬ朝靄の中、村の端で住民から話をして聞きだし紫音たちのいる家はすぐに見つけることが出来た。道に車を止めまだ暗い林の中に入って双眼鏡でその方向を覗いてみると家の中と外に翁と白虎の姿を見止めた。しかし自由人は自分の話を四人にどう切り出そうかということまではまったく考えていなかった。紫音たちの家からこちら側は見えないだろうがこんな田舎の村に黒塗りの四輪駆動の車が止まっていたというだけでここでは噂になるだろうと思われる程寂れた村だったので自由人はとりあえず車を隠そうと林から抜け出そうと振り返った。その目の前には黒鷹が剣を構えて対峙していた。

「青磁!・・・いや黒鷹?」

自由人が言い終わらないうちに黒鷹は鋭い眼差しで自由人を見詰めて言った。

「久しぶりだな。自由人。」

言いながら黒鷹が自由人に飛び掛り剣を振り下ろした。必死でよける自由人に雨のように何度も黒鷹の剣が打ち下ろされる。右から!左から!上から!たまらず自由人は大声で叫んだ。

「お前達を助けに来たんだ!うそじゃない!証拠に俺一人きりだ!まだ誰もここを知らない!」

黒鷹は一瞬手をとめて自由人を見詰めると口元だけでにやりと笑った。その漆黒の眼差しは決して相手を見逃さない鋭い光で輝いていた。

「そこまで地に落ちたか。自由人。哀れな・・」

そう言うと黒鷹の剣が真っ直ぐに自由人めがけて振り下ろされた。自由人は後ろに転び目をつぶって心の中で(赤羽・・・)とつぶやいた。その時黒鷹の後ろから紫音が大きく叫んだ。

「やめて!クロ!」

黒鷹の剣が止まった。自由人が恐る恐る目を開くと目の前には触れるか触れないかの位置で黒鷹の剣が止まっていた。ほっと息をする自由人にそのままの姿勢で黒鷹が叫んだ。

「動くな!」

紫音の方を見ずに自由人から視線を外さず黒鷹が紫音に言った。

「何故だ?こいつは緑尽様を・・・」

紫音は黒鷹に近寄り剣を握り締めている手にそっと触れて下ろすように促した。黒鷹はふっと小さくため息をついてあきらめたように剣を収めた。自由人はもう一度大きく息を吐くとその場に仰向けに寝転んだ。紫音が言った。

「自由人は嘘をついていないって解るの・・・そうでしょ?」

自由人に近づこうとする紫音を黒鷹が左手で制して止めた。自由人は仰向けに大の字寝転んだまま言った。

「本当に助けようと思ってきたんだ。最初はそうじゃなかったが。」

紫音を後ろ手にかばいながら自由人をきつい眼差しで見詰めて立ち尽くす黒鷹の足元に大の字に寝転ぶ大きな自由人。冬の木漏れ日が林の中三人に降り注ぎ始めていた。



 全ての武器を黒鷹に取り上げられ後ろ手に縛られて自由人は林の中に座らされていた。白虎と翁も加わり四人は立って自由人を囲み見下ろしていた。ここに来たわけを自由人は大まかに説明した。四人はそれぞれが考えをめぐらせているようだった。翁が口火を切った。

「自由人よ。ここにお前が来た訳は解ったがその前に話さねばならぬことがあるじゃろう。我々は緑尽様がお前に殺されたことは知っておる。青磁は?赤羽はどうしたのじゃ?」

自由人はピクリと身を震わせると下を向いて答えた。

「青磁・・・は青磁を・・殺した。俺が・・殺した。」

黒鷹がいきなり自由人にとびかかると素手で自由人を殴りつけた。何度も何度も。見る見るうちに自由人の口の端が切れ鼻から血が噴出した。翁と白虎があわてて黒鷹を止めに入った。二人に制され黒鷹は息を切らしながら憎しみに満ち溢れた目で自由人を見下ろしていた。紫音が黒鷹のそばにより抱きしめると黒鷹は力なく抵抗を止め、紫音を抱きしめた。亡くなっているだろうと解ってはいたが黒鷹の中には「もしかしたら・・・」という一縷の望みがあったことも事実だった。その大切な望みがかけらも無く粉々に砕け散ったのだった。白虎が自由人を抱き起こして座らせて流れる血を自分のハンカチで拭いてやった。痛そうに顔をしかめた自由人だったが白虎の方を向いて低い声で話はじめた。

「赤羽は生きているよ。」

驚き喜びで大きく眼を見開く白虎だったが自由人の話が進むにつれてその顔はだんだんと悲しみで曇っていった。記憶を失いアメリカの城でリリアとして生活している実姉。しかもそのお腹には大統領となったフレデリックの子供を身ごもり自らもフレデリックを愛していると信じて生き続けている。死よりもなお残酷な運命に白虎は言葉無くうなだれるしか術は無かった。黒鷹が自由人を指差し叫ぶ。

「お前のせいだ!何もかもお前がヤマトの民を裏切りアメリカに付きさえしなければ青兄は!緑尽様は死なずにすんだ!赤姉はあいつの子供など身ごもりはしなかった!ヤマトは今も・・あのままで・・・皆・・・」

震える黒鷹を後ろから紫音が抱きしめた。黒鷹の怒りに燃えた漆黒の瞳は自由人を捕らえたまま離さなかった。

「こんなやついうことなど何故信じる?シオ!」

黒鷹は振り返り紫音の両肩を掴んで揺さぶった。紫音はゆすぶられながら悲しそうに下を向いた。翁が黒鷹の肩を掴んで紫音から引き離した。

「落ち着くのじゃ!黒鷹!」

黒鷹は行き場の無い怒りに肩を震わせ自由人に背を向け振るえる拳を握り締め仁王立ちになっていた。そんな黒鷹を紫音が見つめていた。やがて紫音はゆっくりと自由人の方へ視線を送り近づくと膝まづいて自由人の後ろ手に縛られた縄を解き始めた。横で白虎が驚いて紫音を止めようとしたが紫音はその白虎の目を見て首を横に振った。自由人の縄を解くと自由人は手首をさすりながら紫音の方へ向き直った。

「いいのか?俺なんかを信用して・・」

力なく自由人が問いかけたが紫音はそれに答えるでも無く両膝をついたまま両手を祈るように胸の前で合わせて天を仰ぎ語り始めた。

「怒りは憎しみを生み憎しみはまた破壊の暴力を生む。後には無数の屍が横たわり世界は火であぶられ慟哭のみが響き渡る。二度と日の光を見ることの無い暗黒の世界がこの世を覆う。」

紫音はゆっくりと目を開くと黒鷹が紫音の方へ振り返っていた。紫音は黒鷹に微笑んだ。その微笑みはいつか黒鷹が翁の寺子屋で見たカンノンの像とよく似ている気がした。紫音は自由人の方へ視線を移すと言った。

「あなたはすでに慟哭の苦しみを味わってここに来られたのでしょう?あなたの心にぱっくりと空いた傷口から今も流れ出す血が見えます。大切なもの二度と帰っては来ないものをその目で見たからこそここへ来て全てを私達に話し、それでも次の一歩を踏み出そうとしてくれているのでしょう?」

紫音の言葉に自由人は崩れ落ちた。背中を丸くして地面に額をつけ頭を抱え込んで嗚咽し始めた。その姿を黒鷹が驚きの表情で見つめ、翁は哀れみの表情を浮かべ、白虎は眉間に皺を寄せて悲しそうな表情を浮かべて見詰めていた。紫音は続ける。

「これは私ではなくこのお腹の子達が見てくれました。この子達が見えると私に見てみろとあなたの心を見せてくれたのです。以前の私では到底あなたの心の底までは解りませんでした。私からもあなたに伝えたいことがあります。緑尽。私の兄は・・・死ぬ前に私に言いました。“赤羽を愛していた”と“守られるよりも守りたかった”とそして“最後にそれが叶った。”と“その気持ちを一番理解できるのはあなたかも知れない“と・・・」

自由人は声にならない動物の叫びのような声を低く漏らしていた。紫音が自由人の背中に右手をそっと置いて言った。自由人の背中がピクリと小さく反応した。

「だから、私は・・・あなたを信じます。」

自由人はそのままの姿勢で泣き続けているようだった。黒鷹は紫音を見詰め紫音は自由人を見下ろしている。翁と白虎も自由人の姿を見下ろしていた。高く上った朝の光が五人を中世のフレスコ画のようにまぶしく光輝かせていた。

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