第29話 誤算

ミコ緑尽とアメリカの自由人部隊の対戦、これを軍部の隠語で“砂漠の襲撃“と名づけられた。この戦いの現地へ同行したフレデリックはそこで負傷して手当てを受けている自由人に初めて会った。

(大きな男だ・・・)

単にそれだけがフレデリックが最初に自由人に対して抱いた印象だった。あれから数日が経っていた。本拠地アメリカの居城に戻ったフレデリックはその時の光景を思い出し身震した。フレデリックとサイモンが到着した時には大半は片付けられたといっても足元にはまだ無数の死体が転がっていた。遠方にはがれきの山のように見えたものが近づくと人の死体の山であったのもフレデリックにとっては衝撃だった。どの死体もどろだらけで眼を見開き何か言いたそうに口をあけている。歴史書で読んだ「アウシュビッツ」という項目のページがフレデリックの脳裏に浮かんでは消えた。


サイモンはそんな光景は見慣れているのか顔色一つ変えずに部下からの報告を受けている。周りは死体を片付ける者、ビデオや写真に現場を収める者、戦闘現場に残された痕跡を採取している者、それぞれが無表情に自分の役割を淡々とこなしていた。南の地の暑い太陽に照らされていた死体からは早くも異臭が漂いフレデリックは思わず口元にハンカチを充てた。そんなフレデリックの青ざめた表情を横目で見たサイモンは重症を負っている自由人と一緒に専用機で一足先に戻ってくれるようフレデリックに頼んだのだった。それはまるで自由人と赤羽を早く引き離そうとしているかのようにフレデリックには見えた。

(ここはサイモンに従うのが得策だろう。ここにいても自分の仕事は何一つ無い・・)

そう踏んだフレデリックは自由人と共に専用機でトンボ帰りすることとなったのである。


フレデリックはその時の自由人の様子を思い出していた。機内での自由人は口元に呼吸器を宛がわれ起き上がることも出来ない状態だった。戦闘中に流れ弾が脇腹にかすめたと言うことだったが救護チームが到着するまでにかなりの出血があったということだった。たぶん朦朧とする意識の中でも目前の人間がフレデリック皇太子だと言うことは理解できたのだろう。静止する救護メンバーの手を振り解き自分のマスクを取り去るとフレデリックに向け必死で何か言っている。フレデリックが歩み寄りその口元に耳を近づけると自由人はすこし安心した表情を浮かべながら言った。

「お初にお目にかかります。少尉の自由人です。・・・このたびは・・・捕獲に失敗し・・・大変申し訳ありませんでした。」

この大きな男は途切れそうな意識の中、自分がサイモン側の上層部の人間だということを認識しその配下にいることをしっかりと態度で示そうとしているのだということにフレデリックは驚きを隠せなかった。

(自分とよく似ている。)

一瞬フレデリックは思った。

(周りを全て敵だと思っている人間のとる態度だ。いついかなる時も自分の取った行動や態度を採点の評価とされる。そう認識している者のさびしい態度だ。)

フレデリックは自由人の手の上に自分の手をやさしく添えて小声で自由人に言った。

「サイモンからあなたの話は聞いています。今はしゃべらずにしっかり養生なさい。」

寝かしつけようとするフレデリックに自由人はすかさずしゃべり続ける。

「あの女は・・・どうなるのでしょう?意識が戻らず・・・」

フレデリックは赤羽という女性を追い求める自由人の姿にシオンを追い求める自分自身を照らし合わせていた。同情と呼べるのかも疑問を持つ程度の小さな感傷というべき気持ちがフレデリックの胸の内に刻まれた。しかしフレデリックはその気持ちをすぐさま打ち消しいつもの天使のようなマスコミ用に鍛錬した慈悲深い笑みを浮かべて自由人に言った。

「しばらくは様子を見ることになるでしょう。」

そして自由人の耳元に近づき小声でささやいた。

「私が出来ることであれば言いなさい。出来る限りのことはサイモン元師に促しましょう。」


 その言葉を聞いた自由人はふっと息を漏らして安心したように眠りについた。フレデリックはこの自由人という男の人柄を図りかねていたがどうやらサイモンの重要な駒のひとつであることを認識しサイモンに逆らわぬ程度に自分側につけておくことも必要だと踏んでいた。そう考えながら同時に自分自身も自由人と同様周りを一切信用していないさびしい人間なのだと言うことを自嘲していた。


アメリカに到着し、機をおりると自由人はそのまま集中治療室へ入ってしまった。赤羽は別の隔離された研究室で昏睡状態を続けていると言う。


「あれからまる六日たっているが」

フレデリックは一人部屋の中で一向に目覚めることのない赤羽と集中治療室で安静にしていると言う自由人の行く末に思いをはせていた。その時フレデリックの携帯が鳴った。それはサイモンからの呼び出しだった。


サイモンに呼び出され地下の研究室へと足を運んだフレデリックの目に最初に飛び込んできたのははじめてみるサイモンの困った表情だった。サイモンはフレデリックが部屋に入るやいなや両手のひらを上に向け、大げさに両脇に広げ、顔を右に傾けて(困った!)という態度を示した。その似合わぬ様子にフレデリックは思わず噴出しそうになるのをやっとのことでこらえ心配そうな表情を苦労して作り出してサイモンに問いかけた。

「いかがされました?」

よくぞ聞いてくれたとばかりにサイモンはフレデリックに足早に近づくとその左の肩を後ろから抱きかかえるようにしていつもの研究室へ案内しながら語った。

「太子あの女が二日前に目覚めましてな・・・」

フレデリックはちょっと驚いたが尋常でないサイモンの表情に言葉を抑えた。いつもなら自分の一挙一動を見逃さぬように見つめながら話をするサイモンが今日は足早に歩きながらどうしようかというあせりさえも浮かべフレデリックの驚きなど眼中にないといった風情なのだ。そのサイモンの様子にフレデリックは何が飛び出してくるのかすこしわくわくしながら話の続きを待っていた。

「ああっそれがですな・・・まあ見ていただくのが一番手っ取り早い方法でしょう。」

サイモンの言葉は速さを増しそれと同時にサイモンの歩幅も速度を増していた。ほどなく二人は赤羽のいると思われる一室に到着した。その部屋の隣のドアに入るとガラス一枚で仕切られている赤羽の病室のような白い部屋が見渡せるようになっていた。中にいた研究者の一人が驚いたフレデリックに気がつき小声で告げた。

「向こうからはこちらは見えませんのでご安心を・・・」

サイモンがガラスの向こうにいる赤羽を指差しフレデリックに見てみろと言っている。フレデリックは隣の部屋の赤羽へ視線を送った。そこには白っぽいグレーの髪を連獅子のようにボサボサにたて、真っ赤な瞳は宙を移ろい口からはよだれをたらしながら何かぶつぶつつぶやいている若い女の姿があった。病院の白い一枚の寝巻きは少し大きいようでずり落ちて片方の肩が見えている。床にペッタリと座り込んで上を向いて何かを指差しぶつぶつ文句を言っているかと思えば急に立ち上がり壁をドンドンと両手の拳で打ち付ける。それに飽きると部屋の隅にあるベッドへ獣のようにはいあがり「おおーっ!あうううっー!ぐぐっ!」と雄たけびのような、のどを鳴らすような声とも叫びとも付かない音を出している。顔立ちが美しいだけに一層悲惨なものを感じるフレデリックだった。繰り返される奇行に言葉を失っているフレデリックに赤羽の側に背を向けて見ないようにしながら足を組んでいつの間にか葉巻を吹かしているサイモンが言った。

「目が覚めてからまる二日この調子でしてね。先生。太子に説明をしてくださいよ。」

サイモンに頼まれた者は先ほどフレデリックにガラス越しのこちら側は見えないと説明をした温和な顔をした医師だった。


こういった研究所では珍しく人間味あふれる眼差しをしたその医師はフレデリックに赤羽の病状を説明した。典型的なショックによる自己崩壊で今後の展開は予測は出来ない。しかしだんだんと今より状態は落ち着いてくるだろうから日常生活はこなせるようになるだろう。そうなった時は病院のこういった人工的な設備の中よりも出来れば自然環境のある人の家の中で生活をし、あせらずにじっくりと思い出していくことが好ましい。

大筋はそういうことだった。医師は眼鏡越しの温和な瞳でやさしくフレデリックを見つめ最後に付け加えた。

「だれだって思い出したくないことのひとつや二つはあるでしょう。人間とはよく出来た生き物です。ショックなことを一度に受け止めてしまえば自分は耐え切れずに死んでしまうと思った時、死なないための防御策として忘れるという行為をとるのです。私も忘れっぽい方ですがね。彼女の場合は何か彼女にとって大きすぎるショックが忘れることと自我の一時的崩壊をも招いたのでしょう。しかし昨日よりは今日の方が落ち着いていますし、この状態はだんだんと快方へ向かうでしょう。」


 ガラス越しに今はおとなしくベッドの隅で膝を丸めてあてがわれた人形を相手に遊んでいる赤羽にフレデリックは再び視線を移した。医師もその赤羽の姿を見てふっと微笑んでフレデリックに言った。

「あのお人形は太子すみませんね。フレデリック皇太子人形ですよ。太子がお生まれになった時とこの間お誕生日の時に発売された人形です。私の娘にも買ってやりましたがね。女の子はああいった美しい王子様人形が大好きだということを思い出しまして家から持ってきてみたんですよ。そうしたら案の定気にいったらしくあの人形と遊んでいるときには比較的ああして落ち着いていますよ。」

フレデリックは医師に向かって微笑みかけて言った。

「お役に立てて光栄です。」

医師は赤羽の方を向いたまま哀れみを浮かべた表情でつぶやくようにフレデリックに言った。

「彼女が離そうとしないのはあの人形と指にはめている緑色の指輪だけですよ。」


話の間中サイモンは苦虫を噛み潰したような顔で葉巻を吹かし続けていたが突如立ち上がると医師たちに少しの間出て行くように促した。医師たちがいなくなるとサイモンは早口でフレデリックに語り始めた。

「ですから!まだジュードは無理やり治療室から出ないようにしてありますがこの女のこんな状態を見ればあいつも・・・少尉もショックでしょう。まったく計算外もはなはだしい!」

どうやらサイモンは自由人のエサと思っていた赤羽が壊れてしまったために自由人が今後の仕事をしなくなるのではないかということを恐れているらしかった。フレデリックはこの状態について努めて冷静に思索をめぐらした。自分にとっても自由人は欲しい駒のひとつだった。どういう展開が訪れたとしてもサイモンの側ではなく自分の方に有利に動いて欲しい役立つ鍵になる人物だということは解っていた。しかし先ほどの医師も言っていたようにいつ元に戻るかわからないこの女性のこういった状態をそう長い間隠しおおせるものでもないだろう。フレデリックはサイモンの心配も当然のことと理解した。しばらく思案していたフレデリックだったがおもむろに顔を上げるとサイモンに向けて口を開いた。

「彼女のこの状態はジュード少尉にお見せになった方がよろしいでしょう。」

驚きで眉がひきつっているサイモンの表情を見て心の底で喜びを感じながらフレデリックは続けた。

「もう少し落ち着いたら彼女は私が城へ引き取りましょう。側女の一人でもなんでも世間に対しての公の名称はお好きなように。専門の医師も付けましょう。ジュード少尉もご自身がヤマトからの亡命者です。その当人がこのヤマトの生き残りと一緒に、ここアメリカで暮らし、軍部の仕事を続けられるとは思ってもいないでしょう。ましてやこのような状態では一緒にアメリカから逃げ出すことも不可能ということになる。私が城で彼女の面倒を見るということは、彼女は殺されずに無事には暮らしていけるということを保障します。賢い少尉もその条件ならば安心して彼女の回復を待つため次の仕事にとりかかってくれるのでは?」

フレデリックはサイモンに対し機転を利かせすぎたかとやや心配になったがそんなことよりも問題が一気に解決した喜びにサイモンの顔は上気していた。

「太子!なんと素晴らしい!さすがでございますなあ!ああそういたしましょう。出来ればジュード少尉がこの女と面会する際には・・・」

と言葉に詰まったサイモンの助けを求める眼差しに気が付かない振りをしながらフレデリックは言った。

「もちろん私が同行しましょう。私からこの話は申し出た方がジュード少尉も納得されやすいでしょう。いかがですか?」

サイモンはこの上ない笑みを浮かべフレデリックの右手を両手で掴み大きく握手を交わすとフレデリックを軽く抱きしめた。

「いやはや素晴らしい!さすがわが国の太子であらせられる!」

とフレデリックの耳元で聞こえるサイモンの賞賛の言葉をフレデリックは冷ややかに聞いていた。いつかは気分の悪かったこの部屋の保たれた室温と排気音も今のフレデリックにはまったく気にならないものになっていた。

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