その男、元帥



 真琴たちがふくしま宇宙港に向かって飛び立つ、その前日……。




「さぁ……青木長官、遠慮なく召し上がりなさい」

「は……はっ」



 間接照明が淡く照らす大ホールの中、礼服姿の青木はテーブル上のナイフとフォークを手に取ると、目の前の料理にナイフを入れた。


 デミグラスソースで数時間煮込まれた牛フィレ肉は、青木のナイフを何の抵抗も無く受け入れ、ほろりと切り崩れた。



「如何かな?」

「す、素晴らしい……。こ、このような美味しい料理を……私は味わったことがありません……!」

「ふ……そうですか。それは良かった」



 牛フィレ肉は、青木の舌の上で直ぐさま脂と溶けて、甘美な旨味となって喉を滑り落ちていく。


 ……の筈なのだが。



「…………」



 極度の緊張感に苛まれている今の青木には、料理を味わう暇など無かった。味覚が完全に麻痺して、高級牛肉の旨味など、そこらの水道水とほぼ等しかったのだ。


 何故ならば……



「まさか……貴方様と食事を御一緒出来る日が来るとは……!……!」



 青木は畏怖の眼差しで、絹のクロスが敷かれた長テーブルの彼方を見遣る。


 顔を、傷だらけの軍帽と頭巾で覆った男が、居た。


 名は知らない。素顔も。防衛軍上層部の誰も知らない。



 ただ、階級を示す< 元帥 >。



 日本政府は勿論、宮内庁とも深い繋がりを持ち、噂では太平洋戦争末期、帝都東京を目標とした第三の原爆投下を阻止した男……とも言われている。


 男の胸を飾る勲章の数々が、その黄金の輝きこそが男の……防衛軍最高位の権威を物語り、青木の緊張を最高潮まで高めていた。



「み、身に余る。光栄でございます……!」



 改めて立ち上がり、深々と頭を下げる青木に、元帥は微かに肩を震わせ、くつくつと笑う。



「腰を下ろしたまえ青木長官。今宵の食事会は君を労うに開いたものだ。謂わば、私ではなく君こそが主役……」

「私が……主役……?」



 青木は椅子に腰を下ろしながら、元帥の言葉を噛み締める。



「K.M.Xの開発及び運用だけでなく、イナワシロ特防隊の悪事を暴いたその手腕……賞賛に値する」



 パチリ。元帥が指を鳴らした。


 すると、青木の背後から給仕を勤める壮年の男が歩み寄り、青木に会釈をすると、グラスにワインを注いだ。



「長官の為に取り寄せた、1971年製造のロマネ・コンティだ」

「ぶ、葡萄の当たり年である……!じ、時価数百万は下らないとされる……あの……!?」

「まさに究極の勝利の美酒。君に相応しい……」

「究極の……勝利の美酒……!」



 青木は、震える手でグラスを持ち、ワインに口を付けようとして――



「しかしながら……青木長官……」



 急に、元帥の声色が冷たく、重く変わったように感じて、青木はグラスを持ったまま硬直した。



「青木長官、私は元来の小心者でね。後顧の憂は断っておかないと……安心出来ない性格タチなのだよ」

「……と、申されますと……?」

「イナワシロ特防隊のことだよ。未だ責任者を逮捕出来ず……話では残党が【 リガ・イナワシロ 】などと名乗って駐留部隊に対して妨害活動をしているそうじゃないか……?」

「それは……!」



 青木は動転して、応えることが出来ない。


 対して元帥は、頭巾で隠した顔の前で手を組んで、青木の……その裏側までをも値踏みするように、言って足した。



「また軍上層部内ではこんな噂もある。『エクスレイガの防衛軍襲撃は青木長官自らが仕組んだものである』……と」



 一瞬で、青木の背中は冷や汗でずぶ濡れとなった。



「無論、そんな馬鹿げた話を私は信じない。恐らく青木長官……君の功績を妬んだ者たちが口走ったデマだろう」

「そ、その通りで……」

「そんな者たちを黙らせる為にも、青木長官には更なる活躍を期待したい。イナワシロ特防隊を根絶し、ルーリアとの戦争に於ける、防衛軍の戦闘主導を確率するのだ」



 すると、元帥は組んでいた手をほどき、自らもまたグラスを持つと、青木に向かって掲げて見せた。



「……私は近いうちに今の地位から退くつもりだ」

「閣下……?」

「もし……青木長官、もし君が……私の期待に応えた働きを見せることが出来たのなら……」



 元帥は、すぅ……と一息吐いて――



「君を私の後継者として……次期元帥として、推薦させて貰おう」



 瞬間、青木の中で何かが弾けて飛んだ。


 元帥。この私が……元帥!



「……お任せ下さい閣下!この青木 勇之進!閣下の御期待に!全身全霊を以て応える所存です!」



 今まで抱いていた緊張が形容しがたい高揚へと変わり、青木は勢いのままにグラスの中のロマネ・コンティを一気に煽った。


 果実由来の爽やかな酸味が舌を突き抜け、続くアダルティな樽香が包み込んだ


 アルコールが脳髄を侵し、青木を天空へと導いてくれるようだった。



 ――そう!私こそが最高の権力を!誰もがひれ伏す英雄となるのだ!!





 ※※※※





 廊下を一人、男は歩く。


 革靴の足音が、壁に当たって空しく響く。



「随分とまぁ、中々の役者だったじゃないか」



 ふと、女の声がした。男は振り向く。



「……見ていたのですか。相も変わらず人が悪い」



 左目に眼帯を付けた、初老の女が立っていた。



「今からでも遅くないぞ?役者にでもなったらどうだ?元帥?」

「……それは魅力的な転職先ですね。……といいますか、貴女まだいたのですか?尾野中総理?」



 肩をすくませる元帥に、尾野中 千尋は心底愉快げに唇を歪めて見せた。



「明日会津若松に発つさ。彼処には良い蕎麦処が多い。今から楽しみだ」

「イナワシロ特防隊、ものの見事に見捨てましたね貴女。少しは擁護すると思ったのですが……」

「あの局面で擁護しても奴らにも国民にも何のプラスにもならんだろう。それに私は最初からそういう見捨てる前提契約で協力していると、貴様にも伝えておいた筈だが?」



 笑みを止めない千尋に、元帥は「そうでしたね……」と溜め息を吐いた。



「まぁそう失望するな。半分は冗談だ。アフターケアはきちんとやるさ。その為に会津へ行くのだからな?」

「頼みましたよ?私は一兵士として前線で戦わなくてはなりません。会津で貴女とコンタクトを取る暇は無いでしょう……」



 そして、元帥はゆっくりと、顔を覆っていた頭巾を外す。


 千尋の笑みが更に深く、獰猛に歪んだ。



「あの青木が哀れに思えてくるな。貴様のようなバケモノに踊らされて、彼奴は戦う以外の選択肢を失った」

「必要な、犠牲イケニエですよ。彼は……」






 ※※※※




 土曜日、ふくしま宇宙港。



「一刻も早く!樋田特尉を見つけ出しなさい!K.M.Xをあと三小隊増やすのです!」



 青木の檄命に、兵士たちは忙しなく動く。


 滑走路の兵員輸送ヘリが飛び立ち、続いて格納庫前に並んだ鋼の巨人……K.M.X十五騎が、ルリアリウムの光を放って空へと舞い上がった。



【俺は見ているぞ】



 かつて、リガ・イナワシロの襲撃を受けた兵士からの伝言を思い出した青木は、怒りに拳を強く握り締めた。



 ――樋田 凱!金さえ払えば都合の良い駒と思っていたが、何の心変わりか裏切るとは!



 苛立たしげに、青木の歩は荒くなる。



「ところで、大竹特佐はどうしていますか?」



 青木の質問に、青木の背後に付いていた部下が応じた。



「御家族との休暇を楽しんでおられる様子です。ホテル内には監視カメラを設置し、外出の際には兵士数人に見張らせていますが、目立った行動は見受けられません」



 部下の応答に、青木は納得の首肯を繰り返した。


 大竹猟犬に首輪は付けた。愛する妻子を犠牲にしてまで、赤の他人の椎名 時緒子どもを助けようとは思わないだろう。


 後は樋田だ。青木の秘密を知る樋田を捕縛し、記憶を消すなり薬漬けにするなりして内々に『処理』すれば……。



 ――私の栄光は、磐石のものとなる!



 このまま元帥の期待に応え続ければ、青木自身が軍の最高権力者となる日も、そう遠くはない。


 青木は、昨夜のロマネ・コンティの味を思い出し、恍惚の表情を浮かべた。



 ――再び私に……勝利の美酒を!!







 続く



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る