賛同者



 壁に掛けられた時計は、午後六時丁度を指していた。



 つい数週間前まで、この時間でも子どもが遊べるほど明るかったのに……。


 大竹が今いる医務室前の廊下……窓から見える外は、とっぷり暗くなっていた。


 シャトルを打ち上げるマスドライバーの誘導灯の連なりだけが、闇に妖しく輝いている。



【秋の日は釣瓶落とし】と言う。秋は陽が短く、まるで井戸の釣瓶のように早く落ちる……という意味の諺だ。


 齢三十八の大竹にとって、秋どころか一年そのものが早く過ぎていく……ように感じる。



『釣瓶って何よそもそも?麦茶の人?』とは、現代っ子である大竹の愛娘、優花の小学生の頃の弁である。



 そんな無邪気な優花も……可愛い愛娘も、今はもう立派な高校二年生。


 つい最近まで、やっと捕まり立ちが出来たと思っていたのに……。


 あっという間に成長して、ゆくゆくは……



『ほ~らパパ!パパの孫ちゃんでちゅよ~~!パパはおじいちゃんになるんでちゅよ~~!』

「ぐはぁぁぁぁぁぁぁッ!?」



 赤子を抱いた優花の姿を妄想してしまい、大竹はその場に崩れ落ちた。


 世の中の、娘を持つ父親ならば、誰もが経験する(だろう)……。


 母親になった……何処かの男の妻になった愛娘というのは、精神ダメージが大き過ぎた。


 しかし、孫の顔は見てみたいという、絶対的な二律背反も付いて来た。



「せめて、孫の顔は優花似であってくれ……っ!」



 大竹は壁に何度も何度も頭を打ち付けた。


 しかし……。


 秋特有の感傷的センチメンタルな雰囲気がそうさせるのか……、ここ最近の精神的重圧プレッシャーがそうさせたのか……。



『ドーモお義父さん、俺様優花っぴの夫の正文だよ。ウェイウェ~~イ』

「誰だ貴様ァァァァァァ!?」



 大竹の暴走した想像力は、あろうことか優花の夫までをも構築した。


 軽薄そうな男だ。何故か分からないが無駄に美男子イケメンで、大竹は殺意の瞬間湯沸かし機と化した。



『お義父さんよろしく哀愁は郷ひろみ。俺様の乳首の色知りたくない?』

「知りたくない!タメ口で喋るな!死ねっ!K.M.Xで踏み潰してやる!」



 堪らず大竹は再び壁に頭を打ち付けた。強く!激しく!


 たまたま通りすがりの広報担当の女性軍人が、戦々恐々の面持ちで大竹を眺めつつ、逃げるように走り過ぎていった。



『あひぃぃぃぃ!高速騎動訓練怖いぃぃぃぃ!!』



 大竹は懸命に脳内にてバスター5――悲鳴をあげる熊谷 克己を思い浮かべた。



『ひぃぃぃぃっ!無理無理無理ぃぃぃぃっ!』


『うひぃぃぃぃ!気持ち悪いぃぃぃぃ!!』



 熊谷の、あの特徴的な汚い裏声が脳内に充満し、大竹を正気に戻していく……。


 数分経ったか……。大竹の脳内は、熊谷でいっぱいだ。


 頭のそこかしこから、熊谷の悲鳴が響き渡っている。



「ハァ……ハァ……ありがとう熊谷……。まさかお前に救われるとは……!」



 大竹は安堵する。やっと落ち着いた。熊谷には今度焼き肉を奢ってやろう。猪苗代町に【たぶち】とか言う美味い焼肉屋があるらしい。


 大竹が頭を打ち付け続けていた壁にはヒビが入っていた……。



「大竹隊長?」



 声が聞こえたので、大竹は振り返る。


 渡辺が、何時もの微笑を浮かべ、医務室の扉の前に立っていた。



「時緒君が目を覚ましました」

「そうか、少し会話がしたい」

「それは結構ですが……大丈夫ですか?」

「む?大丈夫とは何がだ?」



 首を傾げる大竹に、渡辺は微笑を苦笑に変えて、己の額を指差した……。



「隊長、おでこが血塗れです」




 ※※※※




「失礼します」



 リノリウムの床に眉間から流れる血痕を落としながら、大竹は医務室に入室する。



「骨に異常は無いし、顔の傷には再生用ナノマシンを使用したから、痕も残らない。安心したまえ」

「ありがとうございます。先生……」



 軍医と時緒が話していた。


 時緒は目を開けていたが、相変わらずその瞳は、何も映していない……。



「先生、時緒君の様子は?」



 眉間から血を流したまま大竹が訪ねると、軍医は笑って頷いた。



「処置は済みました。問題ありませんよ。どちらかと言えば、今は特佐……貴方の方が重傷です」

「そうですか……!良かった!」

「全然良くないですよ。いま止血しますから座っていてください」



 時緒が寝ているベッド脇のパイプ椅子に、大竹は座ると、



「時緒君、怖い思いをさせたな……!本当にすまない……!」



 深々と頭を下げる。床に血溜まりが出来た。


 時緒は苦笑して、首を横に振った。



「大竹さんが悪い訳ではありませんよ」

「しかし……」

「僕はそれ相応のことをした自覚はあります。覚悟はしてました……」

「…………」



 大竹は言葉に詰まった。



 ――あれだけ酷い仕打ちを受けて、この子はよく笑っていられるな……。



「彼らは貴方が怖いのですよ」



 大竹の代わりに、樋田が口を開いた。



「エクスレイガという一騎当千の力を持った貴方が怖いのです」

「生身の僕はこの有り様ですよ?」



 寂しく笑う時緒に、大竹は軍医によって頭に包帯を巻かれながら、尋ねた。


 ずっと心底で凝り固まっていた疑問だ。



「本当に君は……防衛軍われわれを攻撃したのか?」



 大竹の、優しい声色の質問に、時緒はしばらく黙って……。


 やがて、再び首を横に振った。



「違います……」

「…………」

「僕は……大竹さんたちと戦ったことは事実です。でも……施設襲撃も、大竹さんたちへの騙し撃ちも……していない……」



 時緒は言い切って、スン……と、鼻を啜った。


 大竹の疑念が、固まっていく。



 ――こんな子が……何で犯罪者扱いされなければならないんだ……?



 大竹は兵士である前に、父親で……男である。



 困っている子どもを放っておくことなど、出来ない。



 大竹は、軍医に包帯を巻かれ、ミイラのようになった頭を、背後で『休め』の姿勢のまま待機していた渡辺に向けた。



「俺は明日にでも、青木長官に直訴してみようと思う」

「時緒君の件について、ですか?」

「ああ、イナワシロ特防隊を陥れようとした類似組織の可能性も無いとはいえない。たとえそれが聞き入れなかった場合でも、未成年に対する情状酌量、保護観察処分にでも軟化出来る筈だ」



 渡辺は目の前の大竹ミイラおとこに、深々と頭を垂れた。



「流石は隊長。微力ながらこの渡辺、賛同させていただきます。久富特尉も同様でしょう……」

「すまん……迷惑を掛ける……」

「迷惑だなんてとんでもない。貴方のような人格者の下で働けて、私は光栄です」

「……随分と持ち上げるな?そういうのは好かん」



 頭を垂れたまま、渡辺は軍服の襟元に隠れた唇を、ニヤリと歪めた。




 ――貴女がたと私の計画、予定より早く片付くかもしれませんよ?真理子さん……。




 続く



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