サヨナラ日常


 会津若松市郊外。


 広大な武家屋敷の、これまた広大な和室の中央に一人、主水は座禅をしていた。


 武家屋敷は主水の実家であり、この和室は主水の自室である。


 部屋傍らのガラスケースの中から、特撮ヒーローや怪獣のソフトビニール人形が、瞳閉じ心を研ぎ澄ます主人を眺めていた。



「映画のラストは……やはり大噴火した磐梯山のマグマに……全ての怪獣を倒したスーパー座敷童子が親指を立てながら沈んでいく展開にするか……」



 主水は、撮影も佳境の、自主制作映画の顛末を独り呟いた。


 主演ゆきえが聞いたら大激怒する内容だ。



「坊っちゃま……」



 障子の向こうに、忽然と人影が現れる。


 その声は……



「爺や、早かったな」

「本来ならばもっと早く帰れたのですが、道中些か面倒が……」



 障子越しのギャルソン・春清が、そのシルエット申し訳なさそうに頭を垂れた。



「……で?」



 主水は唇を歪めて、ゆっくり……その切れ長の目を開ける。



「灰は今何処にいる?」

「……長崎の姫神島におりました。灰様の御母上の故郷とのこと」



「そうか……」と、主水は天井を仰ぐ。



 西郷 灰。非凡な才を持つ剣道部員にして、生徒会役員。主水の大切な仲間。


 しかし、椎名 時緒と戦い、激昂した時緒に敗北。


 自分を見つめ直すため、学園を休学して旅に出ていたと主水は聞いていたが……。



 そうか。母の元に行っていたか……。主水は一人、納得の首肯を繰り返す。



「それで……灰は母親に会えたのか?」



 主水の問いに、春清のシルエットは静かに首を横に振った。



「灰様の御母上は……五年前に逝去していました……」

「…………何?」



 心が波立って、主水は瞳を険しくした。



「腎臓ガンだったそうです。気付いた時には手遅れだったと……島の医師が……」

「…………そうか…………」



 ふと……主水の頬を、涙が伝った。


 手前勝手とはいえ、灰の心境を考えてしまうと……涙が溢れて止まらなくなる。


 しかし……。



「……灰には……は伝えたか?」

「は、少しばかり考える時間が欲しいと……。伝えて来てくれて嬉しいとも仰られていました……」



 春清の返答に、主水は大きく頷き、立ち上がった。



「灰様は……来られますでしょうか?時間は余りありません……!」

「俺が知る灰ならば……アイツは必ず来る!」



 声高に断言して、主水は勢い良く障子戸を開けた。


 膝をついた姿勢の春清と目が合う。


 涙目を見られた主水は、一瞬恥ずかしそうに苦笑したのち、仲間を思って泣いて何が悪いか、とばかりに胸を張った。



「爺!会社の工場の方はどうか!?」

「フル稼動させております!旦那様が偉く躍起で、御身ずから陣頭指揮を執っておられます!」

「不本意だが!激しく不本意だが親父には直接俺が頭を下げる!灰用の騎体は俺と美香がチューンアップする!爺!帰宅早々済まない!」

「は!工場までの車を御用意致します!」



 ドスンドスン、主水は意気揚々と廊下を踏み鳴らし闊歩する。



「正直先輩たっての頼みに応えて見せる!椎名一年生達の力になって魅せる!松平家ファイト!生徒会ファイトォ!!」



 右拳を突き上げるその、若き松平家次代当主の背中は、不退転の闘志が揺らめいていて。



「坊っちゃま……!見事な気迫……!まるで先々代……大旦那様の生き写しにございます!!」




 春清は、ついこの間まで寝小便小僧だった……布団の上で転んだだけで泣いていた主水の成長に感極まり、咽び泣いた。



 長旅の疲れなぞ、綺麗さっぱり消え失せていた。






 ※※※※






 予鈴が鳴る。



 自分の席に腰を掛けながら、時緒は教室を見渡した。


 昨日のドラマの話をしているコギャルチーム。


 授業の予習をしている勤勉なヤンキーチーム。


 瞳の大きな美少女が描かれたアニメ雑誌を鞄に仕舞うオタクチーム。


 伊織は鼻唄を奏でながら、現代国語の教科書を取り出し……。


 律は机に広げた自分宛のラブレターの数々(全て同性から)を、どうしたものかと唸りながら腕を組み……。


 佳奈美は宿題どころか今日使う教科書ノート全て忘れ、白目を剥いて途方に暮れている。



 廊下側の席に座っていた真琴と目が合った。真琴は咄嗟に口元をノートで隠し、時緒に向けて小さく控えめに手を振った。


 勿論、時緒も手を振り返す。


 特別なことは無い。


 みんなみんな、『いつもの風景』。



「時緒くん?何キョロキョロしているの?」



 隣の席の芽依子が、瞳を瞬きさせて首を傾げた。



「ああ、いや」と、時緒は苦笑しながら、机の上に教科書とノートを置いた。



 昨日の、あの……。


 急にしがみ付いて来た芽依子の、あの柔らかな感触を思い出す。


 よみがえって来たドギマギを、時緒は懸命に抑えーー



「こういう、何でもない……何の変哲も無い時間……、ちゃーんと見ておきたくて……」

「え……?」



 いぶかしむ芽依子に、「自分でもよく分からないけど」と、時緒は照れて後頭部を掻き、芽依子にそっと小声でささやいた。



「本当は不安だったんだ。エクスレイガが悪者にされてさ……」

「時緒くん……」

「だから、こういう……何気ない風景ってのがさ?見てると結構……気持ち良いなって思ってさ?」

「…………」

「さっき風紀委員の人から飴貰った。戦ってた時は凄く腹立ったけど、普通に良い人だった。嬉しかったな」



 そう言って、時緒は朗らかに笑った。





「…………」



 芽依子の中を、形容しがたい焦りが包み込もうとしていた。


 目の前で笑う時緒に、どう声を掛けて良いか分からなかった。


 不安を告白してくれた時緒に、何て声を掛けたら良いか分からなかった。


 芽依子は時緒の背後の空席を見遣る。


 こんな時、正文ならば、いとも容易く時緒の不安を払拭出来るだろうに……。



「ほいっ!授業始めますよっと!!」



 ジャージ姿の小関教諭が入室して来ると、時緒の瞳が爛々と輝いた。



「あ!現れましたね!リアル高校教師!!」

「時緒オメェどんだけ根に持ってんだよ!?」

「そんなうだつの上がらない風貌で元教え子と結婚していたとは!先生!恥を知りなさい!!」

「う、うるせえ!それ以上言ったら内申点下げるからな!?」

「越権行為だ!?」

「覚悟しやがれコノヤロウ!あ~あ今日は帰ったら可愛い妻と郡山で映画観てサラエボでミートドリア食べるんだ~!羨ましいだろ時緒~!ざまみろバカたれ~!成績良いけどバカたれ~!」

「キィ~~!悔しい!!」



 舌を出す小関教諭と、地団駄を踏む時緒。


 二人の低レベル極まりない言い合いに、



「時緒もっと言ってやれ~!!」

「時緒氏、負けては駄目ですゾ!」

「コッセン本当に大人げ無いよアンタ!!」



 クラスが、笑いと歓声に包まれる。


 伊織も真琴も笑っている。


 律はニヒルな笑みを浮かべ、佳奈美は白目を剥いたままカタカタ震えている。


 例え自分が不安でも、皆のことが大好きな時緒によって、笑顔の花が咲いている。


 芽依子も、笑った。


 笑って、時緒の側に居たかった。


 そうでないと……。



「時緒くん……」

「ん?」



 芽依子は精一杯の、平常心を装った微笑を浮かべーー



「私達も今度、郡山で映画観て……食事しましょ!」

「お!良いね!何観ようかな?あはは!すっごい楽しみ!!」






 ※※※※





 時緒も。


 芽依子も。


 強く望んだ。


 何げ無い日常。


 時折、異星人と巨大ロボットで戦って、最後は分かり合う、少しおかしい非日常。


 少し悔しい時もあるが、結局は笑顔に溢れる、猪苗代の青春。





『テレビを御覧の皆様……。我々地球防衛軍は……誠に遺憾ながら、数々の暴挙を繰り返すイナワシロ特防隊に対し……強行捜査を執り行うことを……此処に決定致します……!』




 そんな、少年少女の願いはーー







『こちらイナワシロ特防隊いわき小名浜第二支部!現在防衛軍の攻撃を受けている!現在防衛軍の攻撃を受けているっ!!』


『こちら新白河第三支部!地上施設は壊滅!エムレイガ隊も全滅です!どうか救援を…!本部の救援をーー、』


『こち二本松第四支部!現在防衛軍と交戦中!本部応答せよ!応答せよ!……ああもう!エムレイガ隊にはもうすぐエクスレイガが来ると報せろ!嘘でも良い!希望を捨てさせるな!!』







 時緒達のごく普通の願いは、一部の大人達によって、いとも容易く踏みにじられていく……。








 続く



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