第二章 真実の救世主

こちらハコダテ……




「全部片付いたな……」

「意外と早く済んだわね」



 大竹 裕二の感傷を含んだ口調に、大竹の愛妻、美奈代みなよが朗らかな笑顔で返した。


 扶養家族を持つ兵士の為に与えられた舎宅マンションとはいえ、十余年も済んでいれば愛着も湧く。


 家財の一切が引き払われ、伽藍堂となったかつての我が家。机や本箱が置かれていた畳の部分がそこだけ若いのは、よく美奈代が家事の傍ら口ずさんでいた歌の通りだと、大竹はしみじみ思った。


 目を閉じれば思い出す、此処で暮らした日々……。



「パパ、のんびりしていて大丈夫なの?」



 追憶に浸っていた大竹を現実に叩き直したのは、愛娘優花ゆかの声と冷ややかな眼差しだった。


 娘は花の十七歳。父親を毛嫌いする年頃と大竹は理解していたつもりが、この冷徹な視線には矢張り慣れない……。



「優花、すまないな」

「何が?」



 機嫌を伺う気配を含んだ声色の大竹を、優花は母親に似た形の瞳を細めてじろりと見上げた。



「学校のことだ……。二学期から別の学校になってしまうが……」

「…………」



 優花は父の顔を二、三秒ほど黙って見たのち、「別に……」と視線を逸らし、気の抜けたような表情を浮かべた。



「パパのお仕事なんだからしょうがないでしょ」

「すまん……」

「それに、転校先が"函館の女子校"なんて……なんかオシャレな響きじゃない?」



 そう言って、優花は鼻歌を歌いながら流行りのスポーツメーカー社製のナップザックを背負うと、陸上部で鍛えた美しい脚で舎宅の渡り廊下をエレベーター目指して歩いていく。



「……矢張り寮に入れた方が良かったか?」



 折角娘が気付いた交友関係を無駄にしてしまうのは、あまりに忍びない。


 呟くように問う大竹の広い肩を、美奈代が優しく叩く。



「これで良いのよ」

「そうかな……?」

「ええ。あの子もそういう選択肢の中から自分で決めたんだから」



 重い嘆息を吐き出しながら、大竹は娘の背中を見守った。



「………………」



 身長一九八センチメートルの屈強な体躯の割に心配性な夫を見遣りながら、美奈代はくすりと独りほくそ笑む。



『パパと離れるなんて、絶対にイヤーー!!』



 思春期故に素直になれない優花が、先日声高に真意を叫んだことを知っているのは美奈代だけ。


 母と娘の秘密であるーー。





 幼少期女子高生も、優花の理想の男性像は、『大竹 裕二パパみたいな人』なのだーー。






 ****





「それじゃ……函館空港向こうで軍の案内人ガイドが待っているから、その人に付いて行きなさい」

「ええ、裕二さんも気を付けて」

「久富さん待ってるよ?さっさと行ったら?」



 妻や娘と空港のラウンジで別れて、裕二は独り、軍から私用として貸し出されたレガシィを走らせる。


 時間があるとはいえラウンジで長居したか、車内は夏の直射日光で既にサウナ状態だった。



「…………」



 空港と隣接している百里基地のゲートまで約五分足らず。大竹の気配は段々と『ちょっと頼りないデカい図体のお父さん』から『地球防衛軍の一等空尉エースパイロット』へと変貌していく。



【新型機動兵器の実用実験部隊への転属】



 転属内容が機密事項のオンパレード故、転属内容を家族に言えない事を、規則とはいえ大竹は酷く苦心した。


 美奈代達と目的地である函館への渡航経路が異なるのも、大竹が到着早々函館基地司令部への出頭を命じられているからだ。



「面倒なことこの上ないな……」



 家族旅行なんぞしばらくしてないのに……。


 愚痴を独語しながら、大竹は纏った軍服を整え、転属通知の書類やタブレットが入ったアタッシュケースを手に、滑走路の傍に駐機してある輸送機を目指す。


 鋭いジェット音を振り撒いて、頭上を《サンダーウイング》の三機編隊が飛び去っていく。単なる哨戒だろう。


 現在、日本でのルーリアの戦闘は猪苗代に集中しているから……。


 すれ違った兵士が皆、大竹に向けて敬礼をした。無論、大竹もきちんと彼らに返礼をする。


 全翼型の輸送機が視界の端に見えてきた……と、背後からやけに整った足音が近づいてきた。



「隊長、おはようございます!」



 案の定、同じく函館基地に転属される空の相棒、久富 俊樹ひさとみ としき三等空尉だ。



「おはよう、待たせたか?」

「いえ、書類の整理と軽めのトレーニングをしていましたので!」

「そうか……」



 納得の肯首をしながら、大竹は相棒の顔を見遣る。


 久富がその視線を感知した。



「……どうかしましたか?」

「いや、函館向こうでもお前と飛べると思うと、幾分気が楽になる」

「……!自分もであります!」



 大竹の言葉に、久富の眼鏡の奥の鋭い虹彩が静かな歓喜に踊った。


 若い癖に老成された騎士の如き、忠義心溢れる男だ……。


 将来、優花の夫になる男は、久富みたいな奴が良い。



「いやいやいやいや……」



 一瞬そう考えた大竹は慌ててイメージを搔き消す。


 優花は十七だ。結婚なんてまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ早い。



 それに……。



 以前、ふとした拍子に、大竹は久富自身から聞いたことがある。




 久富の精神と身体は女を愛さない……そういう男だから……と。






 ****





 函館の空は広く……蒼かった……。



 大竹と久富の乗った輸送機が函館基地ーー函館湾沖の人工島に到着すると、まるでVIP待遇のように兵士数名が迎える。



「函館基地へようこそ。大竹一尉、久富三尉」

「世話になる。宜しく頼む」

「ハッ……!」



 大竹と久富は現地の兵達と敬礼を交わすと、彼等に導かれるまま、見学さながらに基地の内部を進んでいく。



「こちらへどうぞ……」



 案内を務める兵士が示したのはエレベーターだった。


 てっきり大竹と久富は、司令室へ赴くと思っていたのだが……。



「…………?」



 疑問に思った大竹と久富を乗せたまま、エレベーターは、凄まじいスピードで下降していく。


 気圧差から生じる微かな頭痛に、久富が顔をしかめた。


 地下一階、地下十回……地下二十階……地下五十階。



「どういうことだ?何処に向かっている?」



 困惑をはらんだ大竹の質問に、案内係の兵士は「お二人をこちらへ案内するようにと……」と無機質に答えた。


 やがて、エレベーターのデジタル表示が地下六十階を示したところで、エレベーターの扉が音も無く開放される。


 冷気がエレベーターの中に流れ込み、大竹と久富は反射的に軍服の襟首を締めた。



「ここは……?」



 空気の冷たさと、目の前に広がる広大な空間に、大竹は警戒する。


 あまりの暗さに、自分と久富が今現在空中に設けられたキャットウォーク上に居ると認識したのは、大分目が慣れてからのことだった。



「後ろをご覧ください……」



 なのに、折角暗闇に慣れた大竹と久富の目を、案内係の兵士が点けた強烈な照明が眩ます。



「「…………っ!?」」



 大竹と久富は、二人同時に絶句した。


 照明が明確にしてくれた。


 この空間は、百里基地のそれとは比べ物にならない、巨大な格納庫。


 そして……。


 格納庫に鎮座するのは、戦闘機でも、ましてや戦車でもなくーー。



「これは……!?」

「……ヒト型……ロボット……!?」



 灰青色の装甲を輝かせた、鋼の巨人だった。


 強靭なイメージを目撃者に与える太い四肢。それらを覆う灰青色の装甲は曲線を描いて武骨。


 水牛めいた左右一対の角を携えた頭部、その目に当たる部分には三本のV字状のスリットラインの入ったバイザーが取り付けられ、あたかもプロレスラーが西洋甲冑を付けたような出で立ちだった。


 大竹は息を呑む。


 もしや……これが……例の新型機動兵器……?



「これは……まるで……エクスレイガだ……」



 ぼそりと溢れた久富の呟きに、大竹は眉をひそめる。



「違う……」



 根拠は無い。無いのだが……。


 目の前で屹立する巨人からは、何も感じられない……。無機質な、機械然とした、寒々しい圧迫感だけ……。


 過去に二度と出会った、あのエクスレイガから放たれる、熱く、優しい、勇猛な雰囲気とはまるで違う。寒々しい機械モノーー。



「エクスレイガでは……ない……!」

!」



 大竹に応えたのは久富でも案内係の兵士でもない。


 別のエレベーターから出てきた、高価たかそうな防寒コートを纏う、青白い顔の……蛇みたいな痩躯の男だった。



「この《K・M・Xケーエムエックス》を……あのような木偶人形と一緒にされては困りますねェ……!」



 そう言って、男はヒヒヒと陰気に嗤った。


 エクスレイガを木偶人形と呼んだ。それだけで、大竹はこの男が嫌いになった。



「貴方は……!」



 大竹は、この男の名を記憶している。


 軍の広報誌で、毒にも薬にもならないような駄弁を長々六ページも書き垂れていた……。


 確か……防衛軍長官の……。


 青木 祐之進あおき ゆうのしん





「このK・M・Xが……私の主導するK・M・Xこそが……!地球の平和を守る……ルーリアどもを駆逐する……!真実の救世主なのです……!」




 宣う青木の顔は、己以外、誰も鑑みていない……そういった自己中心的な恍惚に満ちていた……。






 続く

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