第8話

「『警戒態勢について』! 《指令》!」


 視界が切り替わった瞬間、ナリアの声が響く。


 感覚が研ぎ澄まされるのを感じながら、シェリフは慌てて周囲を見渡した。


「うっ、眩しい」


 目を焼くような光がまずシェリフの視界に飛びこんだ。


 洞窟型ではないことを察しながら目を細めたシェリフは、次第に光に慣れていく瞳で眩しく照らされる草原を見た。


「……周囲に魔物の反応はありません。ひとまず、安全です」


 リーヒアの落ち着いた声が響く。


 そこで初めてシェリフは緊張を解いて、腕に感じる温もりへ視線を移した。


「シェリフ、だいじょう……ぶ?」


 しがみつくように腕を握りながら魔術の準備をしていたサニャと目が合う。


「うん、大丈夫。どうやら僕達、全員同じ場所に飛ばされたみたいだね」


 仲間が全員揃っていることにシェリフは安堵の息を吐いた。


 生まれたばかりの魔境はその場所自体が綻びのようなもの。少しでも離れていれば、シェリフ達はそれぞれが別の場所や階層に飛ばされている可能性があったのだ。


「不幸中の幸いだね! でも気をつけて。元の魔境が成長度十ってことは、少なくともここはそれ以上だからね」


「それに、階層がわかりません。ひとまずサニャさんの魔素感知から、ここがどれくらいの成長度換算かわかりますか?」


「えっと。多分、成長度二十くらい……です」


 賢者としての技能の一つ、魔素感知。それによって周囲の魔素濃度を感じたサニャは、今までの探索の記憶からおおよその成長度を予測した。


「通説通りなら、元いた場所からおおよそ十層分の成長度差ですか。できたばかりの魔境が元の場所から大きく離れた成長度をしていないと仮定すると……」


 サニャの予測からリーヒアは現状を導き出そうと頭を回す。


 そうして何かを考えていなければリーヒアは正気を保てる気がしなかった。


「この魔境の成長度は十から十五と予想できます。つまりここは五層から十層の間」


「上がるなら、少なくともそれぐらいは抜けなきゃいけないんだね」


 ナリアは真面目な声で唸ると、天を仰いだ。


 燦々と輝く光が浮かぶ青い空を見つめ、ナリアは深く息を吐く。今後の方針をナリアは決めねばならなかった。


 何が正しいかわからずとも、勇者は仲間の命を背負う指揮者なのだ。異常事態において決断を下すのもまた勇者の務めだった。


「よし! それじゃあ、最初に見つけた階層穴に入って進むってことで!」


「それが降りる階層穴でもでしょうか?」


「そう! 生まれたばかりの魔境は不安定だから、時間はなるべくかけない方がいいでしょ? 登るが早いか降りるが早いかわからないからね。それなら見つけた階層穴を信じて進む方が早いんじゃないかな」


 一層が近いのか最終層が近いのか、ナリア達にはわからない。加えて草原型の魔境であることが問題だった。


 見晴らしもよく、水もある。環境だけならば良好な草原型だが、その代わりに端から端まで歩けば一日はかかるほどに広大だった。当然、上がる階層穴と下がる階層穴が近くにあることも滅多にない。


 両方の階層穴を探して吟味するには時間がかかり過ぎるのだ。


「早さ、ですか……。たしかに、このままでは食糧もなく飢えて死ぬだけでしょう」


「うん。携帯食糧も最低限しか持ってないからね。それに魔境の成長度も時間と共に上がっていくはずだから」


 食糧がないという悲壮感がナリアとリーヒアの間に流れ、沈黙が始まる。明確に言葉には出さないが、二人の心は少しずつ絶望に侵食されていた。


 魔境探索者がほぼ必ずぶつかる壁。階層の更新が止まる最大の理由。探索者が何より恐れているもの。それが食糧問題だった。


「あの、食糧を気にしなくていいのならば方針は変わりますか?」


「んーん。時間をかけない方がいいのは一緒だからね。でも、なんで……。って、あぁ!」


 シェリフの問いに答えながら、ナリアはある可能性に思い至って声を漏らした。


「もしかして、シェリフくんは魔物の調理を魔境でも問題なくできるの!?」


「はい。魔物の肉さえあれば、この場で今すぐにでも調理できますよ」


「凄い! 凄いよ! それならなんとかなるかも!」


 興奮気味に立ち上がってナリアはシェリフに駆け寄った。


 キラキラと翡翠の瞳をうるませたナリアはシェリフの手を取り、祈るように握りしめる。


「魔境に飲まれたのがシェリフくんと一緒でよかった! 頼りにしてるよ!」


「はい、調理に関しては任せてください。ひとまずは、これでも食べて落ち着きましょう」


 冒険鞄からシェリフは一つの果実を取り出した。その果実は植物型の魔物から刈り取った物だ。


「調理はしてあるので安全です。効果としては、体力強化ですね」


「いいね! 食べて、英気を養ってここから出よ!」


「これで希望が見えてきましたね、ナリア」


「うん! やっぱり、シェリフくんを勧誘して正解だった!」


 少し前までの暗い表情からは一転。シェリフの差し出した果実を受け取ったナリア達は花の咲くような笑みを浮かべる。


「ん。シェリフは、凄い……よ」


 シェリフにしがみついたまま果実を一個口に頬張ったサニャは、少し嬉しそうに微笑んだ。


 こうして軽い食事を済ませたナリア達は、階層穴を目標として草原の探索を始めることになった。

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