甘い毒
時田知宙
第1話
だめだ、これは、甘い、毒だ。
「よ。」
「はい。お邪魔します」
「はーい。」
「…なんでそんなに他人行儀?」
私につられて、彼の目も泳いだ。あの濡れたような綺麗な瞳を、最近は、見ていられない。
何度会っても、変に緊張する人。この人に失望されたら、私は起き上がれない気がする。
「長ズボン?短パン?」
「あ、どっちでも」
「ん。これ服、きて」
「はい。」
当たり前に部屋着を貸してくれる。お水はそこ、タオルとか遠慮しないで。と言う。彼は、優しい。
この人は多分、性根から優しいのに、2人きりになると、なんか、こわくて。上手く話すことが出来ない。
今日あったこと、あなたが元気でうれしいこと、そんな簡単な会話もできない。
今でも、何故この人が私と会いたがるのか、疲れたときに他愛のない電話をしたがるのか。会ってはただ一緒に寝たり、気まぐれに体を重ね合わせるのか、わからない。
私は当たり前みたいな顔してこの人の家のソファに座っているけれど、体の芯は、ずっと緊張している。
私に何度も会いたいと思う魅力があるとは思えない。顔も普通だし、普通に何の特技もないし、普通に仕事は辛いし、普通の人だ。
本当のところはどうですか?あなたは私をどう思ってますか?
聞けない言葉が脳裏を行ったり来たりしては、唇に辿り着かずに消えていく。
私はこの人のことを、見つけたときから好きだと思った。
スポットライトが無数に輝いて交差しているその先で、彼を初めて見た。
そのときの印象が強烈で、焼きついたあの出立ちが、私の遺伝子をざわざわさせた。
あ、特別だと思った。
悪い友達に誘われて真夜中にお酒を飲みに行ったとき、偶然彼と出会った。
あんなに遠くにあった顔がすぐ近くにあって、しゃべったり、笑ったりするのが不思議だった。
流れで連絡先を交換することになり、「じゃあ俺も」と彼が携帯を出してきて、え?と思った。
タクシーに乗った彼が私の腕を掴み、「一緒に帰ろ」と言い出したときも、え?と思った。
なんと私は断り、帰らなかった。その時はなんだか現実味もなく、全然地に足ついている私がいた。
奇跡というより、嘘みたいな出会いだったのに。普通の地面で出会ったこと自体が、エンディングみたいな出来事だったのに。あろうことか物語は続いたのだ。
後日改めてのお誘いにさすがの私も浮き足立ち、初めてお家に行った。
入るなり、あの、お説教です。簡単に知らない人を家に呼んじゃダメだと思う。そう言ったら少し驚いて、「はい、ごめんなさい」と戯けていた。もうしないよと笑っていた。正座が可愛いかった。
人目を盗んで家に呼び出されては雑談をする仲になって、休日暇で料理をしているといえば、「俺のお嫁さんにぴったりだと思います。」と言われて、なんだか浮足が、更に舞い上がったときもあった。
ずっと傍にいたいかもしれない、そう思い始めたとき「彼女出来たらどうする?」と尋ねられ、あ、わかってたけど、この人は私の気持ちとか想像をしないんだな。私を大事にしたい女性として見てはないんだな。わかってたけど。そう確信してしまって、恋をするのはやめた。無理矢理に封じ込めて、殺した。
転職し自分の仕事が猛烈に忙しくなり、彼の誘いを断るようになった。
忙しさのおかげで殺しておいた恋が生き返りたがることもなく、かと言って湧き上がるさみしいという感情に、さいている時間さえもなかった。
自分のことを好きで秘密を守る私が、彼にとって都合が良かったのだと、分かっていた。そうでしょうとも。最初から。素直に、理解していた。
物語は唐突に始まって終わる。現実などそんなものだ。
逃亡犯よりも華麗に半年以上、彼からの連絡から逃げていたけれど、電話が鳴り止まない日があった。諦めないコールが居た堪れなくて、電話を取ってしまった。
「彼氏できた?」
このとき、出来たと言えばよかった。
久しぶりの彼の部屋は相変わらず、電子タバコと少し香水と混ざったのにおいがしていた。
彼はべろべろに酔って、最高にふわふわしていた。ベッドに座って私を見上げた。酔っ払っいが、うにうにと何か言い始めた。
最近人に言われてかなしかったことなどをつらつらと話し初めて、要領を得ない話の最後に「ねぇ〜、きらわれたかとおもった〜…」とお腹に強く抱きついて、額を子供のように擦ってきた。
ああ、ダメだ。
私はこの人のことを、きらいにはなれない。いくら大事にされないと分かっていても、若さを無駄に消費する時間しか一緒に過ごしてくれないことが分かっていても、自分から離れることができない。出来なかった。
逃げても逃げても、甘えた声で、巻きついてくる長い手足に、冷たい体温に、いとも簡単に捕まってしまう。
私は、あなたを初めて見たときから好きで
あなたもたぶん、私を少しは好きで、それよりは、自分が好きで。
いつだって簡単に捨てられるのは私。
受験に落ちるみたいに、事故にあったときみたいに、ある日突然、途方にくれることをわかっていて、わかった上で、私はまた彼と会ってしまった。
このあと私がどうなるのか、容易に予想はつく。
やっぱり違った。出会ったときから物語は終わっていたのだ。始まってもいなかった。よくある話だ。
昔のことを思い出していると、気がついたら彼は絵みたいに綺麗な睫毛をふさふさとさせて、眠っていた。私もつられて眠ってしまった。
寝ながら、彼が私の頭を自分の体に預けるよう促してくるのがわかったので、素直に抱きついて意識を手放してみた。
彼の隣は、信じられないくらいよく眠れる。話している時の緊張が嘘みたいに、心地よくて、目を閉じたらすぐに朝が来てしまった。
「もう出る?」
「うん。じゃあ」
帰り際、そんなつもりもなくそっけなくすれば、振り向き様にキスをされる。珍しい。
いつも通り少しひんやりした唇から離れると、彼は思ったより甘えた顔をしていた。
「またね?」
ずっと会ってなかったときのことを気にしていたのがもしれない。そう思い上がるくらいに、甘いキスだった。
だめだ、これは、甘い、毒だ。
知らない間に蝕まれて、私は毒なしでは生きられなくなる。
いつか、手も足も動かなくなってしまうのに、ほしくて、欲しくて、たまらなくなって、どうしようもなくなる。
毒を含んだこの体では、身動きが取れず、目の縁は熱く、どこへも行けずに、途方に暮れる日がくる。
あなたに恋人ができたとき。恋人と呼びたい人ができたとき。私はどうなるんだろう。なかったことにされるんだろう。
(そんなに、器用な人ではないのだけれど。)
それでも私よりは沢山の人に知られるあなたの中に、私がいることはないんだろう。
あなたは、毒だ。
私は蝕まれるのを分かっていて、それでも口に含んでしまう。
甘い甘いと口に含む唇を食む度に、感覚は痺れてわからなくなる。
いずれ私が一人になったとき、猛毒だったんだと気がつく、甘い毒だ。
甘い毒 時田知宙 @mtogmck
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