156 ウォーレッド国の魔族 前半


 手鏡を床に落とし、座り込んで動かないイーシェアの隣に膝を付き、パティは巫女の細く白い手をぎゅっと握った。

 

 カルファは動かなくなったイーシェアと、シュナイゼを覆っていた光が弱くなり、消えていくのを目にし、

「あなたも少しは役立ってください。後は自分で何とかするんだな」

 と呆れたようにシュナイゼに言い、彼は再び、倒れたロゼスへと歩みを進ませた。

 


 ツバキはロゼスの方ではなく、イーシェアの傍にいた。

 

(悪いなロゼス。どっちかしか助けられねー時は、女子供が優先だって決めてんだ)

 

 ツバキは心でロゼスに謝り、再び臨戦態勢に入るシュナイゼの前に立つと、クローを嵌めた左手をぐっと握った。



「イーシェア様、イーシェア様……!」


 パティはイーシェアの手を握り、彼女を軽く揺す振った。その声が聞こえたのか、座ったまま意識のなかったイーシェアがそっと瞳を開く。


「……パティ。闇の中で、あなたの手の温もりが伝わってきました。あなたには闇を弾く力があるようです。ロゼスのところへ、行ってください。彼を、助けてあげて」

「イーシェア様、わたしには、そんな力なんて――」


 そう言ったパティだが、不意にはっとした。

 そういえば、ムーンシー国でネオの妹、ナターシャが魔の力で弱り倒れた時、彼女に触れると、目覚めたことがあった。


(あの時の力が、闇を弾く力なのだろうか?)

 

 ――もしわたしにそんな力があるのなら、イーシェア様や、みんなを助けたい。

 役に、立ちたい。


「パティ、お願いします。ロゼスのところへ、早く……。ロゼスが、殺されてしまいます……!」

 イーシェアがパティに懇願する。

「イーシェア様……」

 パティは、こんな風に誰かに頼まれたことなどなく、心がぎゅっと引き絞られ、その思いに応えなければ、と思った。


 パティとイーシェアの前にはいつの間にかツバキがおり、座り込むイーシェアを護るように立っていたので、大丈夫だ、と思い、頷いた。


「わかりました、イーシェア様。やってみます」

 そう言い、パティは立ち上がると、倒れたロゼスの元へと走った。



 ロゼスの数歩手前にカルファは立ち、目の前に現れた天使に、彼は意外そうな顔をした。


「あなたは、アルタイア王子の傍にいた天使ですね。まだ地上にいたとは、驚きました」

 カルファはサーベルを抜き、その切っ先をパティに向ける。


「そこをどいてください。でなければ、殺しますよ」

「い、嫌です」


 パティは周囲を取り巻く重苦しい魔族の気配を感じていたが、ロゼスの前に立ち、震える声で言った。


「王子の言った通りに逃げていれば良かったものを――」

 カルファは余裕の笑みを浮かべ、手に持ったサーベルを掲げる。パティは恐怖に縛られ、足が竦んだ。

 

(本当に、わたしにそんな力があるのだろうか)

 

 不安に押し潰されそうだったが、イーシェアと交わした約束は守らねば、と思い、パティはばっと振り返ると、ロゼスの手を握った。

 カルファは訝し気にその様子を見る。


「ロゼス、しっかりしてください。目を開けて、お願いです!」


 パティはロゼスの手を握り締め、目を閉じて祈りを捧げる。すると、パティの手が微かに発光した。


 温かな光で満たされたパティの手から、その光がロゼスへと移っていく。

カルファは天使の少女の背後に立ち、無表情にサーベルを振り下ろそうとする――。


 ガキッ!

 目を覚ましたロゼスが、サーベルを盾で受け止めた。


「パティ、離れていろ」

 ロゼスがカルファを睨みながら槍を手にした。


「指輪よ、闇を弾く力を槍に!」


 ロゼスが叫ぶと、指輪から青白い月光が瞬き、その光は指輪から槍へと移った。

 それは指輪の二つ目の力、自らの武器に月光を纏うことで魔術を弾く力を武器へと移すことができる。

 ロゼスは目覚めたばかりとは思えない素早い動きで攻撃を始めた。


 カルファは冷静に見えたが、見た目よりも動揺していた。

 

(天使が闇の魔術を解いた? 馬鹿な……!)

 

 ――そんな筈はない。

 神は翼を持つ天使には何の力も与えていない。

 

 カルファの動揺が焦りとなり、僅かな隙を生んだ。


 ロゼスはその隙を逃すまいと、片手に槍を持ち、カルファの懐に踏み込む。素早い動きに、カルファは翻弄されながら避けるが、次の手を打ち出す前に、ロゼスは槍を斜めに下ろし、カルファの右肩から腰を切った。


「ぐっ……」

 カルファは血を流し、呻いた。


 指輪の力を纏った槍での攻撃がカルファに効いた。だがその攻撃はカルファの怒りに火をつけた。


「天使もお前も、生かしては返しません」


 カルファは血を流しながら、なぜか剣を収め、腕を交差させぐっと拳を握った。


「ぐ……、ああああああ……!」

 力を絞り出すように呻き出す。


 パティは、カルファが変化していくのを茫然と見ていた。


 人の姿から、恐らく、魔族の本来の姿へと。

 口が大きく裂け、背中から三本の角が生え、その細身の体がむくむくと大きく膨れ上がり、三メートル程はあるようだ。上半身の服が破け、破れた服が辺りに散乱した。

 

「お前もか――」

 ロゼスはカルファを見て、半ば呆れたように呟いた。



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