154 闇の魔術


 ツバキが呼吸を塞がれたロゼスを助けに向かおうとしたが、彼の前には別の魔のもの――、シュナイゼが立ちはだかった。

 ツバキは、目の前の王だったものを睨む。


 その間にもロゼスは首に張り付いた黒煙に絞められ、手で首元の煙を剥がそうとする。――が、ロゼスは煙に触れることはできない。だが黒煙の方はロゼスの首をギリギリと絞め続けた。


「ロゼス、それは闇の魔術です! 力ではどうにもできません!」


 イーシェアが叫んだ。

 パティはロゼスにイーシェアと逃げろと言われたが、ロゼスが苦しみ出したので、どうしたらいいか分からず、イーシェアの隣でオロオロと立ち尽くしていた。

 

 イーシェアの叫びで、ロゼスはそうだ、と思い至る。

 

(魔術……、そうだ、魔術なら、あの時メイリンがやったように、指輪で弾けるか?)

 

 ロゼスは息ができず苦しい中、何とか集中して石を光らせる。


「……指輪よ、弾け」

 ロゼスが微かに息を漏らすように言うと、指輪は青白い光を発した。

 

 バチッ!!


 ロゼスを取り巻いていた黒煙が指輪に吸い込まれ、次いで、それは目の前のカルファに向かってぶわっと飛び出した。

 カルファは眉を寄せ口を歪め、ち、と舌打ちすると、腕を横に振るって、黒煙をかき消した。


 パティたちはそれを見てほっとしたが、ロゼスは、焦りの中にいた。


 彼は己の神具〝月光の指輪〟の力は、三つしか知らない。ロミオに自分が石を持つ者だと見ぬかれた際、彼から指輪の能力のことを聞いたが、それは二つの力だった。それを試すこともできなかったので、本当にその力を発動できるのかはロゼスには分からない。

 一つ目の指輪の力は、今使った、メイリンが見せた魔術を弾き返す力だ。


 アルを救った時は、そこまでの魔物ではなかったのと、不確定な神具の力を使う必要はないと思い、指輪を嵌めずにいたが、高位魔族と対峙した今は、そういう訳にはいかないだろう。

 ぶっつけ本番だが、神具の力を発動しなければ、この場は切り抜けられそうもなかった。 



「まあ、あっちは何とかなりそうだな。じゃあ、オレは遠慮なく、お前をぶっとばしてやるよ」

 ツバキはカマキリのような姿のシュナイゼに言った。


「おい、ところで、元の人間の王はどうしたんだ? 死んだのか?」

「……元の人間の王? こいつは王になったその時から、既に俺がこの体を食っている。貴様ら人間は、あまりにも愚かだ。魔族である俺を王だと信じて疑わないのだからな」

 虫のような姿のものは、にやにやしながら言った。


 ウォーレッド国の歴代の王は、皆好戦的で野心的だと言われてきた。その理由は、魔族が体を乗っ取っていた所為せいもあった。


「我の王は、唯一の方。青い瞳の魔王、アウイナイト様だ。唯一の方をこの地上に呼び込むためだけに、俺は三世代に渡り、王の振りをしている。無論、元の人間は例外なく殺し、食っているがな」


 シュナイゼの言葉でツバキの眼の光に怒りが宿る。


「お前、最悪の魔族だな。オレが終わらせてやるよ、この国の王の悲劇をな」


 ツバキの口調は意外にも冷静だった。

 人は真に怒ると、頭が冴え、静かな口調になるのかもしれない。

 

「貴様には無理だ」

 シュナイゼは口の端を持ち上げた。

「言ってろよ」

 ツバキは言い、クローを嵌めた方――、左腕を前に構え、ぐっと拳を握った。

右手の甲の石は光っていない。


「うらあっ!」

 と叫び、ツバキはクローを突き出す。目にも留まらぬ速さだが、シュナイゼは背後に下がって避け、手をナイフのような凶器に変化させ、細く長い腕を振り回した。

 腕が長いので、少し腕を振るだけで、簡単に相手の懐に手が届く――。シュナイゼの体が大き過ぎて、ツバキは避け切れず、僅かに彼の腕から血が流れた。

 

(でかいのに素早いな!)


 ツバキの緋色の眼がちかりと一瞬光った。かと思えば、彼はかっと瞳を見開き、石を光らせる。


 ジャンプしたツバキは、三メートルほどもあるシュナイゼの顔まで飛び上がると、炎を迸らせたクローを嵌めた手で顔を殴りつけた。

 強烈な顔への一撃に、シュナイゼの顔が歪み、クローの爪部分が皮膚に食い込み、血が部屋に散った。

 シュナイゼはツバキに殴られ頭をだらりと後ろへ垂らしたが、クックと笑いながら頭を戻すと、てらてらとした瞳をツバキに向けた。


「いちいち気持ちわりーやつだな」


 ツバキは吐き捨てた。


 ツバキは山奥の村育ちだが、虫は嫌いだ。

 魔物というか、虫のような姿のシュナイゼをツバキは生理的に受け付けなかった。 

 しかしそれよりも気になることがあった。


(何で奴は笑っている?)


 シュナイゼは血を流しているが、痛がっている素振りはく、にやにやと笑っている。単に鈍いだけなのか?


 考えるだけでは答えは出ない。

 ツバキは再び石を光らせ、

「烈炎拳!」

 叫んで、今度は腹に、思い切り左の拳を叩き込む。


 ブワッ!!

 巻き起こった炎でシュナイゼの体が燃える。

 

 異種試合でクルミに浴びせたものとは比べられない威力の炎が、ツバキの拳から迸った。

 暫く燃えていたシュナイゼだが、炎はやがて鎮火し、焦げた跡が残ったが、シュナイゼは平然と立っていた。  

 プスプスと燃えかすの臭いを残し、黒い煙を体から立ち昇らせ、シュナイゼは不気味に笑っていた。


(効いてねーのか?)

 

 ツバキは緋色の瞳を見開く。

 確かにシュナイゼは傷を負い、血を流した。しかしその血は皮膚の表面が僅かに傷ついただけで、既に血は乾いているようだ。ツバキが繰り出した拳の傷も、恐らく大したものではない。

 


「――やはり、そうですか」

 ツバキの背後でパティといたイーシェアが言った。


「そのものには物理的な攻撃は今、効きません。恐らく、カルファがそのものに闇の魔術をかけているのでしょう」

「闇の魔術、だと?」

 ツバキは振り向きざまにイーシェアに訊くと、イーシェアは頷いた。


 闇の魔術は精神への攻撃や使い手への補助が主な攻撃パターンだが、それを防ぐ手立てを人はほぼ持っていない。

 一部の神具、例えばロゼスの〝月光の指輪〟等で防ぐことが可能だが、一般に出回っている武器等では防げない。他に分かっていることは、闇の魔術は聖なる力にも弱いことだけだ。


「あなたは炎の神具の使い手なのですね。あなたの実力はかなりのものでしょうが、相性が悪いようです。下がっていてください。ここは私が――」


 イーシェアはツバキに言い、彼女は懐から小さな手鏡を取り出した。



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