66 その後の彼ら
彼らの姿が見えなくなった頃、ロミオとジルは再び馬車に乗り込んだ。ジルは馬車の御者の席に、ロミオはそのすぐ後ろに腰かける。
薬を買って行きたいので、ロミオはそれをジルに告げると、ジルは道具屋の前に馬車を止めた。
「僕が行って来よう」
ロミオは、もうジルを甘やかしてもいいだろうと思っていた。ジルは散々辛い思いをしてきた。彼がその気になるまで、町の者と交流を持つことは待とうとロミオは考えた。
ジルを馬車に残し、自分が薬を買って来ようとするロミオの肩に手を置き、ジルはそれを引き留めた。
「いいよロミオ。オレが行く。ロミオはまだ傷が傷むだろ」
「だけど……」
ジルが店に行けば、また心無い言葉を浴びせられ、いわれのない差別を受けるだろう。
「いい、大丈夫だ」
ジルは素早く馬車を降り、戸惑うロミオを置いてさっさと道具屋の中に入って行った。
「傷に塗る薬と包帯をくれ」
数日前にも訪れた道具屋には、あの感じの悪い女店主と客が数名いた。
街では一番広く、物が揃った道具屋であるから、店にはいつも何名かの客がいる。その内の一人が、ジルを投げた、あの、髭を貯えた大きな体躯の男だった。
「お前に売る薬なんかないぜ」
黙っていた店主の代わりに例の男が言った。
どうやら、普段から用もないのに仲間とこの道具屋で話し込むことが日課になっているらしい。女店主はただ無言に薬を出そうとするが、髭の男の取り巻きの一人が、やめろ、と怒鳴った。
「薬をくれ」
ジルはもう一度言った。
「出て行け、この魔族が!」
苦々しく言い放ったのはあの大男だ。
店主は薬を出そうか迷っていた。
その男は迷惑な客で、ジルだけではなく他の客にも因縁をつけたりするチンピラのような輩だった。面倒なことになりたくないので、女店主は髭の男を注意することはなかった。
「……出て行かない。薬を売ってくれないのならオレはここから一歩も動かない」
ジルは今度はその黒い瞳をじっと男に注いだ。
「オレは悪いことはしていない。ただ薬が欲しいだけだ。この国に住む許可も持っている。物を自由に買うこともできる筈だ」
髭の男はジルの傍に寄り、ジルの服の襟を掴み、ジルを持ち上げて拳を振り上げる。だが男がジルを殴ることはなかった。ジルが男の腕を強い力で掴んだため、男は腕が動かせなかったのだ。
「そうだ、あんたには言いたいことがあった。この国にいた魔族はみんなで倒した。もう人が死ぬことはない。約束通り謝れよ」
「何だと、このガキ!」
男はジルに腕を掴まれたまま叫んだ。
しかしその額には汗が滲んでいる。ジルの男の腕を掴む手に更に力が込められ、ジルの手はぎりぎりと男の腕を締め上げた。男が耐え切れずぎゃっ、と悲鳴を上げるとジルは手を離した。
「こ、このガキ! やっぱりだ、やっぱり凶暴な魔族だ!」
「オレはあんたがオレを殴ろうとしたから止めさせただけだ。そっちが悪い」
ジルは冷ややかに言った。
「もう謝らなくていいから、薬をくれ」
再び店主に向き合ったジルに、店主は薬と包帯を用意した。ジルは銅貨数枚を渡し、店主が出した物を袋に詰め、扉へ向かう。
「二度と来るな、魔族!」
騒動を見ていた他の客がそう叫ぶと、ジルはそちらをじろりと睨んだ。
「な、なんだよ」
「あんたたちはオレが怖いんだろう。だから酷いことを言ったりしたりする」
――でもオレはもう平気だ。たった一人、オレを信じてくれる人がいるから、オレはもう大丈夫だ。
ジルは生まれ変わったような気持ちでいた。
揺らぎのない強い決意と心に守られていた。
「オレのことは何を言ってもいい。オレは半分魔族だ。だけどもし手を出してきたら、オレも自分の身を護る。それから――」
ジルは髭の男や、店の者たちをぐるりと見回した。彼らはジルの瞳が獣のように静かな怒りと殺気を放っているのを見て、震えた。
「ロミオにも同じように酷いことをしたら、オレは許さない。それだけは覚えていろ」
静まり返った周囲に、ジルの声だけが響いていた。
そっと窓の外からロミオはその様子を伺っていた。心配だったので、こっそり見ていたのだ。
ロミオは、今まで何も言い返さなかったジルが初めて強い意思を示したことに驚き、また安心もした。
ジルは覚悟したのだ。
自分がどういう扱いを受けようが、この地で生きていくという覚悟を。
口でいうほど簡単ではない。もしかすると、ジルの態度を恐れた者がこの先もっと酷いことをするかも知れない。
それでもジルは暴走することなく、強い心で、人として生きるだろう。
(僕が傍にいる限り――)
ロミオは、その悲しくも強く純粋な思いに応えようと、彼もまた決意を固めていた。
「ジル。旅に出てみないか?」
ジルが馬車に戻るとロミオはずっと黙っていて、家の前に着くと急にそう言った。
「……旅?」
「世界の色んな国に行って、色んなものを見るんだ。ジルはこの国にいてももう強く生きて行けるだろうが、世界を知って欲しい。それに僕も暫くこの国を離れて、自分が何をしたいか考えたいんだ」
ロミオの提案はジルにとって夢のような誘いだった。物心ついた頃にはカストラ国の孤児院にいて、孤児院を追い出された後はロミオに会うまで辛いことしか記憶になかったジルが、様々な土地に行き、自由に旅をするなど想像すらしていない幸福だった。
ジルの顔はぱっと明るく輝いたが、すぐにその顔は曇り始めた。
「でも、王様に何か頼まれているだろ?」
「いいんだ。そんなもの、くそくらえだ」
吐き捨てたロミオの言葉に、ジルは一瞬ぽかんとした。
「どうだ? 行ってみないか?」
「……そんな金があるのか?」
ジルはまだ素直に喜びきれず、不安を口にする。
ロミオは肩を竦めた。
「そりゃ、充分な資金がある訳じゃないさ。どちらかと言えば不便な旅になるだろうな。我慢することも多いかもな。だがきっと素晴らしいものも沢山ある」
ロミオが生き生きというと、ジルはようやく瞳を輝かせた。
「ああ、オレも、行ってみたい。色んなところに。ロミオと一緒に――」
ロミオはにっと笑い、頷いて見せた。
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