『水底の天』

さくらぎ(仮名)

『水底の天』

 其処は底であつた。

 否、いまわたしが仰向けに沈んでゐる此処こそが水面みなもであつて、底はもつと――遠いのかも知れない。

 若し其れが事実なら、わたしは直ぐに浮上しなければならない。


 身体が重い。水圧の所為か。

 水が、わたしの浮上を妨げてゐるのか。

 氣分が惡い。

 直ぐにかなければ、

 直ぐに浮かなければならないのに――。

 見上ると、底に茜が差してゐる。

 水は黄金きんに染まつて行く。

 嗚呼、いま、わたしの身体は極彩色のパレツトだ。

 此のまま時間が停まれば……。


 だが、軈て茜は絶え、底は再び墨染の様に暗く黑く、総ての光を吸収したパレツトは汎ゆる色を拒んでゐた。

 さうだ、何も考えなくていのだ。

 此処は清らかな水溜りの天である。

 幾ら藻掻いても浮かばれぬ底ならば、いつそ藻掻かねば良いだけなのだ。

 さすれば道は拓かれん。

 わたしは停まつた。

 安らかな気持になつた。

 ボンヤリとまあるい御月様は、いま此の瞬間にも、眉間に皺を寄せて、死と憐憫の光をなみ/\とわたしに注いでゐる。わたしは其れをはつきりと確信した。

 嗚呼、成程。

 此れは鏡だ。

 愚かなわたしの内面を如実に映す、蒼白い灯の鏡。

 嗚呼、わたしは何故今迄、此んなにも簡単な事に氣付けなかつた……。

 鏡に映つたわたしの背後には、闇があつた。

 もう沢山だ。

 わたしは、

 もつと、もつと潜らねばならなかつたのだ。

 わたしは全身を海獣の様に捻つた。


 果して、底は其処にあつた。

 わたしは――わたしの背後のまだ眩しい透明に、氣付いてゐない。

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『水底の天』 さくらぎ(仮名) @sakuragi_43

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