この妖怪の有用性は保証されていません

木古おうみ

一、ぬっぺっぽうバイオミート

 俺が培養槽の並ぶ研究室に足を踏み入れたとき、サメだったはずの生き物はもう取り返しがつかないことになっていた。



 俺は白衣の裾で手汗を拭って、傍で真っ青な培養液に無表情な顔を反射させている助手の慧雲えうんを見る。

「何だこの、もみじ饅頭みたいな生きモンは」

「鮫ですね。アブラツノザメ、ツノザメ目ツノザメ科に属します」

「アブラツノザメってのは頭が四つも五つもあるのか」

「普通はひとつですね」


 俺は水槽に背を向けるように踵を返した。

「まあ、減るのは困りますけど可食部が増える分には損はないのではないでしょうか」

 慧雲の声と足音が追いかけてくる。

「何かでも、形が冒涜的だろ」

「神秘を技術運用しておいて今更何です」


 研究所を出て視神経を刺すような外光の眩しさに目を細めると、“怪異運用技術開発局”の看板を掛けた赤い鳥居がそびえている。

 その支柱に記されている標語は“恐怖は卓見の母である”。


 俺は息をついて煙草に火をつけた。


 この鳥居は信仰心の現れではなく、むしろ逆だ。

 俺が局長を務める羽目になっている怪異運用技術開発局に行くためには、神社の境内にあるものよりやたら狭い鳥居のど真ん中を突っ切らなければいけない。


 妖怪を人間のインフラのために運用する技術の研究が始まってから、何年経っただろう。

 その最先端を突っ走らなきゃいけない俺たちはいかなる迷信にも惑わされず、全てを科学的に見極めていけという先代局長の意向の現れがこれだ。


「人魚から抽出したエキスを使った魚肉の培養は目下の課題ですね。人魚の不老不死性というのはがん細胞に近いものと解明されていますから、それを注入されたサメが細胞分裂を無限に繰り返した結果があの頭では?」

「僧侶みたいな名前してるくせに即物的な奴だな」

 慧雲は肩を竦めた。

贄川にえかわ局長こそ……地位や名誉に拘りがなさそうなのに、何でこんなに危険と利益が比例する仕事を?」

 俺は煙を吐き出した。

「地位や名誉に興味はないけど、正義や道徳にも疎かったからな……」


 四つ股に分かれた頭と尾があるべき場所にもうひとつ頭をつけたサメが、秋風に揺れる楓のように培養液の中を漂っていた姿を思い返し、俺は吸殻を足元に捨てた。



 赤い鳥居のど真ん中を通りながら、均等に四角く小さい白い建物が寿司詰めになっているのを見る。そのひとつひとつがかつては恐れの対象だった妖怪の研究施設だ。


「何で妖怪が人間に使われるようになったんだろうな」

 俺の独り言にも助手は律儀に決まり文句を返す。

「人間の技術が進歩したからですよ」


 危険と利益が比例する仕事というのは的を射ているかもしれない。俺の役目は新たに人類が支配下に置いた妖怪を見つけては、文明の利器として有用性があるか検証すること。

 技術部門の先駆者と言えば聞こえはいいが、いわば見てこいと放り出されて地雷を踏んでも替えが効く偵察兵だ。


「で、この後の予定は何だったか」

「もうひとつ、食肉部門での妖怪の有用性の検証ですね」

「くそっ、西洋から肉食文化なんて入って来なけりゃな」

 黒く癖のある髪を耳にかけながら慧雲が愛想笑いを返した。



 手前の標識の文字以外代わり映えのしない研究施設のひとつに入ると、埃と脂の臭いが冷たく立ち込めていた。

 その中に混じる極限まで脱臭した腐臭のようなものに気づいて俺は鼻を覆った。

「これ死臭じゃねえか」

「よくお分かりですね。従軍経験が?」

「冗談じゃねえ」

 慧雲は操作盤についた霜を白手袋の指で払い、漢数字のついたボタンを素早く叩いて暗証番号を入力する。


 堅牢な鉄の扉が開き、白い冷気が吐き出された。

「ここの研究対象は……」

「ぬっぺっぽうです」


 壁一面に張った薄い氷の膜に埋もれる半透明のアクリル板に目を凝らすと、蝉の羽のような和紙に描かれた浮世絵が収められている。

 ふやかした麩に切り込みを入れて申し訳程度の手足と窪みをつけたような、のっぺりとした化け物の絵だ。

佐脇さわき嵩之すうしの百怪絵巻ですね」


 防護服に身を包んだ研究員が現れ、俺たちを奥に案内する。

 支柱がわりに天井と壁を貫く銀の筒から伸びた配線が脈動するのを横目に、俺は慧雲に囁いた。

「あれだよな、目も耳もねえ肉の塊みたいな妖怪だろ。狸だ蛙だの化けた奴っていう」

「それだと先ほどの匂いの説明がつきません」



 言葉の先を待つより早く、研究員がガラスの引き戸を開け、俺たちはいくらか室温の高い部屋に通された。


 殺風景な室内を見渡すと、銀の研究台に白い食器が並ぶ光景が目に飛び込んでくる。

 その上にレストランで出るようなハンバーグやカツレツに似た洋食の肉料理が、場違いに穏やかな湯気を立てていた。


 研究員は俺に無言で檜の箸を手渡した。

「食えと」

 防護服がわずかに傾き、首肯を返したのだろうと思う。

 俺は慧雲に視線を戻す。

「洒落本『新吾左出放題盲牛しんござでほうだいもうぎゅう』曰く」」

 慧雲は後ろ手に手を組んで言った。

「ぬっぺっぽうは死肉が化けた妖怪で、死人の脂を啜ると」

 俺は箸を台に置いた。


「消費者にはわかりませんよ。第一、殺生をせずに肉が手に入るなんて仏教的にも素晴らしいじゃないですか」

「神も仏もねえだろ、こんなもん」



 慧雲の目と防護服の中の目と計四つが俺を見ていた。

 俺は溜息をついて箸を手に取る。

「慧雲、お前も食うんだぞ……」

 手近にあったハンバーグに箸を突き立てると、肉汁が溢れ出すとともに寒天のような感触がひっ先にぶつかった。


 俺は行儀よくまとめられた肉を無造作にほぐしていく。ぐちゃぐちゃになった皿の上に五つ目の眼球があった。


「おい!」

 研究員の防護服が震えて、霜が溶けた水滴が落ちる。

「目も耳もないはずなんですけれどね」

 慧雲が側にあったナイフとフォークでカツレツを切り裂くと、ミディアムレアの断面から糸を引いた毛髪が現れた。

 慧雲は手元と俺を見比べて肩を竦める。


 俺はかぶりを振って皿の上に視線を落とした。

「なあ……ぬっぺっぽうって舶来のもんじゃねえよな」

「勿論」

 研究員はしきりに頭を下げながら、答える慧雲の手から銀食器をフォークを回収していく。

「ぬっぺっぽうの培養に使った死人も日本人だよな」

「鈴ヶ森で刑死した囚人なのでそうだと思いますが」


 俺は皿の上の眼球を指す。

 哀願するように俺を見上げた眼球は、熱されて薄く白みがかった青色だった。


 慧雲は苦笑してカツレツの皿を持ち上げた。衣の間を割ってチーズのように糸を引いた毛髪は深い緑色だ。

「緑の髪の人間はどこの海の向こうにいるんでしょうね?」

 今度は俺が肩を竦める番だった。



 冷え切った身体をぬるい外気で温めながら、俺たちは地べたに座り込んで煙草をふかしていた。


 慧雲が煙草を挟んだ方と反対の手で、紐で閉じた資料の束をめくる。

「あれから全部の肉を確認したそうです。成人男性の三倍ある耳、棘に覆われた軟骨、螺旋状の大腿骨がなどが見つかったそうですよ」

「聞きたくねえ……」


「あのまま肉を生成し続けて、出てきた部品全てを組み立てたらどうなっていたんでしょうね。もっと言うと、あれを食べた人間はどうなっていたでしょう」

 俺は目頭を押さえて首を振った。


 慧雲は立ち上がって伸びをする。

「気分転換に食事でも行きましょうか。局長、何にします?」

「肉じゃなけりゃ何でもいい」


 俺は煙を吐き出すと、遠くの焼却炉の煙突から吹き出すもうもうとした黒煙と重なった。

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