思い出せないボクとキミ
束白心吏
第1話 漆墨真魚は夢に悩む
時折、不思議な夢を見る。不思議と言っても、某英国の少女のようなメルヘンチックな世界に行くものではなく、もっと現実的で不思議な夢を見ることがある。
その夢では、幼い私が誰かにチェスを教わっている。定石もまるで知らない私に対し、相手はそんな私でも楽しめるくらいに手加減をして遊んでくれているのだ。
けれど不思議なのは、私がその対戦相手の人を知らないこと、そして更に不思議なことにこの夢はいつも私の一言から始まるのだ。
──私、チェスなんてわからないよ
「……」
ズキリ、と鈍い痛みがして、私の意識は急速に睡魔から浮上していく。気分は良いし悪い。この夢を見る度に、私はひどく嬉しい気分になるのに、目覚めると涙を流している。これもまた夢を不思議と思う理由の一つ。
「……起きよう」
目覚まし時計の代わりに枕元へ置いていたスマホの画面には『AM5:31』と表示されている。いつもより時間は早いけれど、眠気の一つもないから、仕方なく布団から出て大きく伸びをする。
窓から見える外の景色はまだまだ暗い。やっと朝日が顔を出したくらいで、窓を開けると冷たい風が部屋の中に入ってくる。
ふと視界の右端に、引っ越し業者のトラックが停まっているのが見えた。そちらの方向にはマンションが建っていて、そのマンションの玄関先で業者さんらしい制服に身を包んだ男性と依頼者みたいな女性が話しているのが見えた。
時節は卯月。桜の花散るこの頃は、少し遅い引っ越し時期だと思う。
もしかしたらゴタゴタして遅れたのかもしれない──なんて事を考えていたら、いつの間にか憂鬱と郷愁とが入り雑じったような感覚は雪解けのように無くなっていた。
私は絵に描いたように快晴な空模様に心踊らせ、窓を閉めて自室を出た。
■■■■
「おはよう
いつもより朝が早かったとはいえ、新年度の最初の登校日ということもあり、朝ごはんを食べて準備を終えたらほぼいつもと変わらない時間となっていた。
それでも急ぐことなく玄関を出ると、いつものように幼馴染みのボアネが待っていた。
「おはようボアネ」
私とボアネは家が近いこともあり、昔から一緒に登校している。それ故か会話らしい会話なんてほぼない。毎日喋っていると話のネタなんて身内の事くらいしかなくなるし、私とボアネとじゃあ趣味も違うから、共通の話題でもない限りはお互いに無言で歩く。
休み明けなんだから、色々話題があるように思われるだろうが、そもそも『新しいクラスどこだろうね』なんて話はもう十回はやっているのだ。流石に飽きて私もボアネも中学に上がる頃にはそれが話題に挙がることはなくなっていた。
「そういえば真魚は聞いたの? 僕達の学年に来る転校生の噂」
「転校生?」
とはいえ会話がないのも味気ないし、気まずいこともある。そういうときは強引に話題を振ったりするのだけれど、ボアネから話題が出るのはとても珍しい。
それにしても転校生?
「新入生じゃなくて?」
「うん。転校生。転入だって」
転入かぁ……珍しいことだけど、今知った。
「たぶんグループで情報回ってきてたと思うよ」
そうなのかな。私は歩きながらスマホのメッセージアプリを開く。思えばメッセージアプリなんて、春休み中一切見ていなかったように思う。通知も見てないから、公式アカウントとグループのメッセージで新規の数が『999+』と表示されている。
「……そうなんだ」
「もしかして春休み中、ずっと見てなかった?」
ギクリ。私は体が強張るのを感じながら、先日までの日々を振り返る。
ずっと自室で盤面と睨めっこ。流石に花の女子高生がする生活でないのは自覚している。
「……まあどうせ、チェスばっかりやってたんでしょ」
「あ、あはは……」
バレてる。笑ったけれど誤魔化せたとは微塵も思っていない。
そこでふと、私は朝、窓からみた引っ越し業者のトラックと、業者さんらしき人と話している人を思い出した。
「昔から、真魚はチェスが好きだよね。名前だけみると仏教の人みたいな感じがするのに」
「それは空海でしょ。別に幼名じゃないし」
なんなら空海の本名の字は『眞』であり、『真魚』の読み方も諸説あるって何かで見た。
「でも、それなら言わないほうがよかったかな? サプライズ的に」
「そもそも私と同じクラスになる可能性って低いでしょ」
「3クラスしかないから。1/3の確率で転校生と同じクラスになるから別に低い高いはないと思うけど」
「じゃあ関わり?」
「それはないかも」
ボアネの言葉にそりゃそうだと内心相づちを打つ。私も別に交流が広い人間じゃあないから関わる可能性は極めて稀なのだ。
そう考えてふと、早朝に部屋の窓から見た引っ越し業者のことをまた思い出した。転校生とは関わりないと思うけれど、どちらも珍しいという意外な共通項を見つけてしまい、思わず笑いそうになり、空を見上げる。
相変わらずの晴天は朝に抱いた感情を再び抱かせ、私はいつもより幾らか軽い足取りで校門をくぐった。
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